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病院に慌ただしく戻ってみると、入り口付近ですれ違ったのは今朝見たばかりの刑事達、当然俺にもまた事情聴取があると思ったのだが、相手は不愉快そうなしかめっつらで側をすり抜けていく。
「あ…れ?」
「滝さん、ですね?」
その中に一人がふいと思い直したように戻ってきて、軽く頭を下げた。
「あ、はい」
「いろいろとこちらでお聞きしたいこともあったんですが、朝倉氏が事件性がないことを保証すると言われていますので、我々は引き上げます」
「は?」
朝倉氏?
形式ばった言い方に戸惑うと、先に出ていきかけた警官が早くしろ、もう関わるな、と吐き捨てるように呼び掛けてきた。わかってる、と応じた目の前の警官が、小さく溜め息をついて、
「できたら、もうこれ以上ややこしいことをせんとって下さい」
「はぁ」
「じゃ」
「あの」
言いかけた俺を振り切るように警官は脚を速めて遠ざかっていく。
つまり?
これってドラマとかでよくある『圧力がかかった』とかいう状況、みたいなんだが? まあそりゃどうしても尋問受けたいとかそういう趣味はないが、調査打ち切りだとしたら、京子と良紀の死んだことはどうなってしまう?
首を傾げていると、受付から呼ばれて、周一郎の部屋を教えられた。
「あなたも休んで頂きたいんですが。朝倉さんが入られたのは個室ですし、簡易ベッドもありますから」
「はあ……すみません」
なるほど、今夜はもう同じ部屋で大人しくしておいてくれ、ということか。
じろりと見上げてきた受付に頭を下げる。かなり落ち着かない不安定な感じはするが、とにかく周一郎が無事かどうかを確かめたくて教えられた部屋に急いだ。
「周!……一郎……?」
一気に飛び込もうとして、そうだ、こいつは溺れかけて助けられたところだったんだ、と寸前思い出し、そろそろとドアを開けると、
「滝さん…」
煌々と明るい部屋の中、薄緑の寝巻きのようなものを着せられた周一郎が、白いベッドの上ではっとしたように振り返った。
サングラスはどこかに流れてしまったのか掛けてなくて、それでも平然としている姿に、いつも整えられていた前髪が乱れていることだけが事件を思わせた。確かに怪我はなさそうで、ほっとしたように潜めていた眉を緩めてふわりと笑う。
「……すみません」
あれ?
その瞬間、さっきの落ち着かなさを数倍にしたような奇妙な感覚が俺の中に広がった。
「滝さん?」
「……大丈夫か?」
「はい……御心配おかけしました」
近寄るに従って俺を人なつこく見上げ、僅かに微笑んだ瞳はきれいに澄んでいる。心配をかけたと言いながら、自分の方が俺を心配しているようなその表情に、ますます違和感が募ってくる。
「大丈夫、なのか?」
「え?」
「なんか、………明るくないか?」
ああ、そうだ。
無意識に尋ねたとたん、違和感の正体に気付いた。
明るすぎる。
ここも。
周一郎の笑みも。
あれほどずたずたになっていたのに、なんでこんなにあっさり笑う?
いや、確かに周一郎なら、どんなに傷ついていても仮面を被り通せるけれど。でも。
すごく残念だけど、周一郎なら、こんなふうに俺を見上げてきたり、受け入れたりしないんじゃない、か?
「え?」
なんだよ、周一郎なら、って。まるで、周一郎じゃないみたいに。
俺は自問自答に戸惑った。
「明るい? そうですか、外から来るとそう見えるかもしれません。………僕、どこかおかしいですか?」
まるでその俺のうろたえを見抜いたように周一郎が微かに顔を歪めた。
「滝さんにもう心配させたくないから……落ち着いたふりをしている、つもりですが」
「あ、ああ」
落ち着いたふり、か。なるほど。うん。確かにそうも言える、そう見える、けど。
けど、周一郎なら、そんなことは言わないんじゃないだろうか、とまた奇妙な感覚に引っ掛かった。
「は?」
「あ、いや」
だから、何だよ、この、周一郎なら、って。
慌てて口を押さえて零れそうになったことばを飲み込み、少し後ずさりする。
「滝さん?」
姿も声も仕種も顔も、周一郎そっくりだ、ってか周一郎以外の何にも見えない、なのに、なんで俺は。
「疲れ、てんのかな」
「……いろんなことがありましたから」
沈んだ声になった周一郎が俯く。
「滝さんが僕を疎ましく思うのは仕方ないですけど」
傷ついた痛々しい表情。大事な友人に嫌われたかもしれないと不安がる少年の。
けど。
だから。
だからさ、そういうことは周一郎ならきっと言わない。そういう顔を晒さない、そう思った。それを見た相手が付け込んでこないかと恐れて。不安を見せることで俺を傷つけないかと心配して。
なら、誰だ?
ここに居るのは、一体誰、なんだ?
「ベッド、があるんだよな」
危うくそのまま尋ねそうになり、それがこのベッドの上の周一郎をひどく傷つけるだろうと想像がついて、俺は慌ててベッドの下を覗き込み、片付けられていた簡易ベッドを引っぱりだした。必要以上に必死になってベッドを組み立て、二度指を挟みかけ、一度したたかに脚をぶつける。
大丈夫ですか、と覗き込んでくる周一郎に、何度も、違うそうじゃない、そう言いかけては、気にすんな、と無理にことばを押し出し、ああ、あいつはいつもこんな気分だったんだと思った。
違和感と不安を押し殺して。相手の言動にぴりぴりして。
自分のことばも表情も必死にずっとコントロールして。
「今夜はここで寝てやるから、安心しろ。明日か明後日、体調が落ち着いたら家に戻ろう」
「はい……ありがとうございます、滝さん」
「………電気、消すぞ」
「はい」
頷いて大人しくベッドに横になる周一郎に背中を向けて、俺も簡易ベッドで横になる。
ありがとうございます、だって?
確かに他人がいるところじゃ、周一郎もそれほどとっつきは悪くない。
だが、俺の知っている周一郎というのは、口が悪くて皮肉屋で素直じゃなくていじっぱりで。
でも、誰よりも深くいろんなことを感じ取ってて、だからこそ自分の気持ちも何もかもをいつも押し込めて、何重のもの鎧で心を隠し切っていて。
いつ休めていた? 眠っている間もルトの視界が生きている。逃げ場がないまま、否応なく、惨い真実に晒され続けて。
当たり前じゃないか、人と関れなくなっても。
自然じゃないか、一人で生きると決心しても。
……普通なんだ、信じられなくても。
なのに、俺は。
すうすうと背中で微かな寝息を感じたとたん、そうだ、きっと、こんな時には絶対自分が先に眠るようなことはない、そう思ったとたん、とうとうぼそりと尋ねてしまった。
「お前、誰だよ?」




