お出かけ
彼女と出会ってから数か月が過ぎた。あの後聞いた話だが、彼女は名をセシリア・シルヴェスタといい、ゆえあって王宮からカルメニア王国の東の端に当たるこの地へ移り、住み込みで領主の別邸を管理しているらしい。
親切な彼女は、近くの森に住み着いた私の様子をちょくちょく見に来ては薬や食料を置いていった。そこで何度か言葉を交わすうちに、一人で森を歩くのは大変だろうと丈夫な体にものをいわせて私の方が森の中にぽつんとたつ屋敷に通うようになった。そこからは傷を癒しながら現在の言葉や情勢を教えてもらう日々。王宮にいたというセシリアが古典文学の知識を持ち合わせていたおかげで、文字を使って比較的正確にやり取りできたのは幸運だった。
そうして彼女から知りえた現在の情勢は、私が封印されてから450年ほどが経過していること、私の知るカルメニア王国とヤナト皇国はその体制や領地などほとんどそのままに存続していること、同盟関係にあった両国は、とっくの昔に同盟を破棄し、ここしばらくは物や人の行き来はあるものの、良好な関係かといわれるとそうでもないという微妙な状態であることであった。
約500年まえに突如現れた魔王。同時に各地で魔物が大量に発生したことから始まった第二次防衛戦をきっかけに同盟を結んだ両国だが、もともと竜を狩猟の対象としていた王国と竜と共存しその存在を神聖なものとして崇めていた皇国。竜と共に戦って王国民の考えも少しは変わったかと思っていたがそうでもなかったようで、私の封印後まもなく同盟は解消されたそうだ。
確か、戦で追い詰められて皇国の竜を戦力にと欲した王国と、初めは島国という立地に胡坐をかいていたが戦局を見て明日は我が身と焦った皇国。互いの利害の一致によって始まった同盟だったはず。
ちなみに私とグレンのことは魔王を倒し、長く続いた戦を終わらせた「勇者と紅竜」としてなかば伝説的に語り継がれているらしい。実際にあった出来事ではあるが、その御伽噺のような内容から子供に人気があり、寝物語として語られることもあるそう。私がその紅竜であることを告げたときのセシリアときたら、比喩でもなんでもなく腰を抜かすほど驚いていた。怪しまれるかとも思ったが、史実にある通りの姿や出会ったときの言葉遣いなどからセシリアは私の言葉を信じてくれた。それこそ平伏しかねない勢いだったのを慌てて止めたのも記憶に新しい。
出会ったときに恐縮しきりだったのも王国と皇国の関係が悪化したことで、主に皇国に生息する竜が王国を訪れることが減り、以前より希少な存在として珍重されるようになっていたせいだった。まあそれは別としても馬の2倍はあろうかという大きさの生物を発見し、死体だと思っていたそれが動いたとあれば縮み上がるのも当然といえるが。
「コウさん。そろそろ時間ですけど、準備はできましたか?」
扉をノックする音に続いてセシリアの声が聞こえた。紅竜だからコウさんね、などと短絡的にこの冴えない呼び名を決めたのは彼女である。いつまでも紅竜様ではなんだろうと好きに呼ぶように言った結果だ。好きにしろといった手前、文句も言えない。
「ああ、今行く。」
私の傷もだいぶ良くなったので今日は町まで行く予定だった。むろん竜の姿のままでは目立ちすぎるから人間の姿に変化してである。
狭い所に入れたり、細かな作業が出来たりする変化の魔法は大変便利だが、使用中は魔力を消費し続けるせいで魔力お化けの私でも一日連続6時間ほどで限界がくる。加えて変化中は身体能力も落ちるし、他に魔法を使う場合、威力も精度も落ちる。縛りが多いが、この世では特定の竜種だけがもつ固有魔法だ。人と共生するために竜が身につけた特性である。
姿見を見ると白いシャツに紺のロングスカートを履いた自身の姿。紅い瞳と目が合った。長い黒髪を揺らして体の向きを右左と変えてみる。何度も着ているので大丈夫だとは思うが一応の確認だ。
初めて着たときは服の作りが変わっていたせいで戸惑ったものだが、いったん慣れてしまえば着心地はいいし、なにより脱ぎ着しやすいのが気に入った。特にスカートを幾重も重ねて紐で締め付ずともよいのがいい、あれは着るのに時間がかかるし、なにより腹が苦しいのだ。
