ゴブリンと自信 その2
ダンジョン協会ロビーから奥の部屋、そこに門が設置されている。
というよりもダンジョン協会が門を保護するように建てられていた。
ダンジョンに入場する冒険者たちは、ダンジョン協会にある『門の間』の手前にある電車の改札のようなものに、自分の所有する冒険者証をかざす。
その改札のような機械により、冒険者のダンジョンへの入退場を把握しているのだった。
かくいう僕もその改札のような機械に冒険者証をかざし、ピッというゲートの開閉音を背に門の間へと進む。
「さぁ、初めての冒険だ……」
目の前にたたずむ門の中は黒い霧が立ち込めており視界が悪い。
そしてその深い黒が満ちる門は、今にも僕を飲み込んでしまいそう、そんな圧迫感がある。
すくむ足に、僕はごくりと唾を飲み込み、中に入ることを決心した。
右手を暗闇の中へ恐る恐る押し込み、体に異常がないことを確認すると、一歩、二歩、三歩と霧の中へ歩を進めた。
しばらく歩き、恐怖心もある程度和らいできた頃、あたりの霧が一気に晴れ、薄暗い石造りの部屋が眼前に現れる。
燭台の明かりに囲まれたその部屋には、中央部に階段があり、その階段こそがダンジョンの入口なのだと、確かめる必要もなく理解した。
すでに先ほどまでの緊張も恐怖もなく、それを打ち消すかのような興奮と期待感で、前に進む足取りは軽い。
僕はコツコツ貯めたお金で買った胸部のプレートアーマーをひと撫でし、階段を勢いよく下る。
コツコツという足音とガチャリガチャリというプレートアーマーのぶつかる音が階段中に広がった。
その音が冒険者になったことを自覚させる。
さぁ、最初の敵はどこだ。
階段を下り切り辺りを見回す。
景観は変わらず石造り。
ただ、階段を背にまっすぐな道が続くばかりだ。
僕は勇み足で歩き出す。
数百メートルほど歩いたころ、左右への分かれ道にたどり着いた。
右左と確認すると左側の道の先、数十メートルのところでダンジョンの壁面で何かがうごめいているのが見えた。
僕はそれがなにか、すぐに理解する。
リポップだ。
通常魔物はダンジョンの壁から産み落とされる。
周期的に起こる現象なのか、それとも完全にランダムに起こる現象なのか、そのあたりは未だに解明されてはいないが、ただ、魔物はダンジョンの壁から生まれてくるのだ。
僕はその現象に気づくや否や、一目散に駆け寄っていった。
息を切らしながら魔物のもとへと到着すると、それと同時か、魔物が壁から完全に剥がれ落ちる。
よくわからない粘液のようなものをまとったそれは、よく話に聞いたゴブリンだった。
第一階層に出現する魔物、ゴブリン。
その見た目はファンタジー小説やアニメに出てくるようなものと似通っていて、しかし、大きな違和感を感じさせるものだった。
なんだろう、この違和感は。
暗い緑色の肌に紫色の肌。茶色い腰布の上にはでっぷりと出たお腹。
しかし対照的に胸はあばら骨が剥き出しになっていて、腕も細い。
指先には3、4センチくらい伸びた黒い爪が生えており、鋭く光っている。
図鑑で見たゴブリンだ。
でも僕が知っているモノとは何かが違っていた。
様子を見て向かい合っていると、先に動き出したのはゴブリンだった。
キヒヒと笑い声をあげ涎を垂らす。
すると十数メートルあった距離をこちら目掛けて一目散に走ってきた。
来る。
ゴブリンは僕に向かって長い爪を振り下ろしてくる。
僕は鞘から抜いたショートソードを使いその爪を弾いた。
互角か?
ゴブリンは爪を弾き返されると、後ろに飛び下がり距離をとった。
なんとも恥ずかしい話だ。
最弱と言われるゴブリンでさえ互角、簡単に切り伏せることすらできない。
自分の才能の無さに再度失望した。
だが、互角、勝てる可能性だってある。
大丈夫、大丈夫。
そう言い聞かせる。
そうだ互角なんだ。
だったら勝てる。
そう考えているとゴブリンはキヒヒと、再度笑った。
さぁ、来るなら来い。
覚悟を決める。
しかし、ゴブリンはいつまで経っても攻撃をしてこなかった。
それどころか、笑い声をどんどんと大きくしていく。
キヒヒ、キヒヒキヒヒ。
気持ちが悪い。それでもゴブリンは笑うのを止めない。
キヒヒヒヒヒヒヒヒ。
(うるさい、さっさとかかって来い)
キヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ。
(やめろ笑うな、そっちにやる気がないならこちらから行かせてもらう)
キヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ。
そのとき、僕は気づいた。
ショートソードを握る手が震えていた。
カタカタと震える手、それを認識すると途端に体も震え始める。
(毒でも食らったか?いや違う。僕は攻撃なんて受けていない)
しかし確実に震えている。
(震えるな、互角だ。互角なんだ。)
僕は強く念じる。
(そうだ互角なんだ……)
まさにそうだった。僕とゴブリンは互角だった。
互角。五分と五分。引き分け。
似たような言葉が思い浮かぶ。
だがそれのどれも今の状況とはそぐわないということに気づく。
(違うんだ)
そう、違った。
(五分と五分の試合をしているんじゃない)
ここはダンジョンだ。出てくるのは言葉の通じない魔物だ。
(僕たちは今、殺し合いをしているんだ)
先ほどの違和感の正体に僕は気づく。
それは殺意だった。
図鑑で見たゴブリン。
ゲームに出てくるゴブリン。
それらになくて、今目の前のゴブリンにあるもの。
今目の前には、どんな手を使ってでも僕のことを殺そうという、れっきとした純粋無垢な殺意があった。
体の震えが強くなる。
僕らは互角だ。
僕はゴブリンを倒せるかもしれない。
では逆は。
ゴブリンが僕を殺すかもしれない。
なぜなら、互角だから。
殺意が僕の肌を撫でる。
色々なことが頭で巡る。
なぜ僕はゴブリンを倒せると思っていた?
