六話
学術院の呪術騒動があってから数日も経たないころ。夜、湯あみをしていた皓月はまたも急な来訪を受けた。
「今度は誰だ」
適当に髪をぬぐい、束ねる。範夫人から名を聞き、皓月は着こむのをやめて夜着の上に褙子を羽織って待たせている客に会いに行った。
「何なんだ。最近、夜中に人の家を訪ねるのが流行っているのか?」
「何の話だ?」
そう言って顔をしかめたのは榮河だった。子俊ほどではないが、こんな非常識な時間に訪ねてきたのは彼だった。
「まあ、突然押しかけて悪かった、が……」
ちらっと榮河が視線を客室の隅に視線を投げかけた。榮河の向かい側の椅子に座り、腕を組んでちらっとそちらを見た。見知った少女が、部屋の隅で膝を抱えて顔を伏せていた。
「……まあ、静花を拾ってきてくれたことは感謝する」
「いや、たまたま見つけただけだからな……」
それでも、変な族ではなく榮河が見つけてくれて助かった。皓月は静花に声をかける。
「静花。こっちにおいで。茶でも飲もう」
「今の時間に茶なんて飲んだら、寝られなくなるんじゃないか?」
「む。では、酒にするか。静花には果実水を出してやってくれ」
皓月が言うと、範は一礼してさがっていった。しばらくして、皓月が所望した者を持ってくる。静花はおとなしく皓月の隣に座った。
「さて。お前、寮は? 抜け出してきたのか?」
「……主上のとこから帰る馬車から、途中で降りた……」
「ふむ。なるほど」
皓月は一つうなずく。榮河は帰宅途中の耀河の川岸で静花を拾ったらしかった。静花も榮河のことは知っているので、おとなしくここまで連れてこられた、と言うわけだ。
「主上のところで何かあったのか?」
「……」
静花がなかなか答えないので、皓月は酒杯から一口酒を飲んだ。それから静花の頭を軽くたたく。
「怒らんから、少し話してくれないか」
「……今日、皇太后様にお会いしたの」
「……ほう」
話を聞くと言ったのは皓月であるが、そう来たか。果実水の入った椀を両手で持った静花はぽつぽつと話す。
「あたし、ずっと主上って意志が弱いし言いたいこともはっきりしないし、守られてるだけのお姫様だって、勝手に思ってた」
「ああ」
とりあえず相槌を打つ。大きくは間違っていない見解であるが、おおっぴらに言えば反逆罪である。
「でも、皇太后様が主上のこと、そんなふうに言って、詰ってるの見て、黙っていられなくて」
「うん」
「皇太后様に主上は頭が良くて器も大きい、皇帝にふさわしい人ですって口答えしてた」
「お、おお」
それは美蘭は喜んだのではないだろうか。静花、なんだかんだ言いつつもよく彼女のことを見ている。
「……あたし、自分が情けなくて……」
「皇太后様に口答えしたことを後悔していると言うことか?」
「違う。あたし、主上のこと、何もわかってなかったんだって」
自分が皇太后に口答えしたことではなく、母親に邪険にされる美蘭のことを思えるとは、静花、人間ができている。皓月が静花の頭を撫でると、彼女はひしっと皓月にしがみついてきた。
「あたし……主上にもっと優しくしなきゃいけなかったんだ。家族なのに、あんなふうに言われてるなんて、思わなかった。主上、ずっと一人だったのに……」
うぇええん、と声をあげて泣き始めた静花を抱きしめて、頭を撫でる。
皇太后が美蘭に対して無関心と言うか、厳しいと言うか、はっきり言って嫌っているのは昔からだ。皇太后ははっきりした厳しい性格なので、おっとりしている美蘭を見ているといらつくのだろう。
美蘭としては慣れていることだろうが、母親に邪険にされると言うのは結構答えるだろう。初めてその現場を目撃した静花が憤慨し、落ち込むのは仕方がない。周家は一族みんな仲が良いから、美蘭たちもそうだと思っていたのだろう。家族と言うのは、仲の良いものだと、思っていたのだろう。
泣き疲れて寝てしまった静花を、寝室に放り込んだ皓月は榮河のいる部屋に戻ってきた。彼は一人で酒を飲んでいた。彼は酒豪と言う段階を越えた蟒蛇である。本人も酒が好きだからそうなる。ちなみに、まじめな彼だが煙草もたしなむ。
「静花ちゃんは?」
「寝たよ。すまんな、付き合わせて」
「いや。大丈夫そうでよかった」
