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昨日の京都は温かで心安そうだったのに、今日の京都はまるで警戒心剥き出しだな。
そんなことを思って入洛したのがまずかったのか。
「……迷った……」
「にゃ?」
ボストンバッグから顔を出したルトが、竹林の中を通り抜ける道のまん中で立ち止まってしまった俺を見上げてくる。
「確かこういう道だったと思うんだが」
嵐山駅を出て、まさか清を訪ねるわけにもいかない。
手近の交番で、川に落ちた人間が助けられたとか、行方不明になった人間が見つかったとか、そういう話はなかったか、と聞いたけれど、『周一郎』救出の件ばかりで、新たな手がかりはなかった。
仕方なしにあの廻元和尚にでも会って相談してみようと思ったのだが、考えてみれば、行きは京子に連れられて、帰りは和尚に導かれているから、道をはっきり覚えていない。それどころか、寺の名前もはっきり覚えていないし、もちろん住所や電話番号も知らない。
何とかなるんじゃないかと山手の方向に歩き出してみれば、どうにも何ともならなかった。
京都の道は碁盤の目なんて誰が言ったのか、細い曲がりくねった道が唐突に別の道路や私道らしい未舗装の道にぶつかるものの、どちらへ行けばどこに繋がっているのか、看板一つまともに立っていない。
こっちかな、いや、こっちだったかも、とうろうろしたあげくどんどん妙な方向に入り込んでいたようで、周囲は昔話に出てくるような密生した竹林、林道に人影一つもなく、道の先は山の中へ入るばかり、振り返っても離れてきた住宅街は影形もなくて、完璧に迷ってしまった。
「この場合、『金色に光ってる竹』を見つけるか、『大きなつづら』がいいか『小さなつづら』がいいか聞かれるかってとこだな」
「ふ、にゃっ」
やれやれ。
そう言いたげにルトがボストンバッグから体を乗り出し、つるんと中から滑り落ちる。
「な~」
「お前どっちだかわかるか?」
「………な~」
俺を振り向いて鳴いてみせたルトを見下ろすと、相手はふん、と鼻を鳴らして顔を背け、竹林の上に広がる空に向かって静かに鳴いた。
「誰か呼んでくれるとか?」
「な……ぐにゃう」
ちょっとは黙れ。
そんな感じでじろりと睨まれて、慌てて口を噤み、へとへとになった腰を降ろす。
「………野宿…するのも、ここじゃちょっと」
ざわざわと風が渡っていく。揺れる竹の向こうに紫に煙り始めた空がある。一気に暗さを増してくる林道には、街灯一つない。
「……ひょっとして、真っ暗?」
うわ、それは嫌だ。
「な~ぅ…」
ルトは何度か鳴いた後、無言で耳をすませるように黙った。
「何か聞こえるのか?」
俺もルトのまねをしてみたが何も聞こえない。
とにかく、せめて車が通る道までぐらいは探そうと向きを変えると、ルトも諦めたようにトコトコと付いてくる。古い笹の葉が散り落ちた道は足下が危うい。何度も滑りそうになって、それでもようやく抜けたと思ったら、道より数メートル上の場所に出た。斜めに緩やかに下っている低い崖は柔らかそうだが、その下の道はアスファルトで落ちると痛そうだ。
「にゃ」
「おい!」
ルトはくるっと尻尾を回して器用に崖を降りていく。細い足が軽々と地面を蹴っていくのに、仕方なしにそろそろと屈み込み、俺も足を踏み出そうとしたが、それがまずかった。
「ど? ど、どわわわっっっ!」
「ぎゃっ」
一気に足下が滑ってボストンバッグを振り回しながら落ちていく俺に、ルトがぎょっとしたように慌てて飛び退く。
「ひえええ…っ」
思いきり枯れ葉を散らしジーパンの尻を擦りつけながら、下の道まで転がり落ちた。頭を抱えて何とか打ちはしなかったが、そこら中擦りむいて、目はちかちかするし、しばらく蹲ってしまう。
「う~」
「な?」
「……何とか」
「ふ、な」
ドジなやつ。
ルトが笑うように牙を剥いたとたん、はっとしたように顔を上げる。
「え、何、どうし……わーーっ!」
ふいに、緩やかな坂を勢いよく乗り上げてきた自動車が目の前に現れて息が止まった。ヘッドライトに照らされて一瞬視界を失う。叫びながら頭を抱え込んで、こんなわけのわかんないところで、しかもわざわざ交通事故でおしまいかよ、と神様を詰ったとたん、けたたましいブレーキ音をたてて車が止まった。
「大丈夫ですか!」
「う」
「どこがぶつかったんですか!」
運転手が大声で叫びながら降りてきて覗き込む。
「いや、その」
別にあんたが轢いたわけじゃないから安心してくれ、そう言おうとして顔を上げた俺は、後部座席のドアが開いてもう一人小柄な姿が現れたのに気付いた。
「溝口、どうした」
「申し訳ありません、直樹さま、この方が突然」
「轢いたのか」
ぎょっとしたような声を上げて、小柄な人影は急ぎ足に近寄ってくる。
「大丈夫ですか」
「や、別に俺は車に轢かれた、わけ、じゃ……」
覗き込んできた相手の顔がヘッドライトに照らされた。
歳の頃十六、七のまだ子ども子どもした男、ばさりと垂れたうっとうしそうな前髪の下には驚いたように見張った真っ黒な瞳、かなりの美形に入るだろう顔立ちは。
「周、一郎……?」
「は?」
「周一郎!」
転がり落ちた痛みも忘れ、思わず俺は立ち上がって、差し出された相手の腕を掴んだ。
「何でお前こんなとこに! いや、それよりも、無事なら無事とどうして知らせなかった!」
苛立ちと興奮に相手を揺さぶりながら喚く。
「なんで朝倉家にも戻ってこない!」
「直樹さまに何をする!」
「ちょ、ちょっと、待って、下さい」
茫然としていた溝口と呼ばれた運転手が急いで割って入ってきて、周一郎自身も怯えたように腕をねじって逃げ、俺は呆気に取られた。
「周一郎?」
「この方は直樹さまだ!」
溝口が俺と周一郎の間に立ちはだかって叫ぶ。その背中に庇われて、周一郎が不安そうな表情でそっとこちらを伺ってきて、俺は混乱した。
「ルト…?」
小猫は足下にちょこんと座ったまま、じっと周一郎を見上げているが、一声も鳴かない。走り寄っても行かない。
「何だよ……周一郎、だろ?」
「だから!」
「……いい、溝口」
少年は俺が動きを止めたのに、そっと運転手の腕を押さえて進み出た。
「どなたかと勘違いされたようですね?」
「……勘、違い…?」




