四十二話
最終話です。
事件から一か月ほどたった。その日は秋の除目が公表される日である。官吏のほとんどが謁見の間に集められている。深莉も珍しく女性用の緑の正装である。引きずるほどの裳が歩きづらく、何度か躓きかけた。
「これより、秋の除目を行う」
きりっとして言ったのは玉座に坐した皇帝・美蘭である。さすがに、皇帝が板についてきた。
「刑部尚書・安雲正を太師に任じる」
安尚書改め安太師が膝をついて拝命した。一気に官位が上がった。
「続いて尚書令に吏部尚書・欧陽暁」
空いていた役職の穴を埋めている感がある。暁も微笑んで拝命した。
「空いた吏部尚書に御史中丞・王夏燦、刑部尚書に刑部侍郎・卯霜賢」
二人がそろって拝礼する。大体順当であるが、皇太后が絡んでいれば絶対にあり得ないであろう人事だ。たぶん、美蘭が暁と相談して決めたのだろう。
「尚書左僕射、礼部尚書・柳榮河。御史大夫、刑部侍郎・周深莉。禁軍左軍将軍に魏子俊を復帰とする」
官吏の大移動が行われた。こう言った除目は高官だけが皇帝より直接承る。下に行けばいくほど、紙一枚で異動となることがある。
「本当はね。皓月には太尉を任せたかったのだけど」
ゆったりとお茶を飲みながら、美蘭が言った。変わらず静花が遊びに来ている。翠凜のほかに、安太師と周大夫(深莉)がそのそばに控えている。
太尉は軍事を担当する宰相であるとされる。ちなみに、通常の宰相は尚書令であるとされ、太師は天子の師であると法律上は定められている。御史大夫は宰相の補佐とも皇帝の側近とも言われる。うまい采配であると思うが、美蘭と暁で決めたのだろう。ほぼ暁の采配だと思うけど。
「……姐さんにそんなに権力持たせていいの?」
静花が心配そうに言った。何やら最近、静花の中で深莉の評価が低い気がする。美蘭がふふっと笑って両手で花茶の入った椀を持つ。
「わたくしね、皓月を母のように思っていたの」
安太師と翠凜の視線が深莉に向けられる。深莉は組んだ腕をぎゅっとつかんだ。
「同じように、兄を父のように思っていたわ。年が離れていたから、よく面倒を見てくれたの。皓月は兄と仲が良くて、よく気にかけてくれたからね、きっと。……わたくしはただ愛情が欲しかっただけなのよね」
「……主上~」
何故か静花が泣きそうな表情で美蘭の手を握った。美蘭は微笑む。
「皓月たちと引き離されて、わたくし、いつも守られていたとわかったの。皇帝が何をするものなのか、わかっていなかった。自覚したら、お兄様が本物の皇帝だったと言うことがわかったわ」
そう言って美蘭は深莉を見てにっこり笑った。
「お兄様は国のために私情を挟まなかったのね。お兄様は皓月のことが好きだったけれど、あなたを妃にするよりも官吏としてともに国を支えることを選んだのだわ。だって、その方がいい方向に向かうから」
だからね、と美蘭は再び静花を見る。
「わたくしも私情を挟まないことにしたの。だから、皓月は御史大夫。順当だし、独立した権力を持っていれば、彼女は好きに動けるでしょう?」
「……すみません。よくわかりません」
静花が言った。彼女は本当に脳筋なのだ。頭を使っていないだけなのかもしれないけど。一緒か。
「……主上、皇帝みたい」
静花が手を合わせて感動したように言った。美蘭が苦笑して「わたくし、もともと皇帝なのよ」と言った。
「でも、確かに今まではただ玉座に座っているだけだったわ。これから頑張らなければ」
ただ座っているだけでは皇帝ではない。彼女の場合は、不利な要素が多すぎると言うのもある。それでも彼女がやると言うのであれば、深莉たちは全力で助ける。
「なら、あたしもお手伝いします!」
「静花にはまず武科挙に受かってもらわないと」
「そうでした……」
静花ががっくりした。美蘭がそれを見て笑う。楽しそうな少女たちに、深莉も目を細めた。組んでいた腕をほどき、深莉は安太師と翠凜に断り、後宮の裏手に回った。
「逃げるのか」
そう声をかけると、後宮の裏門から外に出ようとしていた女官は振り返った。赤い瞳は隠されているが、その顔立ちは間違いなく璃雪だ。
「まあ! どうしてわかってしまったのかしら」
「私の予知能力を忘れたわけではなかろう」
わかりきったことを言う璃雪に、深莉は答えた。やはり、脱獄してきた。どうやって脱獄したかは聞くまでもないだろう。禁城の牢くらいなら、深莉でも敗れる。
「嗣悠に霊力封じをしてもらったはずなんだが」
「深莉様の弟君のこと? 霊力を封じられたって、やりようはいくらでもありますわよ」
平然と答える璃雪に、深莉は「確かにな」とうなずく。それ以上動く気配のない深莉に、璃雪は首をかしげる。
