第三話「平平平平」
以降はトラブルもなく、つつがなく授業が終わった。一時はどうなることかと思ったが、なんとかなるものだ。
「ふぁ~、ヒマだったぁ~」
下校途中、ぺら子が本日何度目かわからない欠伸をこぼす。
「お前、授業中ずっと寝てただろ」
「他にやることないんだからしょーがないでしょ」
授業聞けよ……と言いたいところだが、ぺら子のクラスと俺のクラスでは授業の進み具合が若干違うんだし、ノートも取れないのでは眠くなるのもやむなしだろう。
「これからどうする?」
抽象的な、でも必要充分な質問をぺら子に投げかける。
Tシャツ化から二十四時間以上経っているが、依然として状況は変わっていない。これ以上、ぺら子が家を空けたり学校を休んだりするのは限界だろう。なにか手を打たなければいけない。
「それなんだけど、とりあえず家族にはホントのことを話そうと思ってるわ」
「そうしたほうがいいかもな」
ぺら子がこのまま家に帰らない状態が続けば、さすがにご両親が心配するだろう。Tシャツの中で動いている娘の姿を見たら腰を抜かすだろうが、背に腹は代えられない。
「じゃあ、早速あたしの家行きましょ」
方針が決まった。俺は制服姿のまま、ぺら子が指差す方向に進路を変える。ぺら子の家も学校から歩いていける距離にあるらしい。ああ、気が重いなぁ……。
ぺら子の家は、高い塀に囲まれた大きな一軒家だった。俺の背丈ほどある堂々とした門扉に気圧されながらインターホンを押す。どこかでも聞いたような「は~い」という間延びした声がして、玄関のドアが開いた。
「あら? あなたは……?」
ぺら子によく似た若い女性だった。
長くてつややかな黒髪に、整った目鼻立ち。白いシャツブラウスに、大きなリボンがついた水色のロングスカートを身に着けている。ぺら子と決定的に違うのは、清楚で上品な雰囲気をまとっていることと、胸がぺら子より若干大きいことだ。ぺら子のお姉さんだろうか。
「あ、あの、俺、源・A・トモナミっていいます。ぺら子さんと同じ学校に通ってます」
俺は緊張でガチガチになりながら挨拶する。
「あらぁ? ぺら子のカレシさん?」
「違います!」「違う!」
思わぬジャブに大きく反応してしまったのは、俺だけじゃなかった。Tシャツの中でぺら子が「しまったぁ~」と頭を抱えている。
「今の、ぺら子の声……?」
お姉さんが不思議そうに目を瞬かせている。ぺら子の迂闊ぶりに俺も頭を抱えたくなったが、どうせ説明することになるのだから手間が省けたと思うことにしよう。
「実は、ぺら子さんのことでお話があって」
俺はYシャツのボタンに手をかける。実物を見せるのが一番手っ取り早いだろう。
「きゃっ! 源くん、そういうのはちょっと……私、夫がいるから」
「どんな勘違いをしてるのか知りませんが、違いますからね?」
頬を赤らめるお姉さんにペースを乱されながらも、俺はボタンをすべて外しきってYシャツの前を大きく広げた。
「驚かないでください。ぺら子さんは――ここです」
「あらあら……」
Tシャツの中に収まったぺら子を、お姉さんが目を丸くして見つめている。ぺら子はバツが悪そうにそっぽを向く。
「……ただいま、ママ」
「おかえり、ぺら子~」
「お、お母さんなのか?」
家族の対面に思わず口を挟んでしまった。
「若いからてっきりお姉さんかと……」
「まあお上手」
ぺら子のお姉さん――改めお母さんは、柔和な笑みを浮かべると、家のドアを大きく開いて俺を迎え入れる姿勢を取った。
「源くん、あがってちょうだい」
「は、はい……」
俺は思わずぺら子と顔を見合わせる。
ぺら子のお母さんはずいぶん冷静な様子だ。普通、娘がTシャツになったらもっと動揺すると思うんだけど……。
お母さんに招かれるまま、平平邸にお邪魔する。広々としたリビングは瀟洒な装飾で彩られていた。家具や調度品がどれも上品な高級感を放っている。
「飲み物は麦茶で大丈夫?」
「あ、いえ、お構いなく……」