榮河はふっと微笑んで言った。
「子俊ではないが、先ほどのお前たちは親子のようだった」
「やめてくれ……っと、子俊と言えば、一報入れておかねばな」
皓月は厚手の紙に今日、静花はうちで預かる、と言うような文章を書き、その紙を鳥の形に折る。玻璃の窓を開けて、掌に載せた髪の鳥にふっと息を吹きかけた。その鳥がふわりと浮きあがる。
「いいか。学術院の子俊宛てだ」
ふわふわと紙の鳥は飛んでいく。皓月の術の一つだ。伝令鳥。戦の時などは重宝する。距離が長いと難しいが、ここから学術院までなら届く。
「便利だなぁ」
「不便だと言っておろうが」
皓月は一つ息を吐くと、くいっと顎で卓上を示した。
「一献付き合え」
「はいはい」
榮河は苦笑を浮かべると先ほどまで座っていた椅子に座りなおした。皓月が彼の酒杯に酒を注ぐ。
「静花ちゃんは、主上のいい友人になってくれそうだな。やはり、お前の予知はよく当たる」
「予知と言うほどではないが……そう言えば榮河。お前の探し物は妹さんが持っているようだぞ」
「突然なんだ!?」
「いや、予知で思い出した」
何を探しているのかまではわからないが、榮河が探しているもの、というより、気にしているものは彼の妹が持っていると思われた。
「お前、そう言うのってどうやって『視て』るんだ?」
「まあ、その人を見ているとぼんやりと? 普通に占いもできるぞ。してやろうか。この時間なら占星術だな」
「……遠慮しとく。何か怖いし」
「そうか」
皓月はグイッと酒杯を空けた。榮河が皓月の空いた酒杯に酒を注ぐ。
「占星術か。明るく輝く月の名を持つお前にぴったりだな」
「字だけどな」
皓月と言うのは本名ではなく通称だ。だが、もう十年近くこの名で通しているので、今はむしろ本名で呼ばれることの方が少ない。
何となくしんみりした。初めて彼女を『皓月』と呼んだ人間は、もういないのだ。
「邪魔したな」
「いや。こちらこそ引き留めてすまなかった。それと、静花のこともどうもありがとう」
「いや。たまたまだからな」
見送りをしながら、皓月は腕を組んで首を傾げ、榮河を見て少し目を細めた。
「今日は寄り道をせずにまっすぐ帰った方がいいな」
「お前がそう言うならそうする」
そう答えて、榮河は自分の邸に帰って行った。ちなみに、ちょうど榮河が邸についたと思われる頃、雨が降ってきた。
雨は、朝になっても止まなかった。皓月は登城する前に静花を連れて学術院に向かっていた。
「おう、来たか。おはようさん」
「あ、魏先生」
「おはよう。姪が迷惑をかけたな」
学術院の玄関で待っていたのは子俊だった。昨晩、皓月の伝言をちゃんと受け取ってくれたらしい。少し遅れて静花も「おはようございます」と言った。
「よし、ちゃんと帰ってきたな。お前、反省文だからな」
「ええっ」
無断外泊なのだから当然だ。子俊も良く書かされていた。
「ああ、周侍郎、おはようございます。静花、行こう」
「はぁい」
奥からおいでおいで、と手招いたのはいつぞやに面識を得た王宇だ。たぶん、情緒不安定だった静花の様子を見てくれるのだろう。万能医者だ。
「伝言、ちゃんと届いたのだな」
「ああ。ちゃんと受け取った」
何度もやり取りしたことがあるので、子俊も慣れたものだ。彼はちらっと静花が消えた方を見る。
「帰ってこなかった時はどうしたのかと思ったが……」
「苦労をかけたな。他の先生たちをとりなしてくれたのだろう?」
「んー、ああ、まあ」
きまり悪げに子俊が頭をかく。皓月は顔の半分をゆがめるような笑みを浮かべた。
「ありがとう。助かった」
「……お前、笑うんならもっとちゃんと笑えよ」
子俊はぐにっと人の頬をつねるとそんなことを言った。
「お前も仕事だろ。そろそろ行った方がいいんじゃねぇの」
「ああ。そうする」
朝議に出なければならない。そろそろ向かわなければ、間に合わないだろう。
「では、また」
「ああ。気をつけろよ」
子俊がひらひらと手を振ってきたので、皓月も何となく振り返した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
子俊の読み方、正しくはズージュンのような気がする。