「わたくしを捕まえに来たのではありませんの?」
「私一人では、お前を捕まえることができんのでな」
深莉は術者としては半人前である。璃雪を一人で捕まえるのは不可能だろう。
「そうでしょうか。深莉様と戦えて、わたくし、楽しかったですわ」
にっこり笑って璃雪は堂々と門から出て行く。深莉も追わなかった。ただ、彼女を見送ったあとに鳥の形に折った紙を取り出す。ふっと息を吹きかけると、その鳥は空に舞いがった。深莉が師事する方向に飛んでいく。
伝令を見送っていると、誰かが走ってくる足音が聞こえた。深莉は振り返る。
「深莉っ」
「どうした」
やってきたのは子俊だ。将軍に復帰した彼は、今は宮中にいるのである。
「お前、璃雪を見なかったか」
「ああ。今出て行ったぞ」
けろりとして言う深莉に、子俊が「止めろよ!」というツッコミを入れた。深莉は「うむ」とうなずく。
「私の力量では止められぬでな」
「どの口が言うんだよ。面倒くさかっただけだろ」
正直、それもある。だが、何も手を打っていないわけではない。
「璃雪は脱獄したが、その方が都合がいいのでな。始末書は手伝ってやるから」
そう言って深莉は子俊の肩をたたいた。
「お前、わかっててやったのかよ!」
怒って深莉を見た子俊だが、彼女が微笑むとぐっと表情をこわばらせて顔をそむけた。深莉は目をしばたたかせて子俊の頬をつついた。
「やめろよ」
と言いつつ彼が振り払う気配はない。深莉はふふふ、と笑った。
「そこのお二人ー。いちゃついてないで手伝ってくださいよ」
禁軍の武官だ。子俊の部下だろう。子俊が「おう」と声を上げる。離れる前に、深莉は彼の腕をつかみ、「ねえ」と声をかけた。
「今度、付き合ってくれないか」
「何に?」
「晩酌」
「お前、喧嘩売ってんのか」
そう言いながらも、子俊は付き合ってくれるのだろう。子俊は彼女の頭を人撫ですると門から離れた。たぶん、いない門番を手配しに行くのだろう。たぶん、璃雪が排除したのだろうけど。
深莉は門の側にある木の方を見た。その根元に、見覚えのある顔があった。
「死んでから二年もたつくせに、まだあの世に行っておらぬのか。体は僵尸にされておったのだぞ」
返事はない。何も言えないのだ。話せないし、触れない。ただ、そこに存在しているだけの幽霊。深莉は扇子を開いて口元を隠した。目を細める。
「それほど心配だったか? まあ、気持ちはわからぬではないがな」
叡香は、妹や深莉たちを残して言ったことを気にしていたのだろう。
美蘭も皇帝としての自覚ができたようだし、深莉ももう、大丈夫。
「いつまでもうろついておると、悪霊になるぞ。なんなら手を貸してやろうか」
木の根元にいる幽霊、叡香はにこにこと笑うとすっとその体がすけ、消えた。あの世に向かったのだろう。心配をかけてしまった。深莉はため息をつく。
「さて」
深莉も御史台に戻るべく身を翻した。ちょうど、派遣されてきた門番とすれ違った。
△
「まーた、深莉も無茶を言うよねぇ」
嗣悠はぐっと伸びをして言った。その手には深莉から届いた手紙がある。
「二の兄上~、義姉上~。行きましょう」
「はいはーい。ちょっと待ってね」
返事をしたのは義姉だった。深莉が引きこもりと称した次兄の妻である。彼女も、破魔の力を持つ術者だ。
術者・璃雪を捕まえた深莉は、嗣悠に彼女の術を封じるように頼んできた。その上で彼女は言った。
『彼女は必ず脱獄する。その時は連絡するから、周家で捕らえてくれ』
深莉は自分の力で捕らえておくことができないと判断した。それを受けて、嗣悠は実家の長兄に連絡して、応援として次兄夫婦に来てもらったのである。
「さーて。深莉の読み通りなら、そろそろ……」
「帰りたい……面倒くさい」
嗣悠よりも優れた術者である三十代半ばの次兄はけだるげにそんなことを呟いている。妻に慰められていて、とても仲が良さそう。
小柄な人影が見えた。
「……まあ」
術を使って移動していたのだろう。だが、その術が通じない三人が現れてその小柄な女性は目を見開く。一度会ったことのある嗣悠にはわかる。
「やあ、璃雪。こんにちは」
「……」
さすがの璃雪も顔をこわばらせている。嗣悠は追い打ちをかけるように続けた。
「迎えに来たんだ」
そして、三人の手により、再び、璃雪は捕らえられた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ついに最終話…。まだ回収していないフラグがある気もしますが、一旦完結とします。
ありがとうございました!!




