出会い
霞がかかった意識の端でがらがらと石同士がぶつかる音がする。身体は鉛のように重く、息苦しい。動く気力もなく、しばらくうすぼんやりとした意識のまままどろ見続ける。
けれど、時間がたつにつれ、水が滲みるようにじわりじわりと全身に鈍痛が広がった。痛みによって意識が半ば強引に引っ張り起され、鈍っていた感覚が戻り始める。そうなってしまえば負の連鎖で、形を伴っていなかった痛みはあっという間に鋭い激痛へと変貌した。
そこまできてようやく、どうやら死にそこなったらしいと理解する。
体は言うことを聞かず、目を開けることもできない。ただただ気も狂わんばかりの痛みに耐え続ける。
どれ程時間がたっただろうか。不意に近くで何かが動く気配がして、顔のあたりにあった重みが消えた。閉じられた瞼越しに光を感じる。それを皮切りに顔周りの重しが次々取り除かれていった。新鮮な外気に触れ、やっとまともな呼吸ができるようになる。
ゆっくりと目を開けてみた。眩しくて何度かしばしばと瞬きして、それからようやく目が光に慣れ始める。視界に飛び込んできたのは岩、石、土。
まあ簡単に言えば土砂の山だった。どうやら崩落に巻き込まれて生き埋めになったらしい。
じゃりじゃりという音が近付いてきて、影が視界を覆った。視線を上げると、こちらを覗き込む女とばちりと目があう。
驚いたのだろう、一瞬目を見開いてから慌てた女はしかし、数歩後ろに下がっただけで、走って逃げ出すことも、腰を抜かしてへたりこむこともなかった。
もしや彼女が土砂を取り払ってくれたのだろうか。少し距離をおいてこちらをうかがっている女を見る。品良く整った顔。少し垂れ気味の目に柔和な印象を受ける。癖のある赤い髪は肩の辺りで緩く束ねられていた。
「怖がらなくていい。危害を加えるつもりはない。」
あまり怖がらせるのも可哀そうで、なるべく優しい調子を意識して言ってみる。
だいぶしゃがれた声になってしまったが仕方ない。こちとら長い封印から覚めてすぐに生き埋めになっていたのだ。声が出せただけ上出来だろう。
こちらを見ていた女の口がポカンと開いた。あっけにとられた顔だ。竜が人語を発せることを知らない者も時折いるし、知っていても実際に声をかけられるとやはり驚く者が多い。
「君が助けてくれたのか?」
こういうことはままあるが、ゆっくりと話し続ければ復活してくれることが多いことは経験から知っていたから、もう一度穏やかに声をかけた。けれど女は困惑した様子でこちらを見るばかりで、うんともすんとも言わない。ただ驚いていたり怯えていたりするのではなさそうな雰囲気に違和感を覚えた。
それから女は逡巡してようやく言葉を発する。それを聞いて驚く。女の話す言葉は自分の知るものとはずいぶん異なるものだったからだ。
まず明らかに違ったのは声の調子だ。強弱のつけ方が違う。加えて意味の分からない単語がいくつも飛び出してくる。幸い強い訛りがある程度であったから、細かい部分までは分からないものの、土砂に埋もれている私を見つけ、死んでいると思って掘り出そうとしたらしいことは大まかに察せられた。
どうりで困ったような顔をしていたわけだ。きっと女の方も私の言葉がよく分からなかったのだろう。
分かった、そう言おうとして息を吸うと脇腹に痛みが走った。思わず顔をしかめる。あばらでも折れているかもしれない。女の顔が心配そうにゆがむのが見えた。
魔法を使えばこの程度の土砂をどけてしまうことは造作もないが、残念なことに封印のせいか肝心の魔力がすっからかんになっていた。このまま放っておかれれば身動きできず、怪我か飢えで死ぬ。
竜の体は丈夫だ。間違いなく数日は半死半生で苦しむことになる。その時間を想像してぞっとした。確かに死にたいとは思ったが何日も苦しむのはごめんだ。
「すまないが、魔力を少し貸してはくれないか。」
出会ったばかりの竜に協力してくれるかは怪しいが、ここは女の良心を信じるしかない。
女はきょとりと首をかしげた。上手く通じなかったらしい。
「こちらに来て、私に触れて欲しい」
通じやすそうな言葉を選んで端的に頼む。
今度は理解できたらしい。女はこちらに向かってきて、私の目の前まで来ると恐る恐るといった風に鼻先に手を伸ばしてくれた。
記憶の中ではつい最近、だが体は長い間眠っていたはずだ。加えて今回使うのは他人の魔力。下手なことをすると相手にも影響がでかねない。万が一にも失敗することは許されなかった。基本に忠実に、精神を集中させる。
魔法を使うために必要なのは魔力とそれを感じる才能、そして起こす事象を正確に思い浮かべることだ。まずは触れ合っている場所から女の中にある魔力を感じ、その量から性質に至るまで正確に把握する。
掌握した魔力を私の中に循環させ、周囲の土砂にかかる重力が打ち消されるさまを思い浮かべ、念じる。同時に魔力を対象に流し込んだ。
ズズッという音をたてて体にかかっていた重みが消えた。異変を感じた女はすぐさま私から距離を取る。魔法の効力が残っているうちに、体を引きずって土砂の下から抜け出した。
女が離れたことで魔力の供給がなくなり、私という体積がなくなった分、背後の土砂が少々崩れる。降りかかってくる土砂を尻尾で払いのけ、まず翼、次に体を小刻みにゆすって土を落とす。
女は唖然としてこちらを見ていたが、自由になった私が近付くと流石に体を震わせた。それでも悲鳴も上げずにこちらを見上げるあたり、度胸がある。
「助かった。恩に着るよ。」
私は女に頭を下げた。言葉が通じなくとも礼をとればこちらの気持ちを伝えられるだろうと思ってのことだ。しかし何も反応が返ってこない。
不思議に思って視線だけを上げて女を見やると、そこには本日二度目のぽかん顔。かと思えばわたわたと早口でなにやらまくし立てだした。何を言っているのかさっぱりわからない。
こうも早口では聞き取れないと、女をなだめすかしてゆっくり話してもらったところ、高貴な竜に頭を下げさせるなど恐れ多いとのこと。
確かに気位が高いのは竜の特徴だが、助けてもらって礼もいえぬほどではない。むしろ気高い分、義に厚く、受けた恩は必ず返すという文化や思想を持つ。竜の世界では恩を仇で返すような行いをすれば同族みんなから後ろ指を指されて、事によっては末代までの恥である。
まあ竜の文化がどんなものであれ私にとって彼女は命の恩人。よほどの悪事でない限り、当然恩は返すつもりであった。
「君は命の恩人だ、そう畏まらなくていい。この恩はいつか必ず返そう。」
なおも居心地悪そうにしている女に告げて、再び頭を下げる。
これが私と彼女の出会いだった。