さっさと身だしなみを確認し、皮のカバンを持って階段を下りる。セシリアはすでに玄関で準備万端といった様子で立っていた。
「待ちくたびれましたよ。ほら、コウさん早くいきましょう。」
彼女は玄関扉を開けながら私の手をとってぐいぐい引っ張った。街へ下りる山道を今にもスキップで駆け出しそうだ。
「なんで君がそんなにはしゃいでるんだ。街には何度も行ってるだろうに。」
「コウさんと一緒に行くのは初めてじゃないですか。だからはしゃいでるんです。」
満面の笑みが向けられる。
なんとなくむず痒い気持ちになって明後日の方を向いた。セシリアは真っ直ぐにものをいう節がある。そこが彼女の良いところだが、聞くたびにこちらが照れてしまうから厄介だ。
「いろんなお店がありますから、きっとびっくりしますよ。欲しいものがあったら遠慮なくいってくださいね。お金ならいくらでも私が出しますから。」
「いや、世話になってる身だし、これ以上は…。」
「かわいい服を買いましょうね。明るいレースのスカートとか。いや、暗い色味のワンピースもいいかもしれません。そうだ、この際ですから髪飾りも買いましょうよ。コウさんのきれいな黒髪なら間違いなく似合いますよ。」
「おい、話を聞け。そんなにせずともいいと言ってるだろう。」
変な勢いでまくし立てるセシリアに待ったをかける。人の姿をとれる時間は限られるのだ。傷が治ってもほとんど森と屋敷から出ないつもりの私からすれば、どう考えても無駄遣いである。
「何言ってるんですか、せっかく一緒にお買い物できるんですからいっぱい買わなきゃ損ですよ。」
そういって彼女は私の周りをぴょんぴょん跳ねだした。ごね方が完全に子どもである。
「こら跳ねるな。お腹の子に障ったらどうする。あと、その理論はおかしい。」
慌てて掴まれたままの手を軽く引いて止める。彼女はすみませんとへらりと笑った。自分が身重だということを忘れているんじゃなかろうか。心の中でため息をついて、ついでに意味の分からない理論もきっちり否定しておく。
そう、彼女のお腹には赤子がいる。出会ったときは気付かなかったが、腹の中で子が育つにつれその魔力を感じ取れるようになった。体質なのだろう、見た目ではほとんど分からなかったので気づいたときは驚いたものだ。
「大体、子どもというのは何かとお金がかかるものだろう。少しでも節約するべきじゃないのか。」
「でもこの子が生まれたらしばらくはかかりきりになります。こうやってのんびりコウさんと出かけるのも難しくなると思うんです。今のうちに楽しんでおかないと。」
あきれを含んだ言葉にかえってきたのは、なるほど確かに一理ある考えだった。彼女には彼女のなりの考えがあるのだろう。
「それに、もしお金がなくなったらコウさんの鱗でも売ればすぐ解決しますよ。」
「君、そういうところあるよな。」
命の恩人がお金に困ってたら、もちろん協力してくれますよねと微笑んだのにはあきれてしまう。ちょっとはまじめに物事を考えていたと思ったらこれだ。子どもが生まれれば少しは落ち着くだろうか。けれどそれはそれで少し寂しいかもしれない。私は案外彼女の天然に見えて腹黒いところが気に入っているから。
打ち解けてからはこんな事も言うようになったが、実際彼女があの日のことをダシに私に何かを要求したことはない。一度大概のことは叶えてやれるぞと話したことはあるが、思いつかないので結構ですと一蹴されてしまった。
大通りのパン屋が美味しいだの、角の肉屋はいつもおまけしてくれるだの、街のことをひっきりなしに話し続ける彼女に適度に相槌を打ちながら林道を下っていく。林を抜ければ放牧地が広がり、穏やかな陽気もあってそこここに牛が寝そべっていた。ここまでくればぽつぽつと民家が現れ始め、農作業する人の姿も視界に入りだす。
「なあ、あれはなんだ?」
畑を耕す人が使っている見慣れない道具を指して隣を歩くセシリアに尋ねた。
「あれは魔道具ですよ。畑に差し込むと風の力で土を掘り起こせるんです。魔力がない人でも使えますからほとんどの農家さんで使われてますよ。」
「驚いた。魔道具が一般に普及してるのか。前は魔力を流せる者にしか使えなかったはずだぞ。術式の効果も貧相なものしかなかったのに。」
