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月の異名  作者: 雲居瑞香
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七話









 今日も今日とて刑部の執務室で書類を読んでいた皓月ハオユエは、名を呼ばれて顔をあげた。

「おーい、皓月。深莉シェンリー女史~」

「なんだ?」

 見ると、ウー侍郎が手招きしていた。立ち上がって彼の執務机の方に行く。途中で褙子はいしの裾を踏んでこけかかった。

「お前、それ、長いんじゃないの?」

「文句はくれた人に言ってくれ」

 もらい物なのである。正確には贈り物である。まあ、贈ってくれた人はもう生きてはいないのだが。

「それで、何だ?」

「おう、これなんだけどな……」

 ややこしい案件などは、二人の侍郎で頭を突きあわせて考えることもある。たまに、尚書しょうしょも巻き込む。

「よし。ありがとな」

「礼を言われるほどのことではない」

 皓月が自分の執務机に戻ると、梓宸ジチェンが裁判記録を差し出してきた。それを受け取る。


「……前から思ってたんですけど」


 記録を提出してもそばを離れない梓宸を見上げ、皓月は次の言葉を待った。


「……ジョウ侍郎、深莉シェンリーって言うんですか」

「ん? ああ、まあ」


 呼ぶ人間は少ないが、彼女の本名は周深莉である。昔なじみや親しい人間などは深莉と呼ぶことはあるが、たいていの人は皓月と呼ぶ。

「だが、それがどうした。本名で名乗っていない人間は結構いるだろう」

「まあ、そうなんですけど……」

 昔は、本名で名を呼びあうことがなかったらしい。なので、今でもあざなで通している人間は結構いる。皓月は気にしない方だが、皓月の方が浸透しているので、そちらを名乗っている。

「周侍郎のほかに、禁城にシェンリーって言う人、います? 例えば女官とか」

「は?」

 思いがけない質問に、皓月は思わず考え込む。


「……いや、禁城に同じ名の人はいなかったと思うが」


 深莉と言うのは珍しい名前ではないが、よくある名前でもない。皓月の知る限り、禁城内には同名の人間はいない。

「突然なんだ?」

「えっとですね、前、シェンリーって名乗る女の子に会いまして……」

「うん?」

 首をかしげた皓月に、梓宸は言いにくそうに言った。

「女官かなって思ったんですけど……」

「その女の子に、お前は一目ぼれしたってことか」

 割り込んできたのは卯侍郎である。こちらの会話に気付いて近づいてきていたらしい。梓宸の肩を組んでからかうように言った。


「い、いやっ、なんていうか……! 同じくらいの年の子で、周侍郎と同じ名前なんだなって思って!」


 あわてる梓宸を冷静に見ながら、皓月は何となく思い当たることがあった。梓宸と同じくらいの年で、女官に見える女の子。そして、皓月の本名を騙りそうな子。

「梓宸、年はいくつだったか」

「へ? 僕ですか? 十八になりますが……」

「なるほど。午後からちょっと付き合え」

「……周侍郎、相変わらず脈絡ないですね」

 梓宸が言うと、それに対して卯侍郎が豪快に笑って言った。

「こいつん中では脈絡があるんだよ。思考回路が不明だけどな」

「……」

 いつものことながら、皓月はつっこみを放棄してただ、間違いを発見した書類を梓宸につき返した。
















 午後になり、皓月は本当に梓宸を連れ出した。確認したが、今日は静花ジンファが来ているはずである。ずんずん歩いていく皓月についていきながら、梓宸は青い顔をしている。

「……周侍郎、参考までに教えてください。どこに向かってるんですか?」

「見ればわかるだろう」

「どう見ても後宮ですよね!」

 禁城の後宮……かつて、掖庭宮と呼ばれたこともある場所は、男子禁制ではない。現皇帝が女であるから、とかそう言う理由ではなく、男子も入ることはできる。それなりの身分と許可が必要になるが。

