2
「じゃあ、僕、休みますね」
『直樹』は俺に褒められて嬉しかったのか、いそいそと扇子を棚に戻した。静かに一礼して部屋を出て行く、その細い後ろ姿が安心していると教えてくる。ここに居て、幸せなのだ、と。
『直樹』が出ていってしばらく黙っていた里岡が、ふいにぽつりと言った。
「探して、どうする」
「え?」
一瞬何を言われているのかわからなくて瞬きする。
「その子を探してどうする気かね」
「どうする、って……いや、ただ」
生きてるか、死んでるか、それだけでも知りたいのが人情でしょう、と苦笑いすると、相手はにこりとも笑わないまま、腕を組んだ。
「……では、もういいだろう」
「は?」
「無事に、生きている、それでいいだろう、と言っている」
「え、いや、あの、まだ俺は周一郎を見つけてな……!」
ふいに頭を殴られた気がして俺は口を噤んだ。まっすぐに俺を睨み据えている里岡の顔を、信じられないままに見返す。
生きている、と、里岡はなぜ知っている。
思わず部屋を出ていった『直樹』を目で追う。
「なんで」
「……あの子はここで幸せだ、そうではないか」
「や、だって、それは」
「向こうにももう、居るのだろう」
京都扇子生産を担う家。それがようやくはっきりと綾野に結びつく。
「ここで」
造ったのか、『SENS』を。
「待てよ」
そのために、人が死んで。それをあいつは背負わされて。
なのに、その、場所で、その、場所を、周一郎が継いでいく、と?
「…間違ってる」
「何が」
「よく、わかんないけど……それは、間違ってるよ、あんた」
わけのわからない焦燥と苛立ち、腸がねじられるような怒り。
「綾野とグルなのか」
「では尋ねるが、『直樹』は不幸せそうか」
「っ」
「朝倉家で幸せだったのか」
「……」
「あの子の未来はどちらが豊かなんだ」
ぐい、と睨み上げてくる里岡に反論の一つもできない。
けれどそれは。
「違う」
「どこが」
「違う、それは違う、はずだ」
それになぜあいつがそんなことを受け入れた? そんなとんでもない、状況を。
俺の困惑に里岡は重く息を吐いた。
「……あの子には記憶がない」
「……は?」
「………朝倉周一郎の記憶はないんだ」
「なん……だって?」
「川に落ちて流されたのを助けた時にはもう自分が誰だか覚えていなかった」
俺は茫然とした。
「きっと捨てたかった記憶なんだろう」
「そんな…」
「………素性も事情もわかっている」
里岡はきしむように唸った。
「だが、私達にも息子が必要だ」
「でも」
「工程には関わらせない、デザインだけだ。それであの子はここで幸せに生きていける」
君はあの子の幸せを壊すために探すのか。
言い切られて、必死に俺はことばを押し出した。
「もし、万が一、あいつがそれを知ったら」
「……」
「もし、万が一、あいつが記憶を取り戻したら」
「……」
「自分が何をしているか、あいつが知ったら!」
壊れちまう。
「………だから君は二度と関わるな」
テーブルに静かに置かれた分厚い封筒に俺は目を落とした。
「今までそんな気配はなかった。今日初めてだ、あれほど何かに固執した様子を見せたのは………君が直樹を刺激している」
滝さん。
静かに呼び掛けて、振り向くと顔を背ける『周一郎』。
滝さん?
無邪気に笑いかける『直樹』。
どちらが幸せだ?
どちらが。
「………十分なものが入っている。足りなければいつでも来ればいい」
「っっ」
そんなものを望んで、ここに居るわけじゃない。
それでも。
俺はぎゅっと封筒を握った。握りしめて俯いた。
「明日、出ていきます」
「……」
「二度と、伺いません」
掌の中の厚みが持ち上げられないほど重かった。