「時代が時代ですからね。魔法技術はかなり進歩してると思いますよ。200年位前に物理的な運動を術式に作用させることが可能になって、それからはもっぱら物質にどれだけ魔力を溜めておけるかについて研究されています。」
「あの難問が解決されたのか!いったいどんな方法を使ったんだ?」
驚きの事実だ。当時は解決不可能とまで言われていたのに。やはり時の流れとは偉大なものである。
「すみません、そこまで詳しくは…。でも確か屋敷の書斎に魔法関連の専門書もそろっていたはずです。もしよろしければ今度お貸ししますよ」
「そりゃあ助かる。魔法はどうしても使える者が限られるからどうやって学びなおそうかと思ってたんだ。」
「私が魔法師なら教えて差し上げられたんですが、あいにくその方面の才能はからっきしで。」
「それでも魔法史に詳しいじゃないか、上等なもんさ。魔法師といってもみんな学があるわけじゃない。」
申し訳なさそうに地面を見つめ始めた彼女を励ます。この年でこれだけ教養があって魔法まで使えたら完璧すぎて怖いくらいだ。小さな町や村なら子供が魔法を使えると分かれば総出で祝い、ちょっとしたお祭り騒ぎになる。それだけ魔法の才を持つ者は少ないのだ。使えないことを恥じる必要はない。
「えっ、そうなんですか。魔法師のみなさんは学院に通っていらっしゃるものだからてっきりすごく頭が良いのだと思っていました。」
「あー、今の事情は分からんが、少なくとも私の頃は無茶苦茶なのもたくさんいたぞ。魔法が使えさえすれば人生が保障されたようなものだから、自己流で魔法が使えればあとは遊んでばかりの学生も多かった。」
かつてグレンと通った養成学校を思い出す。戦のさなかではあったが、個性的な連中とふざけあった日々はいわゆる青春というやつだったのだろう。思い起こせば馬鹿なことばかりしていたなあと少ししんみりする。
「王宮でお会いするのは聡明な方たちばかりでしたのでつい。貴族同士で取り合いになるほどですものね。確かにわざわざ努力しなくとも食うには困らなそうです。」
セシリアがなるほどと感心していた。
王宮に勤めているのは教養も申し分ない、いわゆる選りすぐりの魔法師だ。頭のお堅い奴らが多いからそういう印象もつくだろう。つい、かつての仲間が王宮で働くところを想像した。壊滅的に似合わない。というか絶対面接の時点で落とされるな。
「あ、コウさん、露店が出てますよ」
セシリアの弾んだ声に空想が打ち切られる。彼女の視線の先には改造され、派手な紫の看板を掲げた荷馬車があった。行商人の類だろうか。セシリアは私の返事も待たずに腕をひいて露店に近寄った。
「らっしゃい、お嬢さん方。」
陽気な挨拶が聞こえ、ぎっしり詰まった陳列棚の奥から店主が顔を出した。二人で軽く挨拶を返し、商品を眺める。色とりどり飾り紐、漆の小物入れ、簪などが所狭しと並び、奥には絹らしい織物も積まれていた。店主の髪は黒髪。扱われている商品や国境からほど近いことも考え、ヤナトの交易商かとあたりをつける。
「見てください、この簪すごく綺麗ですよ。」
藍色の簪を手に取ったセシリアが目を輝かせた。
「硝子細工か、なかなかのものだな。」
「ええ、ヤナトでも指折りの職人が作ったものです。他ではここまで深い青色は見られませんよ。」
簪の端で揺れる硝子の花に私が感心していると、店主が答えた。店主は続けてセシリアにお嬢さんの赤髪に映えますよと商品を売り込んでいる。
「でも私、簪はつけたことがなくて。」
「私がつけてやろう。店主、少し試してみてもかまわんか?」
「もちろんかまいませんよ。」
店主の許可を得て、言い淀んでいたセシリアの手から簪を抜き取り、後ろにまわる。ふわふわとした髪をひとまとめにして簪をさしてやった。なるほど、確かに赤い髪に藍色の硝子がきらきら光っているのは見栄えが良い。
「よくお似合いですよ。」
店主がすかさず褒めながら、セシリアの顔を映すように折り畳み式の鏡を開いて掲げた。彼女もまんざらでもないようで、鏡の中の自分を食い入るように見つめている。
「せっかくだ。買っていったらどうだ。」
あんまり夢中になっているものだからつい口をついた。あっと思ったがもう遅い。
「先ほどは無駄遣いするなとおっしゃってませんでした?」
