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京都舞扇 〜猫たちの時間2〜  作者: segakiyui
14.明かされた気持ち

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2

「周一郎はそんなやつじゃない」

 才能だけしか認めてもらえなくても。

 それでも朝倉大悟が周一郎にとってただ一つの居場所だったのは、その後の行動でよくわかる。そんな居場所を失って、泣けもしなかったのは、もう自分がこの世界と関わる気持ちがなかったからだ。大悟を陥れた連中を罠にかけて葬って、その後自分はどうなってもいいと思っていたからだ。

「あいつはいつも」

 ぽん、ぽん、とふざけるように大悟の十字架を叩いていた仕草、虚ろで遠い眼差し、溢れるほどの才能と財力を手にしていても、周一郎はいつも生きあぐねていた、俺にはそうとしか思えない。

「誰よりもいろんなことを知っていて」

 誰よりもいろんなものを見ていて。

「だから、黙ってることしかできなくて」

 『直樹』が困惑した顔になる。

「……滝さんは周一郎さんのことをよく知ってるんです、よね…?」

 じゃあ滝さんの方が正しいんですよね?

 『直樹』の中の秤がもう一度周一郎に傾きかけた矢先、

「それに、滝君だって、周一郎に酷い目にあわされているんだよ?」

「え?」

「はい?」

 ふいに綾野が肩を竦めて言い出して、ぽかんとした。

「確かに滝君は善意の人だ。だが、君が見たようにこれほど周一郎のことを心配し大切にしようとしている彼を、周一郎は自分が朝倉家を手に入れるための駒として使ったんだ」

「…ほんと…?」

「いや、それは」

 不安そうに『直樹』が見上げて、俺はうろたえた。

 確かに駒として扱われた、けれどなぜそれを綾野が知っているんだろう。

「表面上では朝倉家の相続問題は周一郎が巻き込まれた哀れな被害者だ。けれど私は違うと思ってる。あのしたたかな小僧が? まさか。そう考えると、あれは全部あいつの仕組んだお芝居だった、そう考えた方が自然というものだ」

 単なる推測か、とほっとして我に返る。

「や、だって」

「そのせいで、滝さんは危うく殺されそうになったんだしね」

「う」

「……ほんと…なんだね…?」

「本当だとも」

 平凡な家庭教師として雇われたと思わせておいて、その実事件に巻き込んで、ゲームの駒のように弄んだ。滝君が犯人だと疑われるかもしれなかった、そればかりじゃない、滝君も殺される可能性さえあったのに。

「周一郎は人間として何かが根本的に欠けていた。自分以外の人間を操ることしか興味がなかった歪んだ性格だったんだよ」

 綾野はあっさり切り捨てた。

「その才能は周囲から恐れられ疎まれた。誰も周一郎を愛そうとはしなかったし、誰も側に居てほしいとは望んでいなかった。大悟だって仕事のことがなければ、周一郎を引き取ったかどうか。彼が居た施設でも気味悪がられて、優しくしようとした保母でさえ怖がって、途中で仕事を辞めてしまったほどだ」

 綾野は事実だけを伝えると言った沈痛な表情を作った。

「なぜなら、周一郎はその保母の触れられたくない傷みを遠慮なく暴いて引っ掻き回し、嘲笑ったからだ。誰だって触れられたくないことはある、知られたくないこともある。なのに、誰も知るはずのないそのことを周一郎は知っていたばかりか、周囲に触れ回った。保母は混乱し、かわいそうに恐怖のあまり周一郎に怪我をさせて馘になったそうだよ」

「っ」

 びくっと『直樹』が無意識のような仕草で額の隅に指を当てた。真っ白になった頬、さっきまで流れていた涙こそ止まったものの、小刻みに体を震わせ、いつの間にか俺の服から手を離して立ち竦んでいる。

「ちゃんとした立派な女性だったらしい。周一郎に出会わなければ、そんなことにならなかったかもしれないね」

「……」

「そして、私の祖母も」

 周一郎の乳母だったのだが。

「そんな冷たくて残酷な少年に誠意を尽くした結果、大切な友人を奪われ殺され、今は失意のどん底にいるよ。彼女が何をした、ただ周一郎の面倒を見ただけだ」

 綾野は深く溜め息をついた。

 いかにも問題のある少年を見守ってきた理解ある大人のように。

 いかにも社会から逸脱した人格に思いやりを向けて接してきたように。

 けれど。

 違うだろ。

 腹の底にぞわりと不快な波が動いた。

 確かに清はそれこそ善意の人だったかもしれない。でも、事実をきちんと見ていたわけでもなかった。自分に見えたものだけを組み合わせて一方的に決めつけて、周一郎の弁解一つ説明一言も聞こうとせずにののしった。

 それほど一筋に周一郎を育ててきたのなら、周一郎がどんな人間だったのか、ほんとは誰よりわかっていたはず、わかっていなくちゃならなかったはずだ。確かにああ、人殺しなんてあんまりなことがあった、それでも、もうほんの少しでも周一郎を信じてやってもよかったんじゃないのか。

「周一郎は人の心がなかったんだ。優しい気持ちがわからなかった。仕事のことしか考えていなかった、それで誰がどうなろうと」

 綾野は眼を細めて苦しそうな顔を作った。

「……君は聞いたことがないか、『SENS』という麻薬がある。あれを扇子に仕込むことを考えついたのは周一郎だよ」

 ぴく、と『直樹』が体を震わせて眼を見開いた。その頭の中で、自分の初作品と奪われた扇、激怒した父が一気に『SENS』ということばに結びついていくのがわかる。

「まさ、か」

 不安そうに紡がれたことばは、その『SENS』に自分の父親が、歴史のある老舗が手を染めているという事実への衝撃だったはずだが、綾野は別な意味に取った。なおも煽るように冷たい笑みを浮かべながら、

「本当だよ。あんなに美しい伝統工芸品を人を狂わせる悪魔の道具にしようと考えたんだ」

「そんな…ひどい」

 ちょっと待った。偉そうに自慢そうに『SENS』に関する裏情報を曝け出してるが、それってひょっとしてまずいんじゃないか? だってそういうことは一般に流通している知識じゃないだろうって、俺でもわかるぞ? 一体何のために。

 呆気にとられた俺の目の前で、綾野は周一郎をなお貶める。

「そうだ、そんなひどいことをする、それも自分の利益のためだけに」

 君はなりたいのか?

「誰からも愛されない、誰からも必要とされない、周一郎という少年に」

 綾野の口調にはっとする。

「こんな善意の滝君まで操り利用し、傷めつけて楽しむような人間に」

 そういうことか。

 ふいに気づいた。

 綾野が口を極めて周一郎を悪の化身のように扱っているのは、牽制のためだけではなく、開きかけている『直樹』の記憶の蓋を閉じようとしているのだ。

 誰だって、ましてや今孤独に陥っている『直樹』が、これ以上救いのない立場に追い詰められてはたまらない、そう思わせることで、周一郎に揺れかけた気持ちを封じようとしているのだ。

「でもそれはう、」

「嘘だ!」

「はい?」

 いきなり台詞を横から奪われ、俺は固まった。

「『直樹』?」

「それは嘘だ、嘘ですよ!」

 今の今まで震えて怯えていた『直樹』が、ぐい、と俺の前に進み出た。髪の毛をかきあげながら綾野を見据える綺麗な動き、その鮮やかさにはっとする。

 これは、この人の眼を奪う印象は。


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