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「おじさーん! 廻元おじさーん!」
「おお!」
山門を駆け込んだ京子が玄関で呼ばわると、野太い声が応じて、着古してあちこちほつれた黒い衣の坊主がのそりと出てきた。
がっしりとした体躯、分厚い胸板、手足も太くて、山の中なら熊と間違えそうな毛深さ、つるんとした頭と対照的にごわごわ生えた髭。
………観光客があまり来ないのがわかるような気がする。
「京子! 珍しいなあ!」
なんだか声で柱がひび割れそうだ。
「お客さまですえ」
「こんなところへ酔狂な」
廻元は大きな丸い目をぎょろりとこちらへ向けたが、京子が事情を説明するのを聞き流しながらすたすたと近づいてきたかと思うと、ぐい、と周一郎の腕を掴んだ。
「え…?」
ぎょっとする周一郎を無視して、熊坊主はこちらに向く。
「おい、そこの」
そこの?
「お前だお前」
ってこの場合は俺、だよな?
「は、はいっ」
呼ばれて慌てて返事する。
「こいつの靴を脱がせてやれ」
「あ、はいはい」
思わずしゃがみ込んだとたん、ふわりと周一郎の体が浮いた。小さな子供のように抱え上げられた足から革靴を抜くと、相手は小荷物のように周一郎を抱えてさっさと奥へ入っていく。
「おーい?」
いきなりどこへ連れてく気だ?
「おじさん! いきなり何すんの!」
京子が驚いて後を追うのに、俺も急いで従った。
よほどへたっているのか、周一郎は身もがき一つする気配もない。
「すんまへん、おじさん、いつもあんな人で」
ぱたぱたと小刻みな足音を響かせながら、京子が引きつった顔で謝った。
「ちょっとびっくりした……おじさんって親戚?」
「遠いんですけど、変わりもんで……うちの身内って変わりもんばっかりやわ」
恥ずかしいのか怒っているのか、京子はぷんぷんしながら先へ進む。
「おじさん! どこにいはんの!」
「こっちだこっち、そっちじゃない」
「もうっ、そんなんわからへんわ!」
からかうようにも聞こえる廻元の声に京子の怒りは高まるばかりだ。
「こっちだ」
「え、ここって、寝間やん! おじさん、何してはんのっ!」
場所から何かを察したらしい京子が慌てた顔で飛び込んだ。同じく続いた奥の間にはいつの間に用意されていたのか、布団が一組敷かれていて、早々にそこに周一郎が放り込まれている。
「滝さん……」
くたんと寝そべっていたのを、俺達が飛び込んだのに困惑した顔でちろりと掛け物の裾を直している廻元を見遣る。サングラスも強制的に外されたのか、額に髪を乱して眩そうな眼を晒している。見上げる顔はまだ青白く、それでも見返されてまともに視線を浴びた京子がびくりと立ち止まり、ほう、と酔ったような溜め息をついた。
「周一郎さん………男前やわぁ…」
う。
確かにきちんとまとめていた前髪が垂れ落ちて、白皙の美少年ってのはこういう感じだろうなという端麗さ、頼りなげに枕に頬を預けている顔がかなり艶かしい。
「なあ、格好の美童だろう。和尚のわしとで布団を挟んでというのは、いい絵にならんか」
くつくつ笑いながら、廻元が洗面器で水を運んでくる。
「幸いここは寺だしな、色子というのも満更悪くは」
「おじさんっ!」
京子が真っ赤になった。
「アホなことばっかし言わんといてっ!」
「ほほう、『意味』がわかっておるのか、いや、感心感心」
廻元は豪快に笑った。
「そもそも衆道というのはな」
「お客はんに失礼やろっ、ほんまにもうっ!」
「衆道?」
確かそれってのは、と考えかけた俺に廻元が呼びかけてきた。
「おい、どうだ、一献やらんか、相手がなくて困っていたところだ」
「あかんのっ! まだお昼やない!」
「わかったわかった、お前はどうも堅くていかん」
わはは、と廻元は大笑いしながら立ち上がり、
「ちょいといい菓子があるぞ、一緒に茶を飲もう」
一人で決めて俺を引きずっていこうとするのに、慌てて遮った。
「あ、俺、ちょっとこいつの様子を見てから……伺います」
「伺いますぅ? 他人行儀なやつだな」
いや、他人だろうが。
ついさっき会ったばかりだろうが。
「廊下を出て左の部屋におる、早く来いよ」
「はあ」
「なんだなんだ、安心しろ、まだ襲ってはおらん」
まだ? どういう安心なんだそれは。
思わず憮然として見返すと、廻元は体を揺すってまた一笑いし、そやからあそこの坊さんは破戒坊主やとか言われるんやないのっ、となおきりきりした京子を追い立てて部屋を出て行った。