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実のところ良紀の正体は結構早くに綾野に見抜かれていたようで、そっちの牽制含めて京都の実家が妙な強盗に襲われて家を壊されたりしてるんだけど、それは聞いてた?
お由宇に尋ねられて、京子が家を改装している、そう言ったことを思い出した。
「でも……良紀はそれで逆に覚悟を決めたみたいね」
妹にまで手を出してくるようならば、追い詰めない限り安全はない。だから一気に大勝負に出て、綾野から確実な証拠を奪って日本へ逃げようとした。
「あっちをうろうろしている間に知り合った女の子がいたみたい。その彼女が『SENS』の中毒で死んだとも聞いてる」
良紀を泳がせ、そこに周一郎を接触させて、綾野は全てを絡めて始末しようとしていた。日本の警察権力が周一郎を追い詰められなくても、周一郎が周一郎であるかぎりその相手には追い詰められる、たった一人の女性を利用して。
「……清を…」
ふいに『直樹』が手にかざして見せた、翻る桜色の舞扇を思い出した。
表は穏やかな春の景色、豊かに咲く桜に舞い飛ぶ蝶の艶やかさ。
けれど、その裏には同じ桜が黒と金の散る花弁を纏い、激しい光が視線を焦がす。
全く違う風景が表と裏で背中合わせに存在するその不思議さは、『直樹』の指先にひらひらと動かされる扇が山を谷に、谷を山に変えていく光景と重なっている。
周一郎そのものもあの扇のようだ、と思った。
『直樹』のような素直で優しい顔と、冷酷に人を操る『周一郎』の顔の二つを背中合わせに抱えている。
人は真実のそれぞれの面を見ているに過ぎず、真実そのものを見ているわけではない、そう言ったのはどこの国の文豪だったか。
「……もの、は…まだ見つかっていない」
お由宇は初めて苦々しい顔になった。
「細工するにしても、扇は仕上げるまでに二十以上の工程を必要とする手間暇かかったものだから、急に誂えることなんてできなかったはずだし……」
「そうなのか?」
微かな違和感に首を傾げた。
「骨にだあっと糊つけて、絵を描いた紙を張ればいいだけなんだろ?」
「あのね」
お由宇はやれやれと言いたげに立ち上がり、何処からか一本の扇を持ってきて広げてみせた。
淡い薄い紙が張られた華奢なものだ。
「これは夏扇だけど、造りは同じよ。ここが親骨、中骨、要、地紙の天と地、山と谷」
ひらりと指先で翻して、静かな口調で続ける。
「扇には世界が載っているというのはこの天地、山谷が含まれるから。で、この竹の部分は扇骨、和紙の部分は地紙と言うの。それぞれを作るのも二つを一緒にするのも、専門職がいる手間もの」
「へえ……」
じゃあ一、二日で仕上がるもんじゃないんだな、そう思ったとたん、また『直樹』の扇を思い出す。
「でも、あれは」
「あれ?」
「ああ。里岡のところで見た扇。凄く綺麗だったけど、『直樹』がデザインしたってのは辻褄が合わないんじゃないかと」
『大本の図案があったのを急ぎ仕上げた』
確か里岡はそう言っていた。
けれど、どんなに大本の図案があったとしても、急に仕上がるものじゃないはずだ。ましてや、昨日今日見つかった『直樹』がデザインしたなんてことは不可能なはずだ。
それとも、誰かとっくにあれを仕上げていた人間が居て、『直樹』がそう思い込まされているのだろうか。
「『直樹』のデザイン……?」
「瑞々しい感性とかなんとかで、里岡の跡継ぎとしてお披露目かなんかが今日あって、本当はそれに出るはずだったんだ」
体調を崩して寝込んでしまいさえしなければ。
あれほど嬉しそうに喜んでいたのに、と眉を寄せると、お由宇が、
「どんな図案か覚えてる?」
「ああ、えーと、桜を描いたやつで、綺麗な蝶が飛んでるんだ」
「……蝶…」
「もっと凄いのが裏でさ、同じような絵柄なのに、そっちは黒と金の花びらが散ってるやつで」
「金の、花びら?」
お由宇が目を細めた。
「志郎」
「なんだ?」
「『SENS』は絵柄が決まってる、必ず蝶が描かれている」
「…え」
「そして、薬が塗り込められているのは、そこに舞い散る金色の花弁なのよ」
俺は大きく目を見開いた。




