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ルルルルッ。ルルルルッ。
「はい、佐野です」
柔らかく鳴ったベルの音にお由宇が立ち上がって受話器を取った。
「はい……はい、そうですか、いえ、大丈夫そうですので……御心配おかけしました」
俺の気配に気付いていたのだろう、話しながら椅子の背にかかっていたバスタオルを投げてよこした。
「ええ、はい、明日にでもそちらへ伺います。……風邪引くわよ」
受話器を置いて振り返る。
「体しっかり拭いて。それから、無闇にタイルに八つ当たりしないでちょうだい」
言われてようやく、なぜ右手が痛いのかわかった。こぶしに薄赤く血がにじんでいる。のろのろと投げられたバスタオルを拾って体を拭き、巻き付けてソファに腰を降ろした。
どうしてなんだ?
頭の中にはそのことばがぐるぐる回っている。
どうして、身を投げた。
エンドレス・テープのように頭の中に何度も何度も周一郎が欄干から落ちていく場面が流れていく。
どうして、待ってくれなかった。
外れかけたサングラスの下の真っ黒で虚ろな瞳。
どうして、諦めた………俺が、居たのに。
「はい、手を貸して」
差し出した右手に包帯がはかったようにきっちりと巻かれていく。それを見るともなく見ながら、また悔しいとも悲しいともつかぬ苛立ちが沸き上がってきた。
「病院を飛び出したままだったでしょう、清さんも病院側も行方を探して大変だったのよ」
「……い……かげんにしろよ」
「え?」
「……自分一人……辛いとか……思ってやがるんだ……っ」
「志郎」
「そりゃ、清にまで責められて、行き場もなくて、けど」
「……志郎」
「俺だって、高野だって」
そうだ、朝倉家で高野はきっと心配しながら待っている。そんなことさえ周一郎は忘れてしまったっていうのか。
「みんな……みんな、あいつを心配してんのに」
「志郎」
それとも、そんなこんなも届かないほど、周一郎は何もかもどうでもよくなってしまったのか。
『………僕の、せいです』
表情のない顔に過った傷み。
『僕が、あなたと、関わったから』
『僕が、あなたを、こんなとこに連れてきたから』
震えて掠れたつぶやき。
『僕が、京子さんを、殺して』
『あなたも、殺しかけた』
「志郎」「違うだろ…」
頭の中で俯く周一郎に首を振る。
お前のせいじゃない。お前が引き起こしたことじゃない。
それでも。
おそらくは、周一郎や朝倉家が関わったことが、京子や良紀を巻き込んだのは確かで。俺が怪我をしたり殺されそうになったのも、おそらくはそのつながりで。
あの瞬間、俺はそれを初めて理解した。
それはたぶん、周一郎の居る世界をきっちり感じとったから。
そこに踏み込んでいけるのか、俺は。
それほどの力が本当にあるのか、俺は。
一番信じなくちゃいけなかった時に、俺は自分を疑った。
その俺の怯みを、周一郎は確実に読み取っていた。
だからこそ、諦めた。
こちらに戻ってこないと決めてしまった。
きっとそういうことなんだ。
清を詰れたもんじゃない。高野を嗤えたもんじゃない。
「……俺も…追い詰めただけ…なのか?」
だから、あいつは死ぬことの方を選んじまったのか?
「でも……でも……っ」
きっと他に何かもっといい方法があったはずだ。お前が死ななくてよくて、清も少し楽になって、そういう方法が何かきっとあったはずだ、なのに。
「死んじまったら探せねえだろっ!」




