三十六話
「行ってきます」
その日の朝、深莉がそう言って邸を出て向かったのは、禁城ではなかった。耀河を渡り、向こう岸に着くと、ひとつの商家を尋ねた。大きな商家だ。
「おはようございます」
すると、中にいた青年が振り返って微笑む。
「皓月様。お待ちしておりました」
「ああ。しばらく世話になる」
青年は蘇明鳳。子俊の従弟であり、魏家の商売を受け継ぐ人物でもある。子俊の父の妹が明鳳の母にあたるので、姓が違うのである。
「子俊兄上から話は聞いております。あなたが一番に到着しました。まあ、兄上をのぞけば、ですけど」
と明鳳が笑う。彼の笑みは胡散臭く感じる。いや、今回のことで世話になるので、そんなことは言っていられないのだが。
明鳳が深莉を案内したのは、魏家の敷地内にある小さな小屋だった。そこから数段の階段を下り、半地下になっている場所に入った。
「兄上。皓月様が来た」
「深莉」
窓から外を見ていた子俊がこちらに気付いて歩み寄ってくる。深莉を眺めてほっと息を吐く。
「無事だな」
「うむ。追手が放たれる前にこちらへ来たのでな」
とはいっても、この魏家の隠れ家もすぐに見つかってしまうだろう。その前に、別の場所へ移動する必要があるが、今はまだ待ち人がいる。
「……連れてきた方がよかっただろうか」
「俺もちょっと思ったけどな……。下手に出て行って自分が捕まっても本末転倒だし」
「確かにな」
二人の会話を苦笑気味に聞いていた明鳳は「来たらお連れしますよ」と言った。子俊が明鳳に礼を言う。
「すまん、明鳳。礼を言う」
「構いませんよ。ま、ことが落ち着いたら、皓月様にはぜひ協力していただきたいのですが」
「……まあ、内容によるが」
「美女が行う占い屋とか、儲かると思うんですよね~」
「……それはちょっと……」
深莉はあまりそう言うのは得意ではない。もちろん、未来視はできる。少し前に麗鈴に行ったことがあるし、ある程度は可能だろう。だが基本的に、深莉は占い師には向いていない。悪い結果が出ても、そのまま伝えてしまうだろうからだ。
「いいんじゃねぇか。ま、官吏をやめることになったら、だな」
「いつになるんですかねぇ、それは」
いとこ同士で勝手に話を進めている。深莉は特にツッコまず、小屋の中を見渡していた。
子俊と明鳳がいくつか会話をした後、明鳳が店の方に戻っていく。子俊と深莉が小屋の中に残った。深莉は近くの長椅子に腰かける。
「……巻き込んでしまったな」
「いや、何も考えてなかった俺たち全員が悪い」
子俊の言葉に、深莉は目を細めて笑う。お前のせいだ、とも自分のせいだ、とも言わないのが彼だ。そして、深莉はそんな彼が好きなのだろう。
「……お前さ」
「なんだ」
子俊のぽつりとした声に深莉は瞬間的に真顔になる。子俊はふっと笑うと彼女の隣に座った。
「いや、なんでもねぇよ」
「……」
深莉は釈然とせずに子俊を見るが、彼はただ穏やかに笑うだけだ。最近、彼のこんな表情を見ることが多い気がする。深莉は首をかしげながらも問い詰めることはしなかった。
「すまん。少し遅かったか……もう少し遅い方がよかったか?」
などと言いながら明鳳に案内されてやってきたのは最後の待ち人、榮河。今のは子俊の柔らかな笑みと深莉の戸惑ったような表情を見ての感想である。二人とも、すぐに真顔になったが。
「いや、これ以上遅いと、お前、捕まるだろう」
「そうなんだけど、いい雰囲気のような気がして」
子俊が「うるせぇ」と榮河を蹴った。深莉は「落ち着け、馬鹿者」と子俊の肩に手をかける。
「とりあえず、そろったな。うちのじゃじゃ馬は?」
静花のことだ。彼女の後見人は深莉である。血縁もあるため、深莉に対する人質になどされたらたまらない。
「あとで王宇が連れてくる予定」
「……今更だけど、王宇を巻き込んでいいのか?」
