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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

塔の上のペルシネットは退屈だった

作者: 綾月いと

グリム童話「ラプンツェル」は、1698年にフランスの作家ド・ラ・フォルスが書き下ろした「ペルシネット」がもとになっているそうです。そこからまた元ネタがあるのですが割愛。


 あるところに若い夫婦がおりました。

 初めての子を身篭った夫婦は喜びましたが、やがて妻は身体を崩し衰弱していきました。


 このままでは妻も腹の中の子も助かりません。

 ある日ベッドの上の妻は夫に言いました。「隣の魔女の畑で栽培されている青野菜(ラプンツェル)を食べなければこのまま腹の子も死んでしまう」と。

 藁にも縋る思いで夫は深夜に魔女の目を盗んで畑を荒らしました。翌日に盗んだラプンツェルを食べさせれば、日に日に弱まっていた妻の体調は回復し、それから毎晩夫は魔女の畑にラプンツェルを盗みに行きました。



 そして待望の娘を夫婦は授かることができました。

 しかし、魔女は畑からラプンツェルが消えていることを見抜いておりました。そして夫婦を脅します。「呪われたくなければ、代償としてその娘を自分に寄越せ」と言い、我が身を案じた夫婦は生まれたばかりの娘をその魔女に渡すしかありませんでした。


 それから魔女は森の奥の高い塔に籠って、赤子を育て始めます。その赤子は「ペルシネット」と名付けられました。




 ペルシネットは18歳まで、そこで魔女に育てられました――。







 森の奥には不思議な噂がありました。



『森の奥にある塔には、この世で絶世の美女が幽閉されている。しかしその娘は魔女に呪いをかけられて、塔の上から外には出られなかったそうだ』




 友人からその噂を耳にしたユリオスは、ぜひ一度この目でお目にかかりたいと森の奥に馬で駆け出して行きました。


 ユリオスはこの王国の第二王子として生まれ、兄に比べれば自由に遊んで暮らすことを許されておりました。そして彼は無類の女好きであり、「王宮の遊び人」としていつも女遊びの噂が絶えませんでした。

 自分の恵まれた容姿に自信があったユリオスは、必ずや絶世の美貌を持つ美女を自分のものにしようと息巻いて、友人達が止めるのも構わずに森の奥へと向かいました。



 やがて森の奥で美しい歌声を聴き、ユリオスは馬を走らせると古びた石の塔を見つけました。

 しかし塔を見上げても美女の姿はありません。歌声も塔を見つけると聴こえなくなっていました。

 代わりに塔のそばへ近寄れば、まるでこれを伝って登ってこいと言うように長い髪が垂れていました。ブロンドの美しい女性の髪です。


 馬を近くの木に括りつけて、王子は塔を登っていきました。

 やがて塔の窓から中に入ると、そこから歓迎する声が聞こえて来ました。




「まあ、これはまた身なりのいいお客様が来てくれたのね。いつもここで退屈していたの」


 部屋の傍らにある天蓋付きのベッドで、こちらを品定めする粒らな目がある。それは紛いもなく美しきブロンドを持つ絶世の美女だった。



「お初にお目にかかるよ。マドモアゼル。私はこの国の第二王子のユリオスと言う。会えて光栄だよ」


「あら、王子様。私はペルシネットと申します。よろしければ話し相手になって。ここは何もなくて退屈なの」


 魔女にここへ閉じ込められ、退屈な日々を過ごすと言うペルシネットにユリオスは同情すると同時に、その無邪気な振る舞いに惹かれるものがあった。


 その日も夕刻が近づき、ユリオスは帰らねばと言った。その人の耳元に口を近づけ、ペルシネットは悪戯っ娘のように告げる。



「今度来るときは、ぜひ夜にいらして。夜には魔女の目を気にせずゆっくりとお話しできますわ」




 それから二人は夜に逢瀬を重ねていく。

 その娘には魔性の魅力があると、ユリオスは夜な夜なその麗しき娘のもとを訪れては、ベッドの上で娘の濡れた身体を抱いた。

 成人しているユリオスに比べれば、その娘はまだ幼いが、ベッドの上では惜しげもなく艶やかな表情を見せる。その娘の胸の膨らみにあるラプンツェルのような不思議な痣を、ユリオスは独り占めできることに喜びを感じていた。


