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京都舞扇 〜猫たちの時間2〜  作者: segakiyui
17.ラストシーン

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「滝様!」

「ただいま、高野さん」

「ようこそ……ようこそお帰り下さいました!」

 おお。

 俺はいそいそと出迎えてくれた高野にちょっと感動した。

「なんか凄く偉くなったかん…っ!」

 ごんっ。

「滝……様」

 嬉しくて何となく足取り軽く門を潜ろうとして目測を誤り、目一杯門柱にぶつかった。

「……お変わりないですねえ……」

「なんで嬉しそうなんだ?」

 いてててと頭を撫でながら睨みつけると、高野はなおも笑みを深めた。

「いえ……この半月、もうお屋敷が静かで静かで」

「おい」

「どこからも悲鳴も絶叫も破壊音も聞こえませんし」

「あのな」

「絨毯も美しいままですし、お部屋に至っては塵一つないまま清められた状態ですし」

「げ」

 ひょっとして積み重なっていたメモとか下書きとか何か処分した?

 血の気が引いて確認すると、ええそっくりすっきり捨てました、と笑顔で返されてくらくらする。

「どうかなさいましたか?」

「いやもうなんていうか、あそこには明日提出期限だったレポートの原稿が」

「……判読不可能なものばかりでしたが」

「わかるの、俺には!」

 泣きそうになって叫ぶと、相手がくすくすと悪戯っぽく笑い出しはっとする。

「捨ててない?」

「はい」

 私はそのようなことをいたしません。

「滝様は坊っちゃまにとって特別な方ですからね」

 それに何より。

「私共が見失ってしまったあの方を、無事連れ戻してきて頂きました」

 しみじみとした声音に反論しかけたのを止めた。

「どれほど感謝しても……足りません」

「あ……ああ」

 へへへと笑いかけた矢先、

「私の感謝を受け取って頂こうと思いまして、過去数ヶ月に破壊された数々の精算はなしにさせて頂きました」

「う」

 そんなに溜まってた?

 おそるおそる尋ねると、真面目な顔で、

「この先五十年ほど無給にさせて頂けるほどには」

「え、えー、だってあの妙な形の壷なんかそんなにしないんじゃ」

「あれはですね」

「………ひえええ」

 高野が教えた時価は俺の予想にゼロが六つほどくっついていた。

「もう少し気をつけて頂けると」

「わかりましたごめんなさいもうしません」

「もう一つ気をつけて頂けるなら、今後数ヶ月の破壊分もなしにしてもよろしいのですが」

「決定事項かよ」

「可能性は無きにしもあらずですし」

「……わかった、で、何」

「……」

 高野が静かに視線を送って気がついた。

 湖の方へ繋がった道、その彼方に小さくたたずむ姿。

「周一郎?」

「お食事を召し上がられません」

「……あの馬鹿」

 どついてきてやるよ、それでいいんだろ。

 手にしていた鞄を押しつけて身を翻すと、高野は静かに頭を下げた。


 湖の側、白い十字架は信仰から来るものではなく、ただ演出された墓標という意味だともう知っている。

 ぼんやりと佇んでいた周一郎の足下には珍しくルトが居なくて、それでも近づいていった俺の足音に振り返った周一郎は一瞬真っ青になるほど顔色をなくした。

「滝…」

「なんだ? 幽霊に見えるか?」

 あまり激しい動揺に思わず少し手前で両手を広げて立ち止まる。

 『直樹』ならここで飛びついてくるところだが、そう思っていたけど、やっぱりこいつは飛びついてなどはこなくて、ゆっくりとサングラスを押し上げた、その指先だけが微かに震えているのが見えた。

「それとも、俺の顔を『また』忘れたのか?」

「……っ」

 泣きそうな、そう言うと一番近い表情が掠めてすぐに消え去る顔、微かに揺れた体が『忘れた』ならば飛びついていける、そう迷ったようにも見えた。

「わかってるはずでしょう」

 掠れた声が嘲笑う。

「僕は朝倉周一郎ですよ?」

「そうだな」

「なのになぜ……」

 どうやら来てくれないらしいと諦めて側に近づいていく俺を凝視しながら、

「戻って来たんです」

「は?」

「だって」

 また同じことがあるかもしれない。

 冷えた声が怒りを満たして響く。

「同じように命を狙われて」

 今度こそ死ぬかもしれない。

「なのになぜ」

「前の大家のとこは無理なんだよ」

 今のところ敷金もないし。

「お由宇のところも今ばたばたしてるしさ」

「お金を貸します」

 即座に周一郎は言い放った。

「必要な分を、ああそうだ、今回のお礼に渡しますから、それでどこか適当な所を探してくればいい」

「嫌なのか?」

「え」

「俺がここに居るのは嫌なのか?」

「危ないって、言ってるんです…」

「嫌なのかって聞いてるんだ」

「僕は」

「俺が居るのが嫌なら出ていく」

 周一郎がよろめくように支えを求めるように十字架に触れる。

「嫌…です」

「う」

「嫌……だ」

「そ、そうか」

 それなら仕方ないよな、しまったちょっと自惚れたなこれは。

 なんだか急に恥ずかしくなって、慌てて弁解しようとした俺に、周一郎が思い切ったように続けた。

「あなたが傷つく…のが」

「え?」

「僕はもう」

 あなたを絶対失いたくないんです。

「『直樹』……じゃない、よな?」

「……『直樹』になったら……」

 そう言っていいですか?

 のろのろ俯く相手にはっとする。

 夢の中で翻る扇,どちらを選ぶかと廻元が問う、どちらか一人、けどその応えは。

「…ばかやろう」

「った」

 ばこりと周一郎の頭をどついた。

「何をするんですか」

「『直樹』になってもお前じゃないか」

「……」

 すううっと見る見る周一郎の顔が赤くなった。

「それに今度こんなことがあったら真っ先に逃げる、安心しろ」

「…はい」

「二度と危ないことには手を出さない,飛び込まない突っ込まない」

 保証はしないが、とこれは口に出さなかったが、すぐ忘れるくせに、と甘い声で詰られた。

「……でも……は」

 目元に光るものが揺れた、それをサングラスを押し上げて隠しながら、

「疲れてるんですね、こんなことが……嬉しいなんて」

 小さな呟きをかき消すように顔を背けて、空を見上げる。

「日射しが強くなってきた、部屋に戻りましょう」

「そうだ、高野がぼやいていたぞ、お前が飯を食わないって」

「食べてますよ、ちゃんと」

「何を」

 朝何を食べた?

「だから…食べてますって」

「食べてないんだな?」

「しつこいなあなたは」

 食べてると言えば食べてます、余計な突っ込みしてるとまたこけますよ。

 足を速めて俺を置き去ろうとする相手に慌てて走り寄る。

「待てよ、待て、周一……どわああっっ!」

「滝さんっ!」

 引っ掛かったのは自分の足、駆け寄ってきた周一郎が堪えかねたように吹き出し笑い出す。

「もう、本当にあなたって人は」

「…すまん」

 見上げた空には明らかなる太陽。

 初めて聞く周一郎の笑い声が響く世界で、葉桜を透かす光に夏の気配が満ち始めていた。 

    

                                おわり


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