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「周一郎さんが滝さんを傷つけるのを楽しむわけがないんだ。どうしてそんなことをしなくちゃならない? たった一人、自分のことをわかってくれそうな人にようやく巡り会ったのに? たった一人、自分の本当の姿を見せても側に居てくれる相手を見つけたのに?」
あれ?
『直樹』のことばが妙なニュアンスで響いてきょとんとした。
おい、待て、なんでそんなことがわかる?
「自分が死んでも誰一人悲しんでくれない、むしろ喜ぶ人間ばかりだ、そう思い知らされ続けてきて、人の心の裏側ばかり見させられて、そんな自分が汚くて嫌で辛くて、どれだけ逃げたくて死にたくて……」
呆然とする。
それは『直樹』というより、むしろ周一郎の、いや、周一郎しかわからないこと、じゃ。
「どれだけ自分が普通じゃなかったことが悲しくて、それでもそうやって生きるしかできなくて苦しくて、なのに、そうしてる場所にたった一人、笑って踏み込んできてくれた滝さんを、『ぼくが』どれほど失いたくなかったか、わかりますか?」
綾野が目を見開いた。
「わかるわけないだろう、あなたなんかに。わかるわけないだろう、『ぼくの』気持ちなんか。大悟だって能力がなくなれば、『ぼくを』見捨てるかもしれない、けれど滝さんは違う、『ぼくを』絶対見捨てない、だって、ルトのことを知っても戻ってきてくれて、『ぼくが』突き放しても笑っててくれて、どれだけ大事だったかわかるわけない、どれほど怖かったかわかるわけない!」
お、い。こんなことってあるのか。
『直樹』が今、『周一郎』の気持ちを話してる、『周一郎』では絶対口にするはずのない気持ちを。
「離れなければ巻き込んでしまう、滝さんを危険に晒してしまう、そう何度も思ったのに、何度も決めたのに、どうしてもどうしても側に居てほしくて、だから『ぼくは』怖くて、側に近寄れないほど、怖くて…!」
「……」
そんなことを、考えてたのか。
あの一メートルの距離は、周一郎が、必死に釣り合いを保とうとした距離、俺の安全と自分の孤独を何とか釣り合わせようとした、ぎりぎりの距離。
「だから、今度だって『ぼくは』、『ぼくが』居ることで滝さんが危なくなるぐらいなら、『ぼく』なんて 要らないんだって思って……」
じゃああれは。
松尾橋から身を投げた、本当の理由は。
「なのに、なのに、それでも『ぼくは』滝さんと再会して嬉しくて嬉しくて、でも滝さんが探してるのは僕じゃなくて、でも『ぼくで』……あ…れ?」
ひょっとして、記憶を失った、本当の理由は。
「『ぼくは』……? 『ぼく』……??」
周一郎、だから一緒に居られない。
けれど、違う人間であれば一緒に居られる。
まさか、そんな馬鹿なことを、考えたり?
「おーい…」
ひょっとして、こいつは世界で一番馬鹿じゃないのか?
「あれ……?」
「ん?」
「……滝、さん?」
「うん……って、え?」
瞬きした『直樹』が訝しそうに俺と綾野を見比べる。
「ここ…は…?」
額に当てた指先、自分の内面を覗くような瞳があっという間に表情を失う。
「この、状況…は」
涙を残した眼にアンバランスな冷静さが漂うと同時に、紅潮していた頬がすうっと白くなった。
「き、さま…っ」
綾野が俺を睨みつける。
「、違うだろっ」
「貴様が余計なことを!」
「違うって!」
いや、何か大きく勘違いしてないか? 挑発したのはそっちだろ。
「滝さん?」
「はい」
「…僕は」
「お前は」
名前を口にしようとした矢先、綾野の背後から全力疾走してくる男に振り向く。
「大変です!」
「何だっ!」
ヒステリックに怒鳴りつけられて、男は一瞬凍りついたが、すぐにうわずった声で叫んだ。
「警察が来てます!」
「そんなことはないはずだ」
「捜査令状があります!」
「なにっ」
さすがに綾野の視線が動いた、その瞬間、俺の中でスイッチが入る。
「逃げるぞ!」
一気に走り出した俺を、数瞬遅れただけで、それまでとは打って変わった冷静さで『直樹』が追ってきた。




