2 吉川英治、モンゴメリ、オルコット、E・ポーター
今回から、実際にどのような文章や言葉が私の【ノート】に書かれていたかをご紹介します。
まとめていましたら結局長くなり、前後編に収まらなくなりましたので、数回に分けてご紹介したいと思います。
大した記憶が残っていなくても断片的でも、その当時を思い出そうとすると、心の奥に去来するものがあって、それがとても懐かしく感じられます。
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◆吉川英治『宮本武蔵』より
水は生きている。無窮の生命をもっているかのようである。然し、一定の形を持たない。
一定の形に囚われているうちは、人間は無窮の生命は持ち得ない。(中略)
真の生命の有無は、この形体を失ってからの後の事だと思う。
武蔵の眼は吸引する。湖のように深く、敵をして自己の生気を危ぶませるほど吸引する。
「小次郎負けたり!」
(中略)
「勝つ身であれば、なんで鞘を投げ捨てむ。(中略)鞘は汝の天命を投げ捨てた」
小次郎が信じていたものは、技や力の剣であり、
武蔵の信じていたものは、精神の剣であった。
波騒は世の常である。
波にまかせて泳ぎ上手に雑魚は歌い雑魚は躍る。
けれど、誰が知ろう。百尺下の水の心を。
水のふかさを。―魚歌水心―
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最後の章、武蔵が小次郎との巌流島での決闘の前後の部分の抜粋です。
この小説は、何度もドラマ化や映画化、漫画化もされている吉川英治の名作です。
なんと昭和10年から朝日新聞に連載された新聞小説だったらしいです。
そんなに古い作品だったとは。今回調べてみて驚きです。
上記の文章をご覧いただいてもわかるように、とてもわかりやすく読みやすいと思いませんか? 文体自体さほど古めかしい感じもなく、現代でも違和感無く読むことができると思います。
この小説は後に剣豪と言われた武蔵が様々な人物と出会い、命を賭けた勝負をしながら、精神の剣を極め、同じく己の剣の道を突き進んでいた佐々木小次郎と巌流島で決闘し、勝利するまでが描かれています。上記で抜粋した文章は、最後あたりのものです。
精神論が語られていながらも、実際武蔵は決闘の時間に遅れたり、刀の鞘を投げた小次郎に対して、上記のように天命をも投げ捨てたといって、小次郎が自分で勝ちを手放したように言って揚げ足をとります。今思うとどうなんでしょう? ですけどね。
当時はこの長編を読みきったことが、非常に嬉しかったです。
このラストの文章を残しておきたいと思ったのが、この【ノート】を書き始めるきっかけだったような気がしますが、もう覚えていません。
この勢いのままに、吉川英治の『三国志』にも手を出したのですが、こちらのほうは1巻の半分くらいで挫折しました。
その後、『三国志』は確か柴田錬三郎作のほうで読みました。
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◆ルーシー・M・モンゴメリ『赤毛のアン』『アンの青春』より
「すみれはね、天使たちが空に星穴をあけたときに落ちた空のきれはしだと思うの。それからきんぽうげは古くなった日光からできてるしね。スイートピーの花は天国へ行けば蝶々になると思うの」(赤毛のアン)
最高の高さまで飛翔できる者はまた、どんぞこの深さにまで沈めること、この上なくはげしい歓喜を味わう者はまた、もっとも鋭く苦痛を感じるものであることをギルバートは知らなかった。(アンの青春)
「笑うべきことを笑い、笑ってはならないものを笑わないことをおぼえた時、あんた方は知恵と理解力を会得したわけなのですよ」(アンの青春)
アンはすばらしい真理をうちあてた。
「あたしたちは、自分を必要とする人たちを一番好きになるんじゃないかしら・・・」(アンの青春)
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◆ルイザ・M・オルコット『花ざかりのローズ』より
「自分の人生は自分のものであって、見せるためのものではない」
「あなたに割り当てられたことをしなさい。そうすれば不相応に期待したり、冒険したりはできないものだ」
「神様はご存知だよ。そのうちに時期をみて、神様はご褒美をくださるよ。こういう静かな生活をしているほうが、世間の人に監視されたり喝采を受ける生活よりどんなにましかわかるだろう。最も高尚な生活を送っている人たちの中には生きているうちは誰にも知られず、世を去ってから人々に痛切な淋しさを感じさせるような人がいるのだよ」
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◆エレナ・ポーター『パレアナの青春』より
なに一つ楽しみのなさそうなところに
一番多くの楽しみがかたまっている
地に落ちる一枚の木の葉は
音をたてなくてもかならずなにかの
喜びをもたらしてくれる
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『赤毛のアン』は、海外の少女文学の中でもほとんどの女の子が読んだり、読んではいなくても名前だけは知っている小説だと思います。
アンの訳者で有名な、村岡花子を描いたNHKの朝の連続テレビ小説のおかげで、彼女が訳した他の少女小説までブームに便乗して再出版されたようですね。
アンのシリーズは、9作あるのですが、私は3作目までしかまだ読んでいません。
アンの想像力、表現力の豊かさに感心して書きとめた文章、そして、なるほどと考えさせられる文章を書いていたようです。
少女文学は、他にも読んでいて、次にあげる作品はどれもとても面白かった記憶があります。
◇エレナ・ポーター『少女パレアナ』、『パレアナの青春』、『スウ姉さん』
◇バーネット『小公女』、『秘密の花園』
◇ルイザ・M・オルコット『若草物語』、『八人のいとこ』、『花ざかりのローズ』
◇ジーン・ポーター『リンバロストの乙女』
◇ウェブスター『足ながおじさん』
中学生までは漫画ばかりで、小説のほうはあまり読んでいなかったのですが、高校生になってからは充実した学校図書館のおかげもあって、数々の小説を児童文学も含めて読み耽りました。環境は大切ですね。
モンゴメリというと、アンが有名ですが、エミリーという少女の成長を描いたシリーズもあります。エミリーの本とはめぐり合っていないため、残念ながら読んでいません。
ポーターというふたりの作家がいますが、調べましたら姉妹ではないですね。
ふたりともアメリカの作家で、偶然にも同じ年に生まれていました。
ジーン・ポーターの『リンバロストの乙女』は日本では馴染みが薄い作品かもしれません。アメリカに実在するリンバロストの森で主人公のエルノラが珍しい蛾を採取して売り、学費を稼ぐという、蛾の苦手な私にすればちょっと眩暈がしそうな設定でした。ですが、作者は博物学者でもあったようで、確かに蛾について細かく美しく宝物のように表現されていたように覚えています。
エレナ・ポーターの『少女パレアナ』は有名ですが、『スウ姉さん』も傑作です。
ラストはハッピーエンドなのですが、これで良いのかという賛否両論のある話だったようです。目立つような主人公ではありません。このような苦労性の人物は長女にはありがちで、どこにでもいると共感できました。私はそのままでハッピーエンドだったと記憶しています。
これらの思い出の小説は、すべて購入していて、10年以上も実家の押入れに入れっぱなしになっています。本当は虫干ししたほうが本のためには良いのでしょうが、おそらく本棚が十分にある家に引っ越すか、片付けるか再読する日まで眠ったままでしょう。