 不純な営みを済ませると、ある時ユリオスはペルシネットにこう尋ねた。



「ペルシネット。ここを出たいとは思わないのかい」


「……それはできませんわ。魔女に呪いをかけられています。私はここから出ることを赦されません。これまで愛した殿方も、魔女に見つかると二度とここへ戻ることはありませんでした」



 これまでも彼のようにペルシネットの魅力に虜になった紳士達は、結局魔女に見つかるとどこかへ姿を消してしまった。「だから、あなたももうここには来ない方がいいでしょう」と、ペルシネットは悲しそうに言う。


 すっかりペルシネットに心を奪われていたユリオスは、どうにかできないかと思案した。願わくば彼女を自分の妻として王宮に迎え入れたい。

 しかしそれには魔女の呪いが邪魔になる。ならば魔女を殺すしかないと、ユリオスは自身の険しい顔がはっきりとわかるほど剣を磨き上げた。


 彼の友人達は止めようとした。

 馬鹿なことはするな。あの公爵家の後継も、この国一番の貿易商も、隣国の王子も、塔の上に登って帰って来る者はいなかったんだぞ。全員魔女に食い殺されてしまった。




「ペルシネット。魔女はどこにいるんだい」


「どうしてそんなことを聞かれるのですか?」


「僕が君をここから自由にしてあげよう。魔女を殺せば君の呪いは解けるはずだ」


「それはそうですが、あまりにも危険です。あの方はこの下の地下に潜って、夜な夜な怪しげな薬を作っていると言います。見つかれば魔女に目玉をくり抜かれてしまいます」


「そうだとしても、僕は君を救いたいのだよ。ペルシネット」



 この日もペルシネットと密な関係を楽しみ、ユリオスは隙を見て嗅がせた睡眠薬で彼女を眠らせた。そして絨毯の下に隠してある床下への階段を、ユリオスは腰の剣を握りしめてそっと降りていく。


 それは迷路のように果てのない階段を、ユリオスは足音を忍ばせて降りていく。

 やがて塔の最下層では灯りの揺らめきが、ある扉の中へと消えていくのを彼は捉えた。きっと魔女だ。この目で見たことはないが、魔女は歳をとらないと言う。



 その扉の前で息を殺し、魔女に気づかれぬように近づく隙を窺っていた。木でできた扉を押し破り、薄暗い部屋にユリオスは矛先を向けて押し入った。


「こ、れは……」



 しかし、そこにある光景はユリオスが想像にしないものだった。夜な夜な実験をしていると言う魔女の部屋は、腐臭が漂う血と肉片の惨劇のようだった。

 あまり広いとは言えないその部屋には、天井まで赤黒い血痕が飛び散っていた。部屋の一角には、割れたガラス窓の棚や、床に散乱した実験器具の残骸、そしてもう一角には、精肉店で見かける豚の晒し首のように、血塗れの人型のものが縄で逆さに吊るされており、そばには処理に使われたばかりの鉈や鋸が転がっている。


 目に焼き付ける逆さ吊りのいくつかには、見覚えがある。片目のくり抜かれたあの顔は、まさか隣国の王子では? その奥にはだらしない体格の男の裸体がある。あれはもしや消息した貿易商人では?



