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京都舞扇 〜猫たちの時間2〜  作者: segakiyui
2.企みの影
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 急な狭い階段を上がり、奥の部屋で荷物を下ろす。棚がすっきりと空けてあり、小さな洋服箪笥も空になっていた。タオルと歯ブラシのセットがさりげなく置かれて、どこまでも細やかで優しい心遣いを感じる。

 しばらくして呼ばれた夕食の席はもっと感動ものだった。

 菜の花のお浸し、卵焼き、焼き魚、麩の赤だし味噌汁、ぬか漬けのきゅうりとなす、がんもどきとフキの炊きもの、まいたけとあげとたけのこの炊き込み御飯。

「うわ」

「いつも食べてるようなもんですけど、すんまへん」

「いや、嬉しいです、凄くうまそう!」

 いそいそと箸を取り上げてひょいと隣を見ると、いつも豪勢な朝倉家の食事を食べ慣れているはずの周一郎が、気のせいか目元を染めるようにして俯いている。

「周一郎?」

「……覚えててくれたんだ」

「え?」

「へえ、そら忘れしまへん」

 清がにこにこ笑って、はっとしたように周一郎が顔を上げた。無防備な驚きの顔、それがまたうっすらと染まっていく。

「坊っちゃんがしんどいときでも食べてくれはったもんどっさかいなあ」

「何?」

「かやく御飯とふぅのお味噌汁」

 清は嬉しそうに名前を上げた。

「お風邪召してお熱あって、それでもこの二つだけは食べる言うて。他は何にも食べられへんのになあ、いっつもこの二つは食べられますんのんえ」

「清!」

 かあっと、今度は音をたてるほど激しく周一郎は真っ赤になった。

「そんなこと言わなくても!」

「あきまへんの? そら鈍なことで」

 頭を下げてみせながら、清の目は悪戯っぽく微笑んでいる。親しいものだけに許されるからかい、その気配に周一郎が困った顔で口を噤む。

 笑うまいと思ったが、何だか可愛いよな、とにやにやしてしまった。

「いいじゃないか、別に」

 むつっと唇を尖らせている周一郎は俺を無視してはくはくと飯を口に運び始める。

「お口に合いますやろか?」

「合うどころか! めちゃくちゃうまいです!」

「お代わりありますえ?」

「下さい、あ、待って、これ食ってから!」

 俺は慌てて茶腕を空にして清に差し出した。


「あー……食ったー………気持ちいい……」

 布団の上にひっくり返って大の字になりながら呟く。

 時計はもう夜中を回っていて家の中は静まり返り、階下の清はもちろん、隣の布団の周一郎まで微かに寝息をたてている。

 十分で旨い夕飯の後、気持ちいい風呂に入り背中まで清に流してもらい、のんびり寛いであがってくれば、ぱりっとしたシーツがかけられたふかふかの布団が待っていて、もう天国に来たような気分だ。

「いいよなあ……ああいうのを『お袋』っていうんだよなあ」

「清…」

「え?」

 うん、と伸びをしたとたん、掠れた小さな声が響いて、俺は周一郎を振り返った。

 てっきり眠っていると思っていたのに、まだ起きてたのか。

 声をかけようとして、相手がやっぱりぐっすり眠り込んでいるのに気づく。

 サングラスを外して手足を縮め、布団にこぽりと潜り込んでるから、十七、八というより十四、五にも見える。

「寝言か」

 こんなに完璧に感情コントロールしてるようなやつでも寝言って言うのか、それとも、完璧に感情コントロールしてるから、ついつい零れちまうもんなのか。

 周一郎の寝顔を見守りながら、ちょっと人間の不思議に浸ってると、ふいにその睫のあたりから光るものが伝い落ちた。

 どきりとして身動きできなくなる。

「……清………おまえも……僕を……」

 滲んだ声で切なそうに呟き、けれどもう、それ以上は口にするまいとするように、周一郎はきつく唇を噛み締めた。眉を寄せて身体を竦める。手足が震えるほど力を込めて。

 それは昼間のたじろがない姿を裏切る、痛々しいほど怯えた姿で。

「どんな夢……見てんだよ」

 口にするものにさえ神経を使っていたのに、病んだ時でも清の作るものは安心して食べられた。なのに、その信頼が今、周一郎の中でゆらゆら揺れている。

 いや、揺らいでいるのは自分への信頼、なのかもしれない。

 それほど疎まれるような存在なのか、それほど意味がない命なのか、と。

 俺達が初めて出会った事件で、俺に見せた涙は演技だったと周一郎は言った。お人好しの俺を巻き込み利用するための芝居に過ぎなかったのだ、と。

 それが本当なら、今俺が見ているのは周一郎が見せる最初の涙、いや、いじっぱりなこいつのことだから、ひょっとしたらこれが最後の涙なのかもしれない。

「うー…」

 俺は掌をひらひら動かした。

 撫でてやりたい。今すぐこいつの頭をぐりぐり撫でてやり、揺さぶり叩き起こして、辛い夢を断ち切ってやりたい。

 けれど。

「だめ、だよなあ…」

 ぐ、っと手を握って諦める。

 そうやって目覚めた瞬間に、こいつは泣いていたことを全力で否定するに違いない。濡れた頬や伝った水滴は汗だっただの俺の目の錯覚だっただのと不愉快な理由を、そしてその実、泣いてた自分を傷つける嘘っぱちな理由を並べ立てるに違いない。

 そうして、きっと、どこでも泣けなくなっちまうに違いない。

 俺は溜め息まじりに布団に潜り込んで、周一郎に背中を向けた。

 明日の朝は何があってもこいつより先に目を覚まさないでおこう。

 こいつがいつも通り、きちんと満足いくような『朝倉周一郎』の仮面を被り終わってから、何も気づかなかった顔でのそのそ起きあがってやろう。

 目を閉じながら溜め息を重ねる。

 俺には今、それしかできない。

 無力が、はがゆい。


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