「あれは君が私に貢ごうとしたからだろう。私にお金を使う必要はないと言いたかっただけだ。」
ぐりんとこっちを向いたセシリアに睨まれて、むっとして言い返す。我ながら言い訳がましいとは思ったが、今更取り消すこともできず、意地になった。
「それなら、コウさんにも簪を買います。」
「どうしてそうなる…。」
突拍子もない主張に思わずうなるが、彼女は一歩も引かなかった。
「私がコウさんとお揃いにしたいからです。お揃いじゃないならこの簪もいりません。これは私の我儘ですから貢いでることになりませんよね。」
「君なあ…」
あくまで自身のためであると自信満々に言い放った彼女は頑固にもほどがある。だがこれ以上の言い争いは互いの雰囲気が悪くなるだけだとも考える。せっかく出かけてきて喧嘩するのも馬鹿らしい。
「分かった、分かった。もう好きにしろ。」
いつか絶対倍にして返してやろうと胸に誓いながら、ため息交じりに言い捨てる。彼女はそれを聞くや否や店の奥にすっ飛んで行って商品とにらめっこを始めた。この分だと店中の品を端から端まで吟味するまで満足しないだろう。
ふーっと長く息を吐いて、会計のためにあるのだろうカウンターに寄りかかる。奥でセシリアの相手をしている店主が一瞬、同情のこもった微笑みを向けてきた。
「コウさん、これなんてどうですか?」
ひとしきりしてセシリアが戻ってきた。手には赤い簪を握っている。先ほどの藍色の簪と色違いだろうか、紅い花の硝子細工がしゃらしゃらと揺れていた。色違いだから選んだのか、私の瞳の色に合わせて選んだのか、それとも両方か。ぼんやり考えていると、彼女はつけてみてくださいとその簪を私の手に押し付けた。
そういえば王国には簪をつける文化がないから、つけるのは久しぶりだ。いや700年も眠っていたから久しぶりもなにもないか。ぐっと髪をまとめて簪をさしこむ。髪がひっつめられる感覚が懐かしい。
「コウさんすごく綺麗です!似合ってますよ!」
「いやあ、本当によくお似合いですね。簪にも慣れていらっしゃるようで、もしやヤナトのご出身で?」
コウさんの瞳と同じ色だと思って選んだんですなどと興奮気味に続ける彼女を適当にあしらっていると店主が声をかけてきた。
「ああ、そんなところだ。ゆえあって長くこちらにいるがね。」
「やはりそうでしたか。綺麗な黒髪にヤナト訛りでいらっしゃりますから。そうではないかと思っていたのですよ。いやあ、異国の地で同胞に会えるのは嬉しいものですなあ。」
「こちらこそ久しぶりに故郷の趣が感じられてよかったよ。」
「それはなによりです。同郷のよしみです。お安くしときますよ。」
店主は笑顔で話しながら、カウンターの向こうへ回り込む。セシリアはさっそく財布を出していた。私は値段交渉や何やらを彼女に任せ、店主がお釣りを渡し、おまけと言って簪用の小ぶりな布袋を彼女に押し付けているのを眺めた。
「ご来店ありがとうございました。」
明るい店主の声を背後に聞きながら、露店を立ち去る。後ろに軽く手を振るセシリアはほくほく顔だ。
「せっかくお揃いにしたんですから、毎日つけてくださいね。」
「まず君が簪のつけ方を覚えるのが先だな。」
向き直って念を押してきた彼女を鼻で笑ってやる。
「じゃあ、コウさんが毎日つけてくださいね。」
「気が向いたらな。」
からかったのにあんまり無邪気な顔をこちらに向けるものだから、つい目をそらした。戦や王宮の中に長くいた私にとってあまりに眩しい笑顔だ。
さあ、本番ははこれからですよ。そう言って再び手を引く彼女に身を任せて歩けば、通りの活気が増していく。気づけば両側にはレンガ造りの建物が並んでいた。建物の多くは二、三階建てで一階が店舗、その上が居住スペースになっているようだ。
まるで王都の中心街のような雰囲気に息をのむ。祭りでも行われているかのように往来には人が溢れ、あちこちから聞こえる呼び込みの声。視界に映る鮮やかな看板やのぼりに目を引かれる。
「ここ、本当にカルメニアの端か?」
驚愕のままにこぼれた声はかなり間抜けだったと思う。
「端だからこそですよ。この町の港が一番ヤナトに近いんです。交易の要所ですからカルメニアの玄関口として発展したんですよ。」