榮河がつっこんでくるが、子俊がさらりと言った。
「学術院は、だいたいが反皇太后派だ。皇太后は学術院に干渉したがっているからな」
「お前、そう言うのわかるの」
深莉が本気で驚いて子俊を見上げた。子俊は半ば怒ったように叫んだ。
「後半は榮河からの情報です!」
「ああ、ものすごく納得した」
「……」
納得を示した深莉に、子俊が半泣きになった。怒ったり泣いたり、忙しい男だ。
「今のは深莉が悪い」
「自分もそう思います」
榮河どころか、明鳳にもそう言われて深莉は眉をひそめると、うなだれた子俊の肩をぽんぽんとたたいた。
「なんか私が悪いらしいので、ごめん」
「心がこもってない」
子俊がすねたように言ったが、今はそんな事を言っている場合ではないので、とりあえずこれで打ち切りとした。
「それじゃあ明鳳。俺たちは行ってくるからな。捜査が入ったら、行先を言ってくれても構わん。その方が、うちの為だろうし」
「わかりました。まあ、本当のことは言えないですけどねぇ。あなた方をかくまっていたなんて」
と、明鳳は腹黒く笑う。損益が一番の明鳳は商人向きだ。そして、深莉たちに手を貸してくれるのは、情があるからではなく、彼女らに貸を作れるからだ。つまり、彼は深莉たちがこの状況をうまく切り抜ける可能性の方が高いと思っているのである。
「皓月様。お礼に、うちの店の未来を見ていただけませんか」
自分でお礼とか言う明鳳。まあ、それくらいはかまわないが。
「私の占は自分が関わっている相手だとあまり当たらないのだけど」
「それでもかまいません」
では、と深莉はじっと明鳳の目を見る。他にも道具を使うやり方もあるが、今は手元にない。女性だと手を取ったりもするのだが、男性だとあまりそう言うことはしない。
「……うん。無事に明鳳は魏の商家を継いでるから、大丈夫だ。それなりに繁盛している、と思う」
「おや、あなたにしては自信なさげですね」
「昔、これでしくじっているからな」
あの時も、じっと叡香の目を見つめてその未来を見た。あの時は、確実に自分の願望が、その未来視の中に混じっていた。今回は違う、とは言い切れないのだ。
「慎重さも大事ですが、思いきりも大事だと思いますよ。皓月様、ありがとうございます。皆様、お気をつけて。またお会いできる日を楽しみにしています」
明鳳はそう言って、三人を見送った。相変わらず、どこまで信用できるか謎だが、自分に利益がある限りは信用できるだろう。
外を歩くにあたって、特に変装はしなかった。だが、いつもより見回りの武官の人数が多い気はする。堂々と歩いていても声すらかけられなかったけど。そして三人して無事に隠れ家にたどり着く。一本奥の通りに入った、そこそこ治安のよくない場所にある一軒家である。
「普通に来られたが、深莉、何かしていたのか」
尋ねたのは榮河だ。深莉は「いや、別に」としれっと言った。子俊が「はあ?」と声を上げる。
「お前……堂々と通り歩いてたのかよ!」
「お前たちも歩いていただろ。ま、はっきりしたな」
「何がだ」
榮河の問いに深莉はふっと笑う。
「命令を受けている下の連中は、私たちの顔を知らないと言うことだ」
人相書きなど、役に立たんからな、と深莉は言ってのける。特徴を押さえたよく似た人相書きなどもなくはないが、まれだ。もし、口頭でのみの伝達であったなら、深莉たちが捕らえられる可能性は低い。彼女らの顔を知っている人物でなければ。
「そもそも、私が女装しただけでだれかわからなくなるような連中だぞ。早々見つからんだろうなぁ」
「……悪い顔だ」
子俊に突っ込まれた。まあ、自覚はある。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
そろそろ話をたたみます。




