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京都舞扇 〜猫たちの時間2〜  作者: segakiyui
8.まがいもの

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27/51

5

 少年は気の毒そうな顔で俺を見上げている。細い首の線、繊細な卵型の顔、確かに髪型はいつものように整えられてはいないが、その黒々と光を吸い込む瞳や聡明利発を絵に描いたような顔は、周一郎以外の何者でもないのに、あえて言えば、その表情の豊かさがそれを裏切っていた。

「僕は里岡直樹、と言います」

「里岡、直樹…」

「ここは家の別荘への私道ですが……御存じでしたか?」

「私道…」

 少年がゆっくりと指差してみせた方向を振り返ると、確かに道の彼方に瀟洒な日本家屋がある。

「道に迷われたんですね」

 『直樹』はにこりと優しく笑った。

「時々あるんです、このあたりは入り組んでいるから」

 駅までお送りしましょうか。

 静かな声も周一郎そのままだった。だが。

 これは一体どういうことだ? こいつは何を話してるんだ?

 困惑し混乱して、何度も側のルトを見下ろすが、小猫はまじまじと少年を見上げるだけで、俺を振り向きもしない。そして、ルトなしにこいつが周一郎かどうかを判断する手立てがないことを、今さらながら痛烈に感じて、俺は一気に落ち込んだ。

 高野が他の奴らがどうのこうのと偉そうに言ったところで、俺にもこいつが周一郎だと証明しきれるものなんて何もない。

 そんな俺が何を正義の味方ぶって、こんなところまで一体何をしに来たんだ。

 もちろん、俺の勘はこいつは周一郎だと教えてくる。けれど、なぜ里岡直樹などと名乗っているのか、それより何より、俺を見ても知り合いだという素振りさえ見せないのは演技なのか本心なのか、それさえもわからない。

 頼りのルトは傍観を決め込んだみたいでゆっくり擦り寄ってきたから、のろのろと抱き上げたけれど、気持ち良さそうに喉を鳴らして俺の腕におさまるだけで、何も教えてくれはしない。

「俺は」

「その猫」

「は?」

「あ、いえ」

 『直樹』はくすぐったそうに微笑んだ。

「なんて名前なのかなあと思って。可愛いですね」

「ああ、ルト、って言うんだけど」

「へえ、ルト」

 『直樹』はそっと指を伸ばした。神経質そうに指先でルトの頭に触れ、少し撫でて嬉しそうに笑う。

「ルト……いい名前ですね」

「あ、うん」

「確か何でも見える神様の名前なんですよね」

「……」

 そうだ、周一郎もそう言ってた。

 けれど、それは。

「………よく知ってるんだな」

 喉に絡みそうになったことばを無理矢理押し出す。

「ふと、そう思って」

 『直樹』は褒められたと思ったのだろう、目を細めて満足そうに見上げてきた。

 周一郎にそっくりだ。

 けれど、周一郎はこんなににこにこ笑うことなどない。見知らぬ他人にこれほど人懐こく振る舞わない。そうだ、これは周一郎とは違うはずだ、見かけがそっくりな、全く別の………これほどよく似た、人間が、居る、と?

 神様、あんたの発想力はかなり衰えてきてるんじゃないのか。

「ん、く、しゅんっ」

 ふいに相手がくしゃみをして、俺は我に返った。

「直樹さま、もう戻られませんと」

 旦那さまや奥さまが御心配なさいます。

 溝口が口を挟んで、また俺の期待が崩れていく。

 そうか、家族がちゃんと居るのか。なら、これはきっと、周一郎じゃないんだろう。

 それこそ、京都の竹林の中で出くわした、『あやかし』とでもいうやつなのだろう。

「……すみません、俺、人を探してたから」

 俺はのろのろと頭を下げた。

「そいつがあなたにそっくりで、間違った、ようです」

「僕に?」

「ええ」

「……その人はあなたの身内なんですか?」

「いや……身内、というか」

 俺は口ごもる。

 周一郎を何だと言えばいいのか。雇い主? 同居人? 身内でないのは確かだが。

「その……友人、で」

「………大切な人なんですね」

「へ?」

「…………さっき」

 『直樹』は目を細めた。

「とても真剣な顔で呼んだ、周一郎、って」

「ああ」

「まるで………まるで、死んだと思ってた人を見つけたみたいに、必死な顔してた」

「ああ、まあ」

 周一郎そっくりな顔で、周一郎のことを他人みたいに話す相手が微妙に胸に堪えた。

 もしかして、あんな家に引き取られてなくて、ちゃんと『普通の家』で育ってたなら、周一郎もこんな風にまっすぐな目で人を見つめただろうか。こんな風に通りすがりの人間に優しく笑って応対できたんだろうか。

「とにかく間違ったみたいで。すみません。駅の方向はどちらですか、教えてもらえば俺は………ルトっ!」

 ふいにルトが腕から滑り降り、一目散に車の中に走り込んでぎょっとした。

「おい、こらっ!」

「すみませんっ!」

 うろたえる溝口と一緒に慌てて車に駆け寄る。

「ルトっ! こらっ!」

「なぅ」

「なうじゃねえっ、何してんだ、そんなとこで!」

「な~」

 ルトは平然と車の座席の上に丸くなり、気持ち良さそうに喉を鳴らしている。体を突っ込み尻尾を掴んで引きずり出そうとした矢先、目一杯手を引っ掻かれて悲鳴を上げた。

「ぎゃ」

「、きさんっ!」

「っっ!」

 背中に電流が走った気がして思わず振り返る。『直樹』が真後ろに立ってきょとんとしている。

「何?」

「え?」

「なんて、言った?」

「何を?」

「今なんて言ったっ!」

「……何も……言わなかった、と思いますけど」

「いや、だって、今っ!」

 滝さん、って呼ばなかったか?

「空耳……?」

「あの、それより……ルトくん、外に出ないようなら」

 『直樹』は困った顔で笑った。

「今夜は僕のところにお泊まりになりませんか? 今から駅に歩いて行くにはちょっと遠いし……それに僕」

 少し寒くて疲れてきました。

 そういう相手の顔がうっすら青いのにどきりとした。溝口がうろたえたように、直樹さまはあまりお丈夫ではないんです、と重ねてくる。

「あ……じゃあ」

 俺が頷くと、『直樹』はこぼれるような笑顔を見せた。


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