「大丈夫だ。私が一緒だからな」

「もう僕はどうなっても知りませんからね……」

 梓宸は腹をくくったのかあきらめたのか、おとなしくついてきた。


翠凜ツェイリン

「まあ、周侍郎」


 見知った女官長に声をかけると、翠凜はおっとりと微笑み、梓宸を見た。彼は美女に見つめられてぽっと赤くなる。女官は美人が多いのだ。

「ずいぶんと若い男の子をはべらせているのですね」

「部下だ」

 簡単に答えて腕を組む。冗談を聞き流された翠凜は面白くなさそうに言った。

「少しくらい、乗ってくれても良いのではありませんか?」

「そう言うことは榮河ロンファ子俊ジジュンに頼め」

 ツッコミ放棄である。あの二人なら乗ってくれるだろう。榮河はまじめにボケ倒してくれるだろうし、子俊なら全力でつっこんでくれるだろう。


「翠凜、部下のヤオ梓宸。梓宸、こちら後宮女官長の翠凜だ」

「は、初めまして!」

「こんにちは、梓宸。よろしくお願いしますね」


 にこりと翠凜が微笑むと、梓宸は赤い顔を俯けた。まあ、翠凜は文句なしに美女だし、気持ちはわからないでもない。

「ところで翠凜。うちの姪は来ておるか」

「静花ですか? ええ、来ておりますよ。今、主上と後宮内の散歩中です」

 すっかり仲良しですねぇ、と翠凜が微笑む。女の子たちが仲良くしているのを見るのは、何となく微笑ましくなるものだ。……そう言う考え方は、年よりじみているのか?

「そうか。少し、彼を追加してみようかと」

「……梓宸を、ですか」

 翠凜は一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに思い直したようだ。梓宸は官吏であるから、美蘭メイランの治世に必ず力になると思ったのだろう。それに、友達が静花だけと言うのも寂しかろう。かつて、叡香ルイシャンの友人として子俊と皓月の二人が連れてこられたように、美蘭にも他の友人がいてもいいはずだ。


「あ、姐さん!」

皓月ハオユエ!」


 散歩から戻ってきた静花と美蘭が皓月を見て声を上げる。静花は時々美蘭に会いに来ているが、最近は一人で来るので皓月にはあまり会わないのである。


「珍しいねぇ、姐さん」


 静花が皓月の右腕に抱き着きながら言った。皓月は彼女の頭を軽く撫でながら言った。

「人を連れてきたのでな。主上、彼に見覚えはありませんか」

「え? あ……っ」

 美蘭が梓宸を見て眼を見開いた。わかりやすすぎる。腹芸ができないところが心配であるが、これが彼女の美点であるし、叡香のように腹黒くなりすぎても困る。

「私の部下の姚梓宸です。主上、彼に私の名を名乗ったでしょう」

「ご、ごめんなさい……みんな、皓月の名前、知らないと思って……」

 まあ、それは否定できない。しゅんとした美蘭の頭もそっとなでた。

「怒っているわけではありませんよ。ですが、彼は主上と仲良くしたいようなので、改めて自己紹介をしてあげてもらえませんか」

「あ、うん」

 美蘭はうなずくと、少し体をずらして梓宸を見上げた。梓宸は梓宸で、翠凜の時とは別の意味で赤くなっている。


「こんにちは。先日はごめんなさい。わたくし、リー美蘭と申します」

「あ……はい、すみません! 僕……じゃなくて、私は刑部で官吏をしております、姚梓宸と申します!」


 梓宸は拝礼にしては荒々しい礼をとった。それだけ、余裕がないのだろう。……うん、たぶん、これは美蘭に惚れている。


「うん。覚えてるわ」


 美蘭が微笑んだ。と言うか、こんなに気丈な子ではなかった気がするのだが、静花の影響か? 彼女は見知らぬ場所や相手だろうと基本的に態度を変えないから。これくらいの影響なら、いい影響だろう。単純に育ちの良さが出ているだけかもしれないけど。

「周侍郎、お母様みたいですね」

「突然どうした、翠凜」

 いつぞやと同じように腕を組んで子供たちを眺めていた皓月は、翠凜の言葉に眉をひそめた。翠凜はくすくすと笑う。


「梓宸はともかく、主上や静花にとってはあなたは母なのでしょうね。無条件で護ってくれる人、とでもいうのでしょうか」


 美蘭も静花も、母親が生きている。しかし、美蘭の母は彼女を省みないし、静花の母は離れたところに暮らしている。皓月は母親と言うほどの年ではないが、甘えてしまうくらいには年の離れた大人の女だ。

「……懐かれて、悪い気はせぬからな」

「そうですね」

 翠凜も目を細めて子供たちを見やる。新たに加わり、しかも性別が違うと言う苦境に立っている梓宸だが、科挙を突破してくるだけあって頭はいいので話はそこそこ盛り上がっているようだ。まあ、静花も学術院の学生だし、美蘭も帝王学を勉強中だろう。官吏目線は新鮮だろうし。


 その後、梓宸は疲れた様子を見せたが、楽しかった、と言い切った。年下の女の子たちの中に入って楽しかったと言える彼は強い。たまに派遣してやろうと、皓月はひそかに思った。











ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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