5 心と頭の栄養になった文章
今回で終わりになります。
最後は、私の心に印象深く刻まれた文章をまとめてみました。
引用した本や作品名がわからないものもあります。
私の【ノート】に書かかれてある以下の素晴らしい文章や言葉は、私の心と頭の栄養になったものです。素晴らしい栄養を得ても、私はこんな文章しか書けていないのですから、執筆者の先生方はがっかりなさるかもしれません。
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◆ジャン・パウル(ドイツの作家)『角笛と横笛』より
人生は一冊の本に似ている。愚かな人間はそれをペラペラとめくっていくが、賢い人間は念入りにそれを読む。なぜならかれは、ただ一度しかそれを読むことができないのを知っているから……。
◆老子『道教』より 訳アーサー・ウェイリー(『源氏物語』の英訳者で有名なイギリスの東洋学者)
山の空気は黄昏にこそ清しい。二羽ずつ群れた鳥が帰る。こうした情景に然る深遠な意味が宿る。しかし、それを言いあらわそうとする瞬間に言葉はふいに意味を失う。
◆嵐山光三郎(作家、エッセイスト)
人間の場合は並な奴にかぎって「並でないようにふるまう」ものである。並でない人間はつとめて並でいようとつとめるようである。人間にとって「並でいること」は一番むずかしいことだからである。自分で「私は並ではない」と思ってしまった時から、堕落が始まるのである。
◆ル・グイン(アメリカのSF、ファンタジー作家)『影との戦い』より
あの川は山から落ちて、海へと注いでおる。人は自分の行きつくところをできるものなら知りたいと思う。だがな、一度はふり返り、向きなおって、源までさかのぼり、それを自分の中にとりこまなくては、人は自分の行きつくところを知ることはできんのじゃ。川にもてあそばれ、その流れにたゆとう棒切れになりたくなかったら、人は自ら川にならねばならぬ。その源から流れて下って海に到達するまで、そのすべてを自分のものとせねばならぬ。
◆アーサー・C・クラーク(イギリスのSF作家)
充分に進歩した科学は魔法と区別がつかない
◆石山修武(建築家)
隠れんぼうが上手な子がそのまま大人になったら何になるのだろうか。他人のわずらわしさから逃れて深海の生物を探る学者だろうか。宇宙からの呼び掛けに耳を澄ます天文学者だろうか。花を隠すのならば花畑が一番。石を隠すなら砂利の山、本ならば図書館。そして人が隠れるのならば人の群れは何よりだろう。現代の都市にはそんな人が人知れず潜んでいる様な気がする。
◆宮脇檀(建築家、エッセイスト)
旅は移動である。日常的ないつもの場から、慣れ親しんだものとは違う何かを持った別の空間に移り、そこでの価値観や生活、習俗、哲学からもののあり方、身振り手振りの相違に至るまでに触れることによって、自分たちの日常とはなんであったかをみつめようとするのが旅である。
◆エットーレ・ソットサス(イタリアの建築家、インダストリアルデザイナー)『わが友 倉俣史朗』より
誰かを愛する気持ちを知っている人というのは、それが人生を破滅するくらいに 大きな力を、大きな悲劇を生む可能性を同時にもっているということを知っている人です。彼はとても楽しい人でしたが、同時に本当の悲しみを奥底に秘めていたような気がします。(中略)友達だったし兄弟みたいだったし、完璧に信頼できる男でした。一緒に旅をしているような-ずっと一緒に長い旅をしてきたような感じをもたせる男でしたね。
◆ジョージ・マクドナルド(スコットランドの作家)
楽しさは忘れられた苦労の賜物だ
◆菊地秀行(SF、ホラー、ファンタジー作家)『吸血鬼ハンターD』より
「かりそめの客・・・」
誇りも高く、栄光にも満ちた貴族の歴史上ただひとつ、全貴族の疑惑と否定の眼差しを受けた、神にも等しい神祖の御言葉。
◆ラインホルト・メスナー(イタリアの登山家、作家、映画製作者)
人生は、誕生と死の間に張られた弓のようなものだと思う。弓の一方の側は誕生、そして他方は死。誕生で始まり、死で終わる。両方を知れば、人はたっぷりと準備して弓を引ける。そして的をめがけて矢を遠くまで飛ばせるのです。
◆森信三(教育者、哲学者)
人間一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。
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ご紹介したのは、ほんの一部です。
私のこの自分【ノート】は261ページまできました。これからも最終ページに向けて残りの白紙のページを最後まで書き進めたいと思います。
最近は<なろう>で活躍中の方々の文章をこっそり書き留めさせていただいています。しばらくはそれが続きそうです。
かつては、図書館司書となり、書いてもいない自分の本が憧れの国立国会図書館(日本で出版された本はすべて収蔵されている?という)に蔵書として所蔵される(地下のお蔵入りでよいので)という夢をひそかに持っていたことまで、この【ノート】を見ると、思い出されます。
家族の幸せと健康と最低の衣食住さえあれば、多くは望みません。
晩年は好きな本や文章に囲まれた穏やかな生活が送りたいですね。
今後も多くの本を持てなくとも、この【ノート】と共に、たまに忘れたり思い出して書いたり、読み返したりしながら、ささやかでも満足できる生活が続くことを願っています。
とりとめのない、ただの個人的な話を最後まで読んで下さり、本当にありがとうございました。
最後まで個人の趣味の世界にお付き合い下さったみなさま、ありがとうございました。