お母さんはニコリと微笑むと、キッチンのほうに引っ込んでいく。俺は促されるままに腰を下ろしたふかふかのソファーで縮こまっていた。
「……お前の家って、もしかして金持ち?」
「さぁ?」
ぺら子はとぼけるように両肩を上げる。ただでさえ他人の家(しかも女子の家)ということで緊張しているのに、輪をかけて落ち着かない。
「今、家にはお母さんしかいないのか?」
「パパが出張中だからね。あたし一人っ子だから兄妹とかもいないし」
「そっか、そりゃ助かる」
コミュ障の俺としては顔を合わせる相手が少なければ少ないほどありがたい。
「お待たせ~」
まもなくお母さんが戻ってきて、ガラステーブルの上に人数分の麦茶が置かれる。
「ありがとうございます」
「……あたしの分はいらないんだけどね。飲めないから」
「あ、そうだったわね」
お母さんは照れ臭そうに笑って、俺の対面に腰を下ろす。本当に若くて綺麗な人だ。ぺら子もこれくらい愛想がよければいいのに。
「……ちょっと、なに人の母親見てデレデレしてんのよ」
「し、してねーよ。俺は二次元にしか興味ないからな」
どーだか、と言ってぺら子は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「あらあら、二人は仲良しなのね」
「違います!」「違う!」
さっきと同じハモり方をしてしまった。
「うふふ」
楽しそうに肩を揺らすお母さんに対して、俺もぺら子もなにも言えない。お母さんはひとしきり笑った後、居住まいを正して俺を見据えた。
「改めまして、ぺら子の母のぺら美と申します」
「ど、どうも。源・A・トモナミです」
お母さん……ぺら美さんが妙にかしこまった様子だったから、思わずもう一回名乗ってしまった。
「ごめんなさいね、源くん。私たちの家の事情に巻き込んでしまって……」
「家の事情?」
「ど、どういうこと、ママ?」
なにかワケありのようだ。しかし、家の事情で人間がTシャツ化してしまうなんてことあるだろうか。
「話すと長くなるんだけど」
ぺら美さんはそう前置きして、いたって真剣な顔つきで語り始めた。
「平平家は平安時代から続く名家で、ごく稀に直系の血を引く女性が服や物と一体化する平面化現象が起こるの」
なに言ってんのか全然わかんなかった。
「は……?」
「マ、ママ……?」
「嘘みたいな話だけど、真実よ。実家に行けば詳細な家系図だってある。直近では私のおばあ様のおばあ様が、衣類と一体化してるらしいわ」
荒唐無稽な話だが、実際こういう非現実的な現象を目の当たりにしている以上、一笑に付すことはできない。
「私はこの話をおばあ様から聞いたんだけど、正直言って今の今まで信じてなかったわ。だからぺら子に平平家の詳細を話すことはしなかった。私は平平家の伝統に縛られて育ったから、ぺら子には自由に伸び伸びと育ってほしかったの」
「ね、ねえじゃあ、もしかして、あたしの名前が『ぺら子』なのって、その『伝統』に関係してるの?」
平平家の女でありながら、一切の事情を知らされていなかったらしいぺら子が、Tシャツから身を乗り出すようにしてぺら美さんに詰め寄る。
「あたしが何度この名前の由来について訊いても、『しきたり』としか答えてくれなかったのは……」
「ええ、そういうことよ」
ぺら美さんは静かに頷いた。
「『ぺら子』『ぺら美』『ぺら代』『ぺら乃』などの名前は、平平家の始祖である平平平平直系の血を引く女性にだけつけられる名前なの。基本的にこの四つの名前を代によってローテーションしている形ね」
「そ、そうだったんだ……あたしずっと自分の名前が嫌いだったけど……そんな理由があったんだ……」
ぺら子は脱力したようにTシャツの中でへたり込む。俺ですら情報量の多さに頭が追いつかないのだ。当事者のぺら子はいっぱいいっぱいだろう。
「じゃあつまり、ぺら美さんも今後、Tシャツの中に入り込んだりする可能性があるってことですか?」
「ないとは言えないわね。高齢になってから平面化したケースもあるみたいだから」
