別れと逃走
「どういうつもりだ」
本来なら輝びやかなドレスや燕尾服を身に纏った人々の笑顔と話し声が溢れ、美しい音楽が鳴り響くはずの舞踏会場は今この瞬間、完全な沈黙に支配されていた。
そして人々の目はホールの中央で向かい合う2人、美しい顔を苦痛と怒りに歪めた2人だけに集中していた。
「・・・・」
「そんなに私に恥をかかせたいのか」
「何をおっしゃっているのかわかりませんわ」
「そのドレスはなんだ」
「私が何を着ようが私の勝手です」
「そんなに別の男と遊びたいのか」
「・・・」
「このままでは君との婚約は考え直さざるをえない」
「・・・」
「なんとか言ったらどうだ」
「どうぞご自由に」
「それが君の答えか」
「・・・」ーーー早く行って!これ以上は…
「殿下、もういいじゃないですか、お姉様なんて。行きましょう」
「私との婚約などどうでもいいのか」
「・・・」ーーーお願いもうやめて…
「いいんだな?」
「・・・」ーーーお願いだから、もう…
「殿下!お姉様はもう殿下が見えてないのですわ」
「わかった。後日、婚約解消の手続きをとる」
「お姉様ったらほんとにひどい!殿下待って下さい!」
終わった。
マリリエンヌは踵を返すと、顎を上げ真っ直ぐ前を向き背筋を伸ばし堂々と歩いてホールの扉へ向かった。
婚約者の2人が背を向け、そして別々の方向へ歩き出すのを見ていた観衆は、誰も気づかなかった。
彼女がいつもより顎を上げていることを。
彼女がいつもより背筋を伸ばしていることを。
まだよ、まだ流れちゃダメ。お願い涙、まだ流れないで。
早く、早く、出口へ、城の外へ
舞踏ホールの扉を抜け回廊に出るとマリリエンヌは少し早足になった。
ドレスの裾を少し持ち上げ、長い階段を早足で降りる。
出口へ、出口へ!早く、早く!
どんどん駆け足になっていく。
まだダメなの、まだ泣いてはダメ。お願い出ないで涙!!
扉から外へ!
「うううううっっっぁぁぁぁ」
限界だった。溢れ出る涙はもう止められない。視界は涙で何も見えない。
それでもマリリエンヌは走った、何度も何度も涙を拭いながら走った。城の門へ向かって。止まるわけにはいかない。
城の扉から門までは噴水広場を抜け、庭園の中をただまっすぐと道が伸びている。
マリリエンヌは門に向かって走った。しかし彼女はまっすぐには走らなかった。
途中で庭園を左に曲がり右に行き、少し行って左に曲がる。そんなことを数回繰り返した。
彼女は泣きながらまるで迷路を抜けるように走った。目的の場所まで。まるで誰かに追われることから逃げるように。
「お嬢様!!」
約束通りの場所に侍女のデジーはいた。
泣きながら走ってくるマリリエンヌを思いきり抱きとめた。
「お嬢様」
震える手で差し出された小瓶を震える手で受け取る。
飲まなきゃ、飲まなきゃ。
頭ではわかっている。なのに嗚咽が止まらず飲むことができない。
ついにこの日が来た。今日で私は死ぬ。
イオニスを愛していた私も
イオニスに愛されていた私も
今日で死ぬのだ。
マリリエンヌは小瓶を一気に飲み干した。
それからの光景はとてもとても不思議なものだった。
全身に寒気が走ったかと思うと、そこにマリリエンヌが…マリリエンヌ自身ではないマリリエンヌが立っていた。
そして彼女はそのまま門へ向かって行った。
あとは万事うまくいくことを願うしかない。
「お嬢様、着替えを!」
マリリエンヌは急いで着替えた。
派手でも地味でもない誰の目にも止まらないようなドレスに。
そしてデジーが辺りを確認し、2人は歩き始めた。正門でなく、人々の目に止まりにくい西門へ向かって。
門のところで護衛官に声をかけられた。
「馬車を呼びましょうか」
「いいえ、すぐそこにいるので歩きますわ、ありがとう」
マリリエンヌはにこやかに見えるように微笑み答えた。
「デジー!」
「父さん!」
少し離れた馬車まで歩くと声をかけられた。
暗闇に隠されていた幌馬車に2人は乗り込み、前もって乗せておいた荷物の中から着替えを取り出した。
今度は町娘の服だ。
「後ろからついてきてるような馬車もありません。お嬢様、成功ですよ!無事に終わったんです。………よくがんばられましたね」
デジーが涙を流しながらマリリエンヌに抱きついた。
「良かった。ありがとう、ありがとうデジー。」
抱きしめ返す自分の腕に髪の毛がかかった。ドキリとした。
茶色…なのね…しかも短いんだ…
イオニスは私の銀色に光る髪が好きだといつも言ってくれていた。
背中の真ん中あたりまで伸びたウエーブがかかった銀髪は、肩までのブラウンヘアーになっていた。
顔はわからない。私は今どんな女性になっているのだろう。
これでいいの。これでいいのよ。これでイオニス様は殺されなくて済むの。これでいいの、私に出来ることはこれしかなかったんだから。