どうして?
互角なのに?
そもそも本当に互角なのか?
その自信はどこから?
根拠なんかない。
すると笑うのをやめていたゴブリンと目が合った。
そして、広く裂けた口をニンマリと歪め笑った。
キヒヒ。
僕は恐怖した。
体から冷や汗を吹き出し、さっきまでとは比べ物にならないほど、体がガタガタと震えている。
呼吸も浅くなっていき、ついにはそのやり方もわからなくなってきた。
怖い。
今まで何もしてこなかったゴブリンが飛びかかってくる。
怖い怖い怖い怖い。
恐怖に飲み込まれる。
死にたくない死にたくない死にたくない。
このとき、僕とゴブリンは互角ではなくなっていた。
いやだいやだいやだ。
僕は咄嗟に目を瞑りショートソードを前に突き出した。
するとギャアという呻き声とともに手に衝撃が走った。
恐る恐る目を開けると目の前にはゴブリンがいた。
体温が一気に上がる。
ただし、幸いなことにゴブリンは突き出したショートソードに喉元を貫かれていた。
僕は安堵した。
死ななくて済んだ、と。
しかし、ゴブリンの目から殺意は消えていない。
ゴブリンは刺さったショートソードの刃を握りしめる。
ゴブリンの手からは紫色の血が滴っていたが、そんなことさえお構いなく、ショートソードをさらに深く突き刺すように、こちらへ迫ろうとしてくる。
表情は変わらない、気持ちの悪い殺意のはらんだ笑顔だ。
怖い。
このゴブリンは痛くないのか。
なぜ諦めないのか。
ゴブリンはもう片方の手を大きく振り下ろす。
シュッと風切り音がし、ゴブリンの爪が頬を掠めた。
その痛みに目を丸くし、頬に血が滲むともう一度ゴブリンと目が合った。
そしてゴブリンは笑った。
キヒヒ。
僕は叫んだ。
うあああああああああああああああああああああああああ!
体が勝手に動く。
ゴブリンを足の裏で蹴り飛ばしショートソードを引き抜く。
そしてのけり倒れたゴブリンの顔目掛けてショートソードを突き立てた。
一回、二回、三回。
だめだ。まだ生きているかもしれない。
四回、五回、六回。
もっと。もっとだ。
七回、八回、九回。
たりないたりないたりない。
僕はゴブリンの顔を突き刺し続けた。
刺すたびに降りかかる返り血など気にもせず、何度も何度も。
腕が疲れ痛み始めた頃、僕はついに突き刺すのをやめた。
怖い怖い怖い。
本当に死んだか確認をするため、ゴブリンの体を触り顔を覗き込む。
体は今さっきまで生きていたことを裏付けるように温かかった。
顔はもはや原型などく、おそらく目玉だったものはたまごの殻のように割れ、中からとろりとすた液体が流れていて、おそらく頭だったところからは肌ピンク色のプリン状のものが白い骨の隙間からこぼれ落ちていた。
僕は嘔吐した。
気持ちが悪い。
目の前のそれが汚いからか。
違う。
鼻腔をくすぐる最悪な臭気のせいか。
違う。
それは、そこに横たわる凄惨な死体が僕だったかもしれなかったからだ。
昔感じた死の記憶。
トラウマに似たそれとともに吐しゃ物が登ってくる。
僕は吐き続けた。
吐いて吐いて吐き続けた。
胃の中のものを吐ききっても吐き続けた。
胃酸すら吐ききっても、それでも吐き続けた。
しばらくすると、ゴブリンの死体はダンジョンの性質で霧散した。
ひとしきり放心する。
どっと疲れた。
帰らなければ。
そうしないとまた、ゴブリンに見つかる。
さきほどの恐怖を思い出し、満身創痍な体を引きずり立ち上がる。
僕はダンジョンの壁に体を預け来た道を戻っていった。