四十一話
「あら。待っていたわよ」
禁城の後宮につながる門の前に待っていたのは、吏部尚書の欧陽暁だった。彼女はひらひらと手を振っていた。
「……欧陽尚書の出迎えとは、豪勢ですね」
「そう言うのなら、もう少し感動的な感じで言いなさいな」
ふふっと暁は笑い、二人に「お疲れ様」と言った。
「こちらも解決済みよ。そのお嬢さんもそのまま連れていらっしゃい」
暁はそう言って深莉と子俊を手招いた。深莉はそのまま暁について行く。少し迷ったらしい子俊も、璃雪を抱えたままついてきた。
後宮内の離れに、中書令が軟禁されていた。彼が深莉たちの捕縛命令を出したらしい。何かと助けてくれた彼だが、それは、深莉たちに自分のしたことがばれないようにするためだったとのこと。
「どうやって特定したんだ?」
「いや、あからさまに動きが不審だった」
とは、榮河の言である。暁が「そうね」と微笑む。
「黄中書令の家は三代ほど前に公主が降嫁しているものね」
美蘭に対し、危機感を抱いたと言うことだろうか。確かに、深莉も現状、宰相を置くべきだとは思う。
京師にやってきた璃雪は黄中書令と皇太后に接触した。この二人は璃雪に操られているわけではなかったが、利害が一致したと言うことだろう。彼女の協力を得て深莉たちを追い詰めにかかった。この辺り、ちょっと心情を操作されていた感じがするが、まあ過ぎたことだ。深莉が術がかかっているか確認して、解いてやる必要性を感じない。
皇太后は深莉を排除したい。黄中書令も、いつ真相に気付くかわからない深莉や榮河、子俊を何とかしたい。と言うことで、この無茶苦茶な命令が出されたらしい。
皇太后と璃雪はともかく、黄中書令……判断を誤ったな。やはり、璃雪の支配下に置かれていたのだろうか。まあ、今となってはどっちでもいい。
「あなたたちに対する謹慎命令は解除されたわ。というか、そもそも捕縛命令を出していないもの。王中丞が協力者を洗い出しているわ。アキの除目では、異動が多そうねぇ」
と、人事を司る吏部尚書が言った。暁はこれから忙しくなるだろう。話半分に聞いていた深莉と榮河であるが、「あなたたちにもかかわりがあるのよ」と言われた。それもそうか。二人とも官吏だ。
「そこのお姉様方。彼女はどうするんですか」
呼びかけたのは王宇だ。静花もいるが、彼女は何故か禁軍の武官ときゃいきゃいとはしゃいでいる。
「……貴族牢にでも放り込んでおこう。まあ、私たちに捕まえておけるような娘ではないだろうが、一応、体裁のためにな」
深莉は璃雪を投獄しても、脱獄すると思っている。赤い瞳の支配力を完全に抑えることは不可能であるし、深莉でも脱獄は可能だろう。
「見張りを強固にすれば?」
「そう言う問題ではない。犠牲者が増えるだけだ」
子俊の提案にも深莉はさくっと言い切った。人を増やしても、璃雪はこれ幸いとその人たちを支配下に置いて悠々と脱獄するだろう。深莉の勘は当たるのだ。
「まあ、黄中書令が浅はかだったと言うことで」
榮河が適当にまとめた。すべて片付いたから、もういいや、と言う感じが見て取れる。暁も「そうね」などと同意している。
「考えるのも面倒だわ。王中丞は大変でしょうけど、私たちはこれからのことを考えなければ」
暁はそう言って、くるりと深莉を見た。
「ひとまず、あなたは武皇太后様とお話ししてくるべきね」
「……何故です」
「だってあの方、かわいがっていた息子のことですらちゃんと理解していないでしょう」
「ああ~……」
先帝・叡香の旧友全員から同意の声が漏れた。それはわかる。
「でも何故私が……」
「ほかの二人にはできないでしょ。ほら、行ってきなさい!」
暁にぐいぐい押され、深莉は離宮を出た。皇太后は後宮の本殿にいるらしい。
一人でふらりとやってきた深莉を、皇太后はじろりと睨んだ。