 鼻がもげるほどの腐臭の正体に衝撃を受け、ユリオスはその場から動けなくなる。いや、自分の意思では動けなくなっていた。


 ユリオスの背後からは、ひたひたと足音が近づき、気配もなく彼の右手を肩から斬り落とした。カランと剣が硬直した手に握り締められたまま床に落ちる音が響く。



「ぎゃぁあ゛あ゛あああああッ!!」


 部屋の中央で膝をついて、床に転がる腕と自身の失われた片側を交互に見つめる。自身の口から飛び出す断末魔にユリオスは余計に冷静を欠いている。



 恐る恐る後ろを振り返れば、黒装束を頭から被る女がいる。

 魔女だ。得体の知れないその黒装束こそ、ユリオスが砕かねばらならない邪智暴君の姿だ。死に物狂いで異端の顔を睨みつける。




 ユリオスの腕を斬り落とした衝撃で乱れたのだろうか。黒装束がはだけた胸元には、毎晩愛したラプンツェル柄の痣がある。


 ユリオスは混乱した。こちらを見つめるペルシネットの冷たい表情に。




「ここは魔女が死んだ部屋よ。処刑部屋ね」



 美しい顔に返り血を浴びたペルシネットは、静かに答えた。

 ユリオスはまだ何が起こっているのか頭で整理ができない。どうして彼女の手にこの腕を落とした鎌が握られているのだ。




「ねえ、魔女の肉って食べたことある?」


 ペルシネットは穏やかに問いかける。

 目の前でユリオスが恐怖に震えているいと言うのに、そのペルシネットの表情はベッドの上で見るものより艶やかだ。


「お、お前が、まっ、魔女だったのか……!?」


「馬鹿なこと言わないで、王子様。あんな自分勝手な人と一緒にされるなんて心外よ」




 ペルシネットが初めて男の人を知ったのは、16歳の時だった。

 追われる身の盗賊が、ある日この塔に登ってきた。退屈な日々を過ごしていたペルシネットには、その人の存在はとても刺激的だった。夜な夜な逢瀬を重ねていたが、それも魔女にバレてしまう。ペルシネットの腹が日に日に膨らんでいったのだ。



「だってあの人、私のお腹の子供を堕しただけじゃなく、今度同じことをしたら子宮ごと潰してしまうなんて言うのよ。ふと思ったわ。私はこのままこの女のお人形にされたまま死ぬのかしらって」


 そしてふと、先を見ても暗闇しか見渡せないペルシネットの世界に、亀裂が入った。愛した人も、その人の子供も、あの身勝手な魔女に奪われてしまった。


 ペルシネットには退屈だけが残った。



「だからそいつが食べる料理に毒を仕込んで、そいつの首を跳ねてやったわ。清々した。魔女も死ぬんだわって。ここじゃ料理くらいしかやることもなかったから、邪魔なそいつの肉を食べてみたらすっかり歳を取らなくなってしまったわ」


 軽くなる身体と、魔女の魔力を授かったのは嬉しい誤算だった。あんな拙い肉を食べた見返りくらいあってもいい。



「不老の魔女も不死ではなかったわけね。でもね、今ならあの女の気持ちが少しわかるような気がするの。誰だって美しい姿のまま生き続けたいじゃない。でも退屈なのはもう嫌なの。だからゲームを始めることにしたのよ」


 18歳からペルシネットの時間は止まったままだ。

 再びペルシネットは退屈になってしまった。この退屈を解消することができるとすれば、この身体に染みついた男と血の味だろうか。


 退屈を紛らわすためなら、どんな嘘も裏切りも彼女には有意義なことだった。



「ねえ、王子様。もう眠いでしょう。こんなに血を吹き出してしまったら、もう手遅れよね」


「馬鹿な……や、やめろっ……」



 冷たい手に触れられ、ユリオスは戦慄した。

 自分はもう助からないのだと、今からくり抜かれる彼の目は悟っていた。瞳孔は乾くほど開き切り、血管が張り裂けそうなほど充血している。




「貴方とのえっちは退屈だったわ。王子様。死ぬときくらいは楽しませてちょうだい」










 森の奥には不思議な噂がありました。




『森の奥にある塔には、この世で絶世の美女が幽閉されている。しかしその娘は魔女に呪いをかけられて、塔の上から外には出られなかったそうだ』




 森に迷い込んだ一人の男が、高い塔に垂れ下がる長い髪に触れる。まるでこれを伝って登ってこいと言うように、どこからか小鳥のような歌声がした。




 ペルシネットは微笑んだ。



「あら、今度はあなたが来てくれたのね」




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[良い点]  最後の1行で、バサンッて扉が閉まる感じ。  決まってます。あれでカタルシスがあります。構成はもう動かせませんね。完成品の印象。  長さが良かったです。緊迫感の持続と、高鳴りがありまし…
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