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京都舞扇 〜猫たちの時間2〜  作者: segakiyui
11.罠は待っていた

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1

「え……ああ、そうなんだ、ちょっとこっちで気になることができて」

 電話の向こうの高野は不審そうだ。

『坊っちゃまも御心配なさってます』

 付け加えられたことばに思わず軽く引きつった。

「あ、ああ、周一郎も、な」

 変わりないのか、と尋ねると、

『お元気でいらっしゃいます、ただ滝さまがおられないのをずっと気にされていまして』

 そりゃ、気にもするよな、正体がばれてるかもしれない相手が、こともあろうに本物が居る京都に行ったまま戻ってこないんだから、と一人ごちた。

『は?』

「あ、なんでもない」

「志郎」

「あ、すまん、これから出るんだ。また連絡入れるから」

 支度を終えたお由宇が白いブラウスに淡いピンクのスーツという華やいだ格好で現れて、一瞬どきりとした。

「珍しい格好だな」

「そうね」

 くすりと笑って、バッグだけは大きめのものを肩から掛ける。

「ミニコミ誌の駆け出し記者に見える?」

「そういう触れ込みで行くのか」

 で、俺は?

 そう尋ねると、ひょいと一眼レフを寄越した。

「カメラ?」

「一応随行カメラマン、というところね」

 取材にしちゃ道具が少なすぎるけれど、一瞬だけごまかせればいい。

「夕べはお世話になりました、ということで入り込むわ」

 今別荘に居るのは『直樹』と家政婦だけ、夕方を過ぎれば里岡夫妻が戻ってくる。今入り込むしか機会がない。

「あの扇が『SENS』だったってのは」

 どうにもやりきれねえな。

 唸りながら、カメラと大きめのリュックを背負う。背中でごろん、と動いた塊がぐにゅう、と無気味な声をあげる。

「わかってる、狭いんだろ」

 ルトがまたぐるぐる唸った。

「俺だってあんまりいい気持ちは…ったあっ」

 女の子を背負ってるとか何ならな、と思った瞬間に爪を立てられ引きつった。

「何してるの、行くわよ?」

「や、だってこいつが」

「志郎?」

「はいはい」

 前門のお由宇、後門のルトだ。もともとのヒグマと象に比べるとどっちがましなんだろう? あれ? ヒグマじゃなかったか? 月の輪ぐまだったか?

「行くわよ」

「お、置いてくなよ」

 首を傾げながら、俺は慌ててお由宇の後を追った。


「取材、でございますか」

 応対に出た家政婦は不審そうな顔で俺とお由宇を見比べた。

「はい。最近伝統工業に興味を持つ若者が増えてますし」

 お由宇はにっこり笑いながら名刺とそれらしいパンフレット、見本誌などを広げてみせる。

 パソコンってのはほんと凄いよな、ああいうのが一晩で作れるんだから。それほどお手軽なのに、そういうことに疎い者には、現実にどこかに会社があって、発行されている誌面があるんだと思えてしまう。

「関東の本社でもニューヨークの方でも、活躍されている若手の方の話が欲しいということで」

「はあ、ニューヨーク…」

 おいおい。

 俺は固まった笑顔の後ろで冷や汗を流す。

 確かにニューヨークの方、と言っただけで自分の会社がそこに支社を持ってるとは言ってないし、関東の本社と言っただけで自分達の会社の本社だとは説明していない。

 だから、厳密に言えば、お由宇は「一般的な話」もしくは「知っている会社の話」をしているに過ぎないと言い逃れはきく、きくけど、それってよく防犯ビデオとかに、絶対こういうのには引っ掛からないでとか説明されている手口じゃなかったか。

 平然と微笑む横顔に、きっとお由宇の旦那はいいように操られるんだろうなと溜め息がでた。

 海外の話を持ち出されて相手の心証は少しいい方に傾いたらしい。これだけの家の家政婦にしては不用心すぎるだろうと思っていると、ためらった顔で、

「一応お尋ねしてみませんと…」

「ちょっとお顔を見るだけでも。後でまた伺うこともできますし」

 お由宇は強く押さないで微笑み、そのまま後ろ手で俺に合図した。ごくりと唾を呑んで、俺はリュックのチャックを引き降ろす。

 そのとたん、

「あっ」

「えっ」

 とんっと背中のリュックから飛び下りたルトは、すぐに家政婦の脇を抜いた。一瞬閃いた稲妻のような動き、勝手知ったる他人の家、あっという間に廊下を駆け抜けていくルトに家政婦がうろたえた顔で振り向く。

