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京都舞扇 〜猫たちの時間2〜  作者: segakiyui
12.懐かしき微笑

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2

 そうか。

 どんなに酷い場所や環境であっても、自分で選んで進んできた道ならば、そこには自分の全てがある。

 けれど、どんなに傍目から見て満たされた幸福な環境であっても、そこに自分の生きてきた痕跡が一つもなければ、それは自分の居場所なんかじゃない。

『他の誰も、してくれなかった、僕がまぶしいって言うまで』

 耳元に『直樹』のことばが蘇った。

『どうしてわかったんですか? 僕がまぶしいのが、つらいんだって』

 どうしてわからないことがある、それほど満たされ愛されているはずの居場所で。

 どうして何に苦しんでいるのかわかってもらえなくて、その苦しみを取り除く方法を周囲の誰も知らないなんてことがある。

 ましてや、こうやって助けてほしいと繰り返し訴えるまで、その方法を誰も試してみてくれない、大事にしているならばそんなところまで放置しないはずだ。

 周囲にどれほど見事で美しく揃えられたものがあっても、使い方一つわからない場所の何に人が愛着を感じるだろう。自分が慣れ親しんだ記憶のないものばかりに囲まれて、どうやって人が寛げるのだろう。

「ああ…」

 なんてこった。

「間違っちまった…」

 脳裏に掠めたのは朝倉家の庭、俺から一メートルは離れた周一郎の座る場所、俺にはあいつの考えてることも思ってることもわからない、けれどそこは確かにあいつの選んだ場所だったのに。

 あいつが選んであいつが求めた場所、だったのに。

 朝倉家ならあいつは俺に文句が言える、へたった時に高野にカバーしてもらえる、ルトを抱きかかえて眠ることもできる。

 けれど里岡のあの別荘で、豪華な調度に囲まれて、『直樹』はまぶしいのが辛いのだと訴えることさえできずに一人布団で横になるしかない、光溢れるあの場所で。

「…おんなじじゃねえか…」

 勝手に周一郎の幸せなんて考えて、そんなもの、俺が安心するための手段だったに過ぎないんだ。

 里岡夫妻を嗤えたもんじゃない、俺だって五十歩百歩だ。

 けれど、『周一郎の中身』には俺が一番近くて。取り繕って整えた大人じゃない、頑なに心を押し殺しているあいつを一番よく知っていたのは俺だけで。

「そう、か」

 きっと無意識に、周一郎は俺にすがった、『直樹』を『周一郎』に戻してくれると思って。

 だから熱を出して、寝込んで、ここは嫌だと訴えていたんじゃないのか。俺を引き止め、連れ帰ってくれと、訴えていたんじゃないのか。

 なのに、俺は。

「置いてきちまった…」

 あいつが拒んだ罪のまっただ中に。

 誰も助けてくれない光の牢獄に、幸せになれ、なんて酷いことを言って、置き去った。

『用事はもう、済んだんですね?』

 偽りの安心を押し付けて。

 何もかも見抜いた、懐かしくて鋭い笑み、その奥に底なしの闇をじっと抱えて。

 あなたも、僕を、見捨てるんですね。

 嘲笑が聞こえる。

「く、そっ……俺は…馬鹿だっ…」

 お由宇はわかっていただろうか、いや、きっとわかっていただろうな。

「アホで間抜けで冷凍庫のなすびだっっっ」

 だけど俺は何もわかってなくて。

 付き合い長いんだから、わかっていたなら教えてくれよ、と俺は居ないお由宇をののしった。俺にもちゃんとわかるようにもっとちゃんと教えておいてくれなくちゃ、

「俺にまともなことができるわけねえだろがあっ!」

「……盛り上がってるところをすまないが」

「う」

 ふいに間近から覗き込まれて、両手を上に向けて叫んだ姿勢のままで固まった。

「聞こえたか?」

「はい?」

「聞こえてないのか?」

「何が」

 あまりの自分の馬鹿馬鹿しさに目の前の男の不気味さが吹っ飛んでしまった。爬虫類がどうした、蛇だろうがトカゲだろうがプロキオサウルスだろうがティラノだろうが、

「結局氷河期には勝てなかったくせに」

「……何の話だ」

「冷血動物は大変だと」

「………『直樹』が来る」

 綾野は俺との会話を諦めたらしい。ざまあみろ、爬虫類ごときがホモサピエンスと会話しようなんて百年早い…。

 あれ?

 瞬きして問い直す。

「なんだって?」

「『直樹』が来る」

「………なんで?」

「君に会いに」

「……………なんで?」

「私が知らせた」

「………………なんで」

 何となく、答えがわかるような気がしたが、それを考えたくなくて俺は質問を繰り返した。

「あそこに部屋が見えるな?」

 窓に近寄った綾野が庭の一角を指し示す。

「ああ」

 そこにあったのは小さな離れと言った感じの小部屋、広くて大きな窓、ベランダがあってそこから外にも出られるようだ。

「あそこで『直樹』と会いたまえ」

「……なんで」

「会って、君はここで医学研究に協力することになったから、安心してほしい、と彼を説得するのだ」

「医学研究…」

 それってやっぱりさっきの太田とかいうやつの実験体とかになるって意味だろうな。

「『直樹』は君の所在が不明なことに不安がっている。君が姿を見せなくなって一週間、どんどん手を広げて探し回っている」

「ああ」

 そういうの得意だもんな、というか、元々とんでもなく能力のあるタイプなんだし。

「『直樹』は里岡の病弱な跡取りとして大事にされ世間から隔離されて生きるはずだったんだよ?」

 知るかよ、そんなこと。

「このままではよけいな知識と経験を積むばかりか」

「あー」

 そうだ、遅かれ早かれ『直樹』は朝倉周一郎に辿り着くだろう。表に向けた顔ではなくて、その裏の顔を掴むだろう。

「俺を封じても意味ねえじゃねえか」

「その通りだ」

 だから困った人なんだよ、君は。

 綾野はうっそりと笑った。

「だから君自身に『直樹』を封じてもらう」

「断る」

 そんな役目を誰が負える、今自分がとんでもない間違いをしてたとわかったところなのに。

「断れないよ、もう『直樹』は来てるからね」

「え」

「カメラがいつでも君を追ってる。部屋にも庭にも高性能のマイクがある」

「……スターだな」

「囚われの、ね」

 綾野が言い放ったとたん、ばん、と激しく扉が開いて驚いた。

「滝さんっ!」

 振り返ると同時に飛び込んできたのはまぎれもなく里岡直樹、一気にソファまで駆け寄ってきたかと思うとぎゅっとしがみつかれて息が詰まった。

「どこに、行ってたんです!」

 悲鳴のような声。

「どうして、どこにも、居なかったんです!」

 周一郎。

 涙声で詰られて、しがみつく腕に力を込められて、その瞬間胸に宿った顔に切なくて視界が曇る。

 きっとお前はこんなことは言わない。

 きっとお前はこんなことはしない。

 けれど今響くこの叫びの向こうに、確かにお前の微笑が見える、全てを見抜く、その笑みが。

「…わる…かった」

 俺はそっと『直樹』を抱えた。

「放っていって……悪かった」

 『直樹』がぎゅううっと強く抱きついてきた。


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