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穏やかに優しい微笑を浮かべながら、口調は『周一郎』そっくりに鋭く厳しく容赦なく、いやむしろ、微笑んでいるだけに性質が悪く見えるほど辛辣なことばを言い放って、ふいに小さく舌を出した。
「『直樹』くん…?」
「似てるでしょう?」
「何…」
「僕は『周一郎』さんに似てるんですよね、あなたも高野さんも間違えるぐらいに?」
「……」
「なぜ、ですか?」
「……」
「双子?」
「…………」
「違うんじゃ、ない?」
優しい声音、けれどそのことばは寸分の逃げを許さない。
「僕は、ひょっとしたら」
「『直樹』だよ」
俺は遮った。
「君は、里岡『直樹』だ」
どこかで見ている綾野の視線、どこかで耳を澄ませている綾野の耳、いつ伸びてくるかわからない綾野の指、そのどれにも掴まれないようにと祈りながら繰り返す。
「君は里岡『直樹』だ」
「じゃあ、どうしてあの扇が必要だったの?」
『直樹』がふいに笑みを消した。
「どうしてあれを持っていったの」
「それは」
「あれがなんだか、滝さん、知ってるはずだよね? あれは僕の初作品。僕の里岡継承を証するもの、なのになぜ、あの時、あの人、佐野さんという人と一緒に持っていったの?」
僕は父に怒られた、とぽつりと『直樹』が呟いて俯いた。
「今まであんなに父が怒ったことはない。覚えている限り一度も。僕が体調を崩すような無茶をした時でさえ、手を上げなかったのに」
「殴られたのか」
「……うん」
言われてみれば、頬に微かな擦り傷があった。
「里岡はもうおしまいだって。自分の初作品を人に渡すような人間には跡を継がせられないって、お披露目も延期になってる」
「人に渡す…?」
なぜ盗られた、じゃないのか、と訝った俺に、『直樹』は淡い笑みを返した。
「差し上げました、そう言ったんだよ」
「え?」
「僕が、滝さんに、差し上げました。僕の恩人だから、そう言ったのに」
「……ああ」
「初作品だからこそ、そう言ったんだ」
父は喜んでくれると思ってた、人のつながりは縁だから、と常から教えてくれていた。
なのに、里岡は激怒した、当たり前だ、あれこそきっと良紀が持ち帰った証拠の品、『SENS』そのものだったろうから。
「……なぜなんだろうって、気になったんだ」
どうしても、納得できなかった。
「なぜ、僕は父に……打たれた?」
それはきっと、手放してはいけないものを手放したから。
けれど初作品を恩師に捧げる、そういう話はよく聞いている。あるいは大切な一品でもこれと思った相手には譲る、それも縁を結ぶ一つの絆、そういうことを見知っている。
何がまずかった? 扇か、それとも渡した相手か。
腑に落ちない、聞かされていたことにも見せられたものとも合致しない一つの事実。
なぜ、あの『扇子』は人手に渡っては駄目だったのだろう。
「そうしたら」
出入りの家政婦が教えてくれた、滝達の取材というのも違うようだと。
「渡された冊子の会社は存在しないって」
ならば、必要だったのはあの『扇子』だ。
「あれには違う意味があった、そういうことなんだと気づいた」
僕の初作品ということ以外の意味。
そして、その意味は。
「僕の初作品、という以上に大切なものだった、ということだ」
だから、僕は、父に打たれた、そういうこと。
『直樹』はたゆとうように揺れる眼差しになった。
「父には、僕より、あの扇の意味の方が大事だった、ってこと……なぜ?」
鋭く冷えてくるその横顔に周一郎の表情が重なる。
綻びてくる、偽りの世界。
綾野にもきっと納得できなかっただろう。
なぜ『直樹』が俺を追い始めたのか。
だから、見えない深い所で『周一郎』が目覚め始めたのだと考えて、動くことにしたのだろうけど。
「違った、のか」
「え? 何が?」
「いや、こっちの話」
いささかがっくりしながら俺は必死に考える。
そうだ、違ったんだ。
『直樹』はちゃんと里岡『直樹』として生きようとしていた。むしろ『直樹』として生きようとしたからこそ、父に反発し、自分が扇を扱う世界で生きていく基本をもう一度掴み直そうとして、俺を、いや、俺が持ち去った扇を探していたのだ。
「なのに」
「ん?」
「なのに、それほど大事なものなのに、探し出そうとすると、みんなが立ち塞がる。……どうして?」
「あ~」
「なんでみんなあの扇にそれほど拘るんだろう、そう思って、今度はあの扇のことを詳しく調べてって」
わかっちゃった。
『直樹』は寂しそうに笑った。
「あれは、僕が作ったものじゃないんだ。僕がデザインしていたなら、まだ扇にはなっていない」
「……どういうことだ?」
「僕のデザイン帳を父が見たのは最近のことだと知らされた……でも、それでは扇は作り上げられないんだ」
だからあれはきっと、他の誰かのもの。
『直樹』はそっと唇を噛んだ。
「他の誰かがデザインしたもの。なのに、どうしてみんな僕のだって言って、僕も僕のだと思い込んでいる?」
デザインした人はきっと傷ついたよ。
声を震わせて誰かの意匠が不本意に利用されたことを嘆く『直樹』、それは皮肉にも扇とその作り手、遣い手を尊重する組織の一員に誰よりもふさわしく見えた。
だが、その誰よりも継承者として必要な豊かな心根を、心やましいことがある里岡夫婦も綾野も勘違いした。『直樹』の動きを勘違いして阻もうとして、逆に自らの非道を暴いていく羽目になっている。
「……『直樹』くん」
「?」
がしっと俺は相手の肩を掴んだ。
「悪いが散歩につきあってくれ」
「え?」
「外に出たくなった」
綾野が駆けつけてくるまで、危険が間近に迫るまで、どれぐらい時間があるだろう。




