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「……滝さん?」
「……?」
「目が覚めましたか?」
覗き込む周一郎の顔にゆっくり瞬きする。
「怪我はほとんどないそうです。強運ですね」
微かに目を細めた周一郎の顔は透き通るほど白い。能面のように微笑んでいるようにも怒っているようにも見える表情は静かで動かない。
「怪我……? ……ああっ!」
俺は跳ね起きて、周囲を見回した。
白い部屋、白いベッド、クリーム色の壁。
一目で病室とわかるその部屋に寝かされているのは俺一人だ。
「京子ちゃんはっ?」
「……」
す、と周一郎が目を逸らせた。動かない表情のまま、
「亡くなられました」
淡々とした声が続けた。
「……」
まさか、冗談だろ。
そう言いかったけれど、周一郎がこういう冗談を言うはずがない。
脳裏に線路に倒れて動かなかった京子の姿が過る。
「……駅員の話では、不審な男が居たと」
静かで揺れない声が呆然としている俺の耳に届く。
「滝さん達のすぐ後ろに立っていて、おかしな様子だなと注意してたら、いきなり京子さんとあなたを線路に突き落としたそうです。急いで駆け寄って、近くに落ちたあなたをホーム下に退避させた時、柱にあなたをぶつけてしまったそうですが」
ああ、それで頭を殴られた状態になったのか。
「京子さんはあなたから離れて倒れていて、もうそこに電車が迫っていて。別の駅員が電車を制止するのも間に合わなかったそうです」
なんで、そんなことに、と思った瞬間、閃いた考えをつい、口にする。
「………狙われた、のか……俺達……?」
びく、と周一郎が震えた。
「……警告、でしょう」
「警告?」
「動くな、と」
「誰に………誰が……?」
ふい、と周一郎が振り返った。サングラスの奥からまっすぐに俺を見て、
「真実がわかると困る誰かが」
「は?」
ちょっと待ったぁ。
俺の頭の中に、じゃっじゃっじゃーんっ、とよく聞いたことのある派手な音楽が鳴り響く。脳裏に、血まみれの包丁だの、断崖絶壁から転がり落ちる人影だの、難しい顔をして首を振る警官だのが動き回る。
「か…」
「か?」
「『家庭教師は見た、幻想の裏に隠された殺人者の影と焼肉弁当の真実の意味!』」
「は?」
「あ、ごめん」
思わず口走った俺に周一郎が間抜けた声を上げて瞬きした。
「ちょっと、何だかドラマの主人公になったみたいな気がして」
や、そうでも考えないと、この深刻な空気を支えきれないって言うか。
「ドラマなんかじゃない」
周一郎が冷ややかな声で呟いて、またゆっくり目を細めた。
「死にかけたんですよ」
声が凍りついていて、その底に殺気が漂っている。
怒っているのだ、と気がついた。
事の重大さを理解していない俺に。
「わかってる」
わかってるよ。
でも無理だろ、信じられないだろ。
だって、さっきまでそこに、手が触れられる場所に居たんだぞ、京子ちゃん。
ジュースを一緒に飲もうとしてて、涙で潤んでいた眼を俺は見下ろしていて。
なのに、もうどこにも彼女がいないってことなんだぞ。
しかも俺はまだ生きているけど、実は危うく殺されかけたってことで。
生と死の境があまりに近くて、俺は自分がどちらに居るのかまだぴんと来ない。
微かな既視感があった。
そうだこれもまた、あの岩、の光景だ。
両方の世界の境界線に俺は立たされているということなのか?
「……すみません」
ふいに周一郎が謝った。
「?」
「………僕の、せいです」
「は?」
「僕が、あなたと、関わったから」
「いや」
「僕が、あなたを、こんなとこに連れてきたから」
声が幼い響きで震えた。
「僕が、京子さんを、殺して」
「周一郎」
「あなたも、殺しかけた」
「それは」
違う、全然違う話、そう言いかけた矢先に戸惑う。
本当にそう、だろうか?
もし周一郎に関わらなければ。周一郎の世界へ踏み込もうとしなければ。
もしかして、こいつとの世界の接点というのは、神話で言うヨモツヒラサカのようなもの、なのか?
俺が黙ったのを、一瞬周一郎はふいと見上げ、やがて微かに笑った。
「そう…ですよ」
優しい声。
一瞬、周一郎が俺の頭の中の問いに応えたように錯覚してことばが出なくなる。
心の中を見抜かれたような気がして。
その俺の戸惑いも感じ取ったように、周一郎は虚ろな笑みを広げた。
「僕と、関わったから」
「周一郎…」
「だから、もう…」
サングラスの奥で、瞳が光を失うのが見えた。
「滝さんは、僕に」
関わらない方がいい。
言い聞かせるような声は本当に聞こえたものだろうか、それともただの想像か。
「待て」
こいつ、消えちまう。