「何してるのっ」

 お由宇がすばやく俺を振り向き叱咤して、こっちもルトなみの素早さでパンプスを脱いだ。

「申し訳ありません、お邪魔します!」

 有無を言わせず駆け込むお由宇に、あ、と後を追おうとする家政婦に向かって、俺は慌てて声をかける。

「すみません、ほんっとにすみませんっ」

「あ、は、はい」

「あ、あいつ、お腹、減ってたってさっきから騒いでて、ええ、うんと騒いでて」

「は?」

 訝しそうな家政婦に俺に引き止め役は無理だろと思いつつ、必死に話し掛ける。

「やっぱその、リュックに猫、入れとくってのは、む、無理がありますよね」

「あ、はぁ」

「でも、あの、ボストンバッグとか、スーツケースとか、エコバッグとか、そういうのより自然ですよね」

「あ、あの」

「籠とかじゃ爪が引っ掛かるし、ああざるとかだったら大漁だ~とか!」

「ざる?」

 家政婦が凍りつく。

「ざる、に猫ですか」

「あ、普通いれませんよね、ざるに猫」

「ざるに猫は」

「網とか、ならねえ」

「網?」

「ええ、網に猫、っも」

 いれないですよねえ。

 何言ってんだ、俺。

 引きつりながら笑うと家政婦はなお不安そうな顔になって、

「あの一体何のお話を…」

「だから、猫をどうやって運ぶかっていう」

「……それはケージとか」

「刑事? ああ、確かにお由宇の身内は警察だけど、さすがに猫を警察が運んでくれるとは」

「いえケージ」

「掲示? 猫拾いますとか? でもあれって普通ダンボール箱とかにいれてありませんか」

「そうじゃなくて、ケージに入れて運ぶものじゃ」

「ケース?」

「ケージ!」

 それってコレクションとかを入れるもんじゃ、と首を捻った俺に家政婦がいらいらと怒鳴ったとたん、

「何の話をしてるんですか…」

「しゅ…直樹くん」

 ふらりと家政婦の背後に立ったのは、寝巻にカーディガンを羽織った『直樹』。その後ろから、どうもすみません、とルトを抱えたお由宇が現れる。

「本当に申し訳ありません……今日はとてもこれ以上は」

 ほら、ちゃんと抱えてて、そう言いつつ俺にルトを押し付けたお由宇が、いかにもすまなそうに頭を下げながら、今日はもうご無理を言いません、また日を改めさせて頂きます、と家政婦に伝える側で、『直樹』がじっと俺を見つめてきた。

 黒曜石を思わせる透明なまなざし。

 『直樹』の柔らかな視線ではなくて、周一郎の冷やかな気配をたたえた強さで。

「では失礼いたします」

 お由宇が身を翻して出ていくのに、慌てて頭を下げてくっついていこうとすると、

「滝さん」

「う」

 静かな声で呼び止められて固まった。

「お…お由宇…」

「あ、ごめんなさい、社に連絡しなくちゃ」

 お由宇はあっさりバッグから携帯を取り出しながら離れていく。その一瞬、ちらっと視線で促されて、バッグの中の艶やかな黒い反射が見えた。

 ルトを奥へ飛び込ませる、それができなければ何か理由をつけて入り込み、扇子を手に入れてくる。

 お由宇が仕組んだ単純な仕掛けはうまく成果を上げたらしい。早速連絡を取って京都を離れる、そういう心づもりなのだろう、すたすたと遠ざかっていく背中が容赦なく小さくなる。

 おーい……俺は?

「滝さん」

 背後でひたりと足音がして、もう一度柔らかく呼び掛けられ、仕方なくルトを抱えて振り返る。

「はい」

「……カメラマン?」

 『直樹』は少し首を傾げてみせた。もう一歩近付いてきて、そっと手を伸ばす。撫でられたルトがなぅん、と甘えた声で鳴く。

「あ~、まあ、うん」

「……もう会えないんですね?」

「っ」

 ひょい、とふいに掬うように見上げられて、錯覚した、その眼にサングラスがかかっているように。

「滝さん?」

 寂しそうな口調、けれど瞳はどこか優しい。何かの理由があって俺が自分に近付いた、そうわかっていると言いたげな表情が、次の一瞬、懐かしい鋭い笑みに綻んだ。

「用事はもう、済んだんですね?」

 周一郎。

 何もかも見抜く、その叡智にどれほどお前が苦しんでいただろう。

「ああ」

 俺は引きつった笑みを消した。

「もう、会わない」

 俺の姿がお前を引き戻してしまうなら、俺は二度とお前に会わない。

 幻の家族でもお前を守る家族ができる。偽りの幸福でもお前が笑える。それが少しでも長く続くように、それを妨げるものをできるだけ取り除けるように、俺は頑張るから。

「幸せに、なれ」

 俺はぎゅっと奥歯を噛み締めて、『直樹』に背中を向けた。


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