こともなげにセシリアは答えた。
かつては竜に乗らなければ安全に越えられなかった海。王国と皇国の間を船が行き来していることは彼女から聞いていた。発展していることも予想していたし、遠目に街を眺めてもいた。けれど実際に街に入って見てみれば、そこはまるで別世界だった。
竜と旅人が泊まるための宿と貴重な物資や交易品を扱う問屋が一軒。他には入国者を管理するための形ばかりの関所があるだけ。漁業で生計を立てていた小さな港町の面影はどこにもない。
ゆっくりと変化していくのを見るのとはまた違う。自分の立っている地面が崩れるような感覚。ああ、本当に450年もの時を越えたのだと。お前が知っている景色などどこにも残っていないのだと。そう告げられた気がした。
変わってしまったのだなと、今更になって口の中でつぶやく。時代が移り行くのを眺めるのは慣れっこのはずだった。数か月も過ごしてきて、言葉や日常生活にも変化を感じていたのに。結局、450年という時間を分かった気になっていただけだったのだろう。
「コウさん?」
呼びかけられてはたと彼女の方を見る。
「大丈夫ですか?」
一瞬、息が詰まった。どうしてこういうところで鋭いのか。
「どうした。急に。」
「いえ、あの、すみません。なんだか、寂しそうに見えたので。」
視線をさまよわせながら彼女は言った。
「何をいうかと思えば。君みたいな騒がしいのが隣にいてそんなの感じたくても感じられん。むしろ少し落ち着いてくれたほうが情緒を感じられるってもんさ。」
「なっ、失礼な!私は十分落ち着いています!」
わざとらしくため息をついてから笑い飛ばしてやれば、ぷりぷり怒って言い返してくるのだから可愛いものだ。きんきんと耳に響く声がひどく心地良い。彼女の隣にいるうちは正しく、寂しさなんぞ感じる暇はないのだろう。
「さあ、早く店を案内してくれ。」
買い物の本番はこれからなんだろう?そうにたりと口角を上げて問う。
「もちろんですよ!」
元気よく答えて、こっちこっちと先を歩く彼女を追いかけて雑踏の中を進んだ。
それからは、まあ買いに買って買いまくった。いわゆる女性の買い物というやつをなめていた。前半は私に買い与えようとばかりするセシリアに抵抗していたし、問いかけにも真面目に答えていたが、後半になればその気力もうせて、まあ良いんじゃないかとしか言っていなかったと思う。というか最後の方は疲れ果てて記憶もあいまいだ。
「いくらなんでも買い過ぎだ。私じゃなかったら持ちきれない量だぞ。」
文字通り山程の買い物袋を抱えてセシリアと帰り道を歩く。周囲にはオレンジ色の光が滲み始めていた。
「コウさんだって途中の本屋さんでたくさん買おうとしていたじゃないですか。」
「本はその場で買っておかないと。また今度行ったときあるとは限らんだろ。」
「魔法書なんてそうそう売れませんよ。」
「そりゃあまあそうだが…。」
「まずは屋敷の本を読み終わってからにしてください。」
ぴしゃりと言い放った彼女にぐうの音も出ないのでうなずいておく。
「任せてしまっておいてあれですが、本当に大丈夫ですか?少し持ちましょうか?」
「いや、遠慮するよ。そこらの人間とは馬力が違うんでね。それに遅くなると困る。」
「あっ、時間。もしかして急いだほうがいいですか?」
「このペースなら十分間に合うから大丈夫さ。」
今にも駆け出しそうな様子に待ったをかけた。
「もう、焦らせないでください。こんなところで本性現したら大騒ぎになりますよ。」
「もしそうなったらさっさととんずらさせてもらうさ。」
「あら、そうしたら私は置いてきぼりですか?」
「君が望むなら抱えて一緒に連れて行ってやるよ。」
「まあ、素敵な口説き文句。私がもう少し若ければ惚れてたわ。」
かっこつけた私のくさいセリフに彼女はふふっと少女のような笑みを浮かべる。
「コウさんと旅するのも楽しそうねえ。どこへでも行けそうだもの。」
「当たり前だろう。私を誰だと思ってるんだ。海の向こうのヤナトも、そのずっと先にある大陸にだって、その気になれば行けないところなんてないよ。」
私が笑って、彼女も笑った。木々の隙間から、屋敷の白い漆喰壁がちらちら夕日を反射して光っていた。