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京都舞扇 〜猫たちの時間2〜  作者: segakiyui
11.罠は待っていた

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3

「!」

 急に意識の焦点があった。

 灰色に曇っていた視界に唐突に明暗ができる。同時に、凄まじいめまいとむかつきが襲ってきた。

 口を押さえて跳ね起き、視界の端に映った洗面台に駆け寄る。たどり着くや否や腹からわき上がる苦い塊を吐き戻す。

「ぐ、う、っ…」

 頭の中で極彩色のスパークが飛び散り、胃袋全部吐いちまうんじゃないかと思うほど、俺はたて続けに吐いた。一段落つく頃には目の前は暗くなるし足下は危うくなるし、やっとのことでコックをひねって水を流し、喘ぎながらへたりこむ。

「く…そ…」

 胃が痛くて呼吸が苦しくて、壁にもたれかかってずるずる座り込んだ。めまいがひどい。冷や汗が止まらない。体が小刻みに震えて寒く、口をきくどころか、気を抜くとふっと眠り込みそうになる。

 酒じゃない。こんな二日酔いなんてない。

 脳裏を掠めたのは宮田が話してくれたことがある睡眠薬の呑み過ぎ、が一番近い。

「は…」

 はあはあ喘ぎながら自分の膝の間に頭を突っ込んで真っ白な床を見つめた。のろのろと視線を動かしていって、部屋の中を見上げていくと、壁も天井もみんな寒々と白いのに気づく。

 SF なんかでよく見る、実験室か研究室のようだ。

「どこ…だ…?」

 竹林の中でいきなり襲われたのだ。後頭部を殴られて気を失って、それから?

「…く…」

 また吐き気がこみ上げてきたけれど、膝が笑ってたてなかった。どこのどいつだか知らないが、ついでにここはとんでもなく清潔そうだが知るもんか、残り少なくなった胃の内容物をこのまま床一面に目一杯ぶちまけてやる、そう息を吸い込んだ矢先、がしりと肩を掴まれて体を起こされた。

「苦しいかね?」

 覗き込んだのは、白衣の男、のっぺりとした顔は頭までつるりとしている。

「あ…」

 たりまえだろこのくそやろうおれのからだになにしやがった。

 言いかけたとたんに、ぐぷ、とむせた俺に、男は平然とした様子でまくり上げた腕に注射器を突き立てた。

「君が素直でないからいけないのだよ」

 淡々と子供をなだめるように続ける。

「誰だって『一般人』がこれほど粘るとは思わないじゃないか。弱い薬でもいけると考えるだろう?」

 そんなところに同意を求めるな。

「大丈夫、すぐに吐き気もましになるし、数日すれば普通の生活ができる」

 数日ってなんだよ、数日俺はどうなってるんだよ。

 頭の中での反論はもちろん男には届かない。

「何、軍で使うような『自白剤』じゃない、マイルドなものだ。それだって君が粘るから少々量を過ぎただけで、ああ、しかし君が鈍感だと言ってるのではない、安心してくれ」

 男は少し笑った。

「いろいろと聞かせてもらったが、君は昨今にしては珍しく純粋な気持ちを『周一郎』に寄せているのだね。てっきり肉体関係か何かで繋がってるのかと思っていたが、友情? 親愛? まあそういう非常に微妙な状況で、しかも性欲を介在していないのに強力で安定している精神構造というのは久しぶりに見た」

 おーい……なんか今すごいことを言わなかったか。

 ってか、ここはどこだ? お前は誰だ? 一体俺は何をされたんだ? 第一、

「ど…して」

「おお、もう話せるようになったのか、すばらしい」

 俺は学習中のオランウータンか。

「どうだろう、綾野様の一件が終わったら私の専属実験体にならないか。もちろん報酬は十分出すし、『SENS』はまだ改良が必要なのだ」

「あ…やの」

 ざぶり、と頭から水を被ったような気分になって、瞬きしながら男を見返した。

「じゃあ、ここ、は…」

「さあもう立てるだろう」

 男に腕を引き上げられ、のろのろ立ち上がって部屋から引っ張り出される。室内と同じように飾り気もくそもない、大学の医学部研究室棟を思わせる廊下をよたよた歩きながら、じんわりと痺れていた頭に思考能力が戻ってくる。

 『SENS』の改良、と男は言った。

 そのための実験体が必要だと。 

 あれからどれぐらい時間がたったのかわからないが、髭の伸び具合からすると二、三日はたってるんじゃないか。その間、誰も俺がいないのに気づかなかったのだろうか。

 いや、高野は気にしてくれていただろうし、お由宇はなんとか逃げたみたいだから、捜索願いぐらい出してくれているはず。

 その瞬間に思い出す、朝倉家に居る、偽物の周一郎を。 

 あいつが俺はまだ京都に居る、とかなんとかごまかしてしまえば、それで十分通るんじゃないか? 本物の周一郎が京都に居る以上、あいつは堂々と朝倉家に居座れるわけだし。

 ってことは?

 俺はこのままこの男の実験体とやらになって、ここで一生飼い殺し? それとも、周一郎同様、さりげなく消されていってしまう、のか?

「おひさまの…ばかやろー…」

 ちゃんと見てくれてるんじゃなかったのかよ。

「は?」

 なんだね、それは、と俺を支えていた男が廊下の端のドアを開けながら俺を覗き込んだ瞬間、

「遅かったね」

 ひんやりとした声が俺の思考を止めた。


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