ぺら美さんはそう答えてから、「ただし」と付け加えた。
「私はおそらく、ぺら子よりは平面化する確率が低いと思うわ。ぺら子はもともと素質があったのよ」
「そ、素質? ペラペラになる素質ってこと?」
ぺら子は戸惑いの表情をぺら美さんに向ける。ぺら美さんはぺら子を見つめ返して、おっとりとした微笑みを浮かべた。
「おっぱいが小さければ小さいほど、平平平平の血を濃く受け継いでいると言われているわ。つまり、おっぱいが小さければ小さいほど平面化する確率が高いの」
「へっ……?」
衝撃の事実に言葉を失うぺら子に、ぺら美さんが追い打ちをかける。
「おばあ様が言ってたわ。ぺら子は数百年に一人の逸材だって。これほどまでのまな板は見たことないって」
「嬉しくないわよっ!」
ぺら子が半泣きで叫ぶ。「これから大きくなるし……」と自分の胸に両手を当てているのがなんとも悲哀を誘う。気にしてたんだな、胸が小さいこと……。
「せいぜい私のサイズを超えられるよう頑張るのよ、ぺら子?」
「ママ嫌い!」
ぺら子は「ぐぬぬ」と悔しそうに歯噛みする。ぺら美さんは「ふふっ」と勝ち誇ったように笑い、なけなしの胸を寄せていた。なんだこの最底辺の争い。
「それより、ぺら子が元に戻る方法はあるんですか?」
話を本筋に戻すため、親子のじゃれあいに割って入る。
「そ、そうよ。それが一番大事でしょ!」
「うーん、私もそこまでは知らないのよ」
ぺら美さんの返答に、俺もぺら子もがっくり肩を落とす。その仕草があまりにシンクロしてたためか、ぺら美さんがまた相好を崩した。
「安心なさい。きっとおばあ様なら詳しいことを知っているはずだわ」
ぺら美さんはスマホを取り出し、つややかな長髪をかきあげて耳に当てる。さっきからちょくちょく話に出てきている『おばあ様』のところに電話するのだろう。おばあ様、たぶん『ぺら代』か『ぺら乃』って名前なんだろうなぁ……。
「……ダメだわ、出ない」
ぺら美さんはスマホを耳から外し、眉を寄せる。
「おばあ様、電話がお嫌いだから」
「ひいおばあちゃん、山口に住んでるんだよね? ほとんど会ったことないけど……」
「おばあ様は平平家の当主だから、本家がある山口から離れることはまずないわ。他の親戚たちもおばあ様を慕って山口に留まってる。私はほとんど家出みたいな形で東京に飛び出してきたんだけど」
なんだかいろいろ込み入った事情があるらしい。
「でも、ちょうどいいわ。いいかげん里帰りしなきゃと思ってたから、挨拶ついでにおばあ様にあなたたちのことを訊いてみる」
「いいんですか?」
ぺら美さん、家出するくらいだから本家の人とは相当仲が悪いんじゃないだろうか。
「心配しないで。喧嘩してたのはずいぶん昔の話だもの。私もいろいろケリをつけないといけないし」
包み込むような笑顔で言われてしまっては、納得するしかない。なにより俺たちはぺら美さん以外に頼れる人がいないのだ。
「わかりました。じゃあ……お願いします」
「任せておいて! 早速明日、出発するわ」
ぺら美さんはぐいっと細腕を曲げて力こぶを作るポーズを取り、俺たちにウィンクする。なにこのかわいい母親……と思っていたら、かわいい顔でとんでもないことを言い出した。
「というわけで私がいない間、二人は一緒に生活しててね」
「は?」「え?」
俺とぺら子は同じ方向に首を傾げる。……おい、真似すんなお前。
「だってそうするしかないじゃない。お父さん出張でいないんだし。昨日だって源くんの家に泊まったんでしょ?」
「そ、そうだけどぉ……ママは娘のテーソーが心配じゃないの?」
「いや、だからなんもしねーよ!」
何度も言うけどTシャツだぞお前?
「娘をよろしくね、源くん」
ぺら美さんはテーブルの上に置かれた俺の手をぎゅっと握った。
「源くんになら安心して娘を任せられるわ」
任せられてしまった。その信頼はどこから来るんだ。
どうやらぺら子とは、まだ離れられない日が続くらしい。