「馬鹿な女だと笑いに来たのでしょうね」
「私は笑わないと言うことで有名なのですが」
仕事中は笑わないだけだ。私的なときは結構笑うと思うのだが、みなさんいかがだろう。
「……かわいくない女だこと」
「あなたは自分の娘ですら、可愛いと思ったことはないでしょう」
さくっと言い切ると皇太后は眉間にしわを寄せて深莉を睨んだ。軟禁状態にあるとはいえ、皇帝の母だ。待遇は良い。
干将莫邪は置いてきたが、羽扇の風天はまだ持っている。いつも持っている扇子の代わりにそれで口元を隠した。
「……あなたのせいよ」
つぶやくように言った皇太后に対し、深莉は何も言い返さない。皇太后が叫んだ。
「あなたのせいよ、全部、全部! 叡香が死んだのも、わたくしがここにいるのも!」
「……」
「あなたがいなければ、叡香は死なずに済んだのだわ!」
「そうですね」
深莉は皇太后の意見に同意を示す。深莉は勝手に椅子に腰かける。
「私が判断を間違えなければ、叡香が殺されることはなかったでしょう」
「この……っ!」
皇太后が右手を振りかぶった。その手が深莉の頬を捕らえる。高らかな音が響いた。高い音が鳴ったが、痛くはなかった。
眼を細めたことに、深莉をたたいた本人である皇太后はびくりとしたようだが、勢いで言い募った。
「なんて傲慢なの! こんな女に、あの子がたぶらかされたなんて……! 手に入らないから殺すなんてとんでもないわ!」
深莉は皇太后の中で出来上がっていた筋書きにびっくりした。どうやら、皇太后の中では深莉が叡香をたぶらかしたことになっているらしい。深莉にはそんな高等技能はできないが。
「……皇太后様。どうやら重大な認識の齟齬が見られるのですが」
「何よ!」
「私が叡香をたぶらかしたことはありません」
「しらばっくれるの!?」
「そもそも私が愛しているのは、今も昔も子俊……魏将軍です」
さらりと言ったが、言ってからちょっと恥ずかしくなった。表情に変化はなかったのでたぶん、ばれなかった。
「ですが、私が叡香を慕っていたのは事実です。彼は、本物の皇帝だった。主君として尊敬していました」
それは事実だ。皇太后がそんな深莉を見つめる。
「……あなた、妃になろうとしていたのではないの?」
「私が妃になって何の得があると言うのです? 私は望んで科挙を受けたのですよ。誰にも手出し不可能な試験です」
わざわざ難しい試験を突破してきたのに、何故そこから妃嬪になろうと思うと言うのだろうか。そう思っているのなら、最初から素直に女官になっている。
「結局、あなたは本当にわかっていなかったのですね」
深莉はすっと立ち上がる。
「私は妃嬪になろうと思ったことはないし、叡香も、私を妃にしようと思ったことはないでしょう。あの人は、私が知る限り尤も偉大な皇帝でした。一時の気の迷いで、私を政から引き離すようなことはしなかったでしょう」
深莉は官吏としての方が真価を発揮する。だから、皇太后の心配ははじめから取り越し苦労だった。彼女が責めるべきはただ一つ。
「私が叡香を殺した犯人だと言うのであれば、私はそれを否定するつもりはありません。私は彼の身代わりでした。なのに、守ることができませんでした。その罪で私を捕らえると言うのであれば、私は抵抗しません」
「……」
皇太后が無言で深莉を見つめた。捕らえられているのは皇太后。自由なのは深莉。
「……もういいわ。あなたとは、最後まで相容れないみたい」
「……そのようですね」
深莉は褙子を翻し、部屋を出た。外でぐっと伸びをする。
「皓月っ!」
美蘭だ。ずっと蚊帳の外だった彼女を見て、深莉はとっさにまずいなと思った。絶対に説明を求められると思ったのだ。
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