三十話
壁と棚の狭い隙間を覗き込んだ深莉はそこに何か塊を発見して手を隙間に突っ込んだ。むんずとつかんだものは生暖かい。深莉はそれを引っ張り出した。
「わあ! 子猫!」
静花が声を上げる。深莉の背後から静花と美蘭が覗き込んでいた。深莉が引っ張り出したのは手のひらに乗るほどの子猫だった。毛玉だ。茶色っぽいふわふわな子猫だ。
「あ、もう一匹いるんじゃない?」
美蘭がわくわくとしたように言った。深莉は静花の掌に子猫を乗せると、もう一度腕を突っ込んだ。静花にやらせてもいいのだが、深莉の方が腕が長いので仕方がない。かなり奥の方にいるのだ。またもふもふな小さな生き物を引っ張り出した。今度は灰色のまだらの子猫だ。
「かわいい~」
女の子二人が声をそろえた。さすがに皇帝に子猫を渡すわけにはいかず、二匹の子猫は布を敷き詰めた箱に入れられた。
かわいい、かわいいを連発する静花と美蘭に、深莉は「夜中ですのでもう寝たほうが良いのでは?」と言ってみたが、二人とももふもふの生き物に夢中だ。一応深莉が箱を持って長椅子に座っているのだが、左右から箱を覗き込んでいる。まあ、確かにもぞもぞ動いている姿は可愛らしい。
「かわいい~。一匹ほしい……」
美蘭が真剣な表情で言った。後宮で猫や犬を飼っていた、と言う記録もあるので、それは不可能ではないが。
「まずは医師に見せてからですね。明日の朝、私が連れて行きますので、それからです」
「一緒に行っていい!?」
静花が言った。深莉は静花を見る。
「むしろ、お前を連れて行く目的もある。行くのは学術院だ」
「あ、王宇に見せるのね。なるほど」
静花は察しよくうなずいた。こんなに察しが良いのに、何故こんなに残念なのだろう。
「幽霊の正体はこの子たちだったのね」
みゃあみゃあと鳴いている子猫を見て、美蘭は納得したように言った。猫の鳴き声は、子供の泣き声に聞こえることもあるという。たぶん、聞き間違えたのだろう。深莉も聞き間違えたことがある。
「安心したわ。あ~、かわいい」
美蘭はそう言って笑み崩れる。しかし、すぐにあくびを手で覆い隠した。
「さすがに眠くなってきたわ」
「お眠りになられてください。朝まで不寝番をしますので」
「え、それから仕事するの?」
「お気になさらず」
ちなみに、深莉は不寝番をしたことがない。周囲が深莉に対して非常に甘いので、いつでも「お前は寝ろ!」と言われるのである。
「まあいいわ……あ、そうだわ。どうせなら、眠るまで琵琶を聞かせてくれない?」
「お望みとあらば」
深莉は子猫の入った箱を静花に渡すと、立ち上がってしまわれた琵琶を持ってきた。それを抱えて長椅子に座り直す。
深莉がその琵琶をかき鳴らすと、すでに寝台に潜り込んでいた美蘭がそっと目を閉じる。
「……久々だわ。あなたの琵琶の音を聞くのも」
そう言えば、まだ美蘭が幼いころは、時々つま弾いていたか。やがて、美蘭の寝息が聞こえてくる。すると、みゃあみゃあ鳴いている子猫を抱えた静花が尋ねてきた。
「今主上が言ってたのって。先代の皇帝陛下が生きていらっしゃった頃のこと?」
「そうだね」
美蘭が大きくなるごとに回数は減っていったが、母親に顧みられない美蘭にとって、深莉との時間は大切なものだったのかもしれない。
△
朝、翠凜が美蘭を起こしに来たときに、入れ替わるように深莉と静花は皇帝の寝室を出た。一度着替え、そのまま学術院に向かう。先に伝令を飛ばしてあるので、王宇が出てきてくれるだろう。
「っていうか、姐さん、仕事遅れるんじゃない?」
「そっちにも言ってあるから大丈夫だ」
緩い。刑部、緩い。と思いつつ、学術院に到着した。
「また来たのか、お前」
「また出てきたの、お前」
子俊といつも通りの応酬をして、静花を差し出す。
「一日借りて悪かったね」
「ホントだな。静花、もうすぐ講義始まるから行って来い」
「……なんか、先生っていうよりお父さんみたい……」
などと言いながら静花が学術院の校舎に入って行った。深莉は子俊を見上げてふっと笑う。
「お父さんみたい、だと」
「お前だってお母さんみたい、とか言われてるだろ」
「そこ二人、玄関でいちゃつかないでください」
待機していた王宇から苦情が入った。深莉と子俊は目を見合わせて肩をすくめる。深莉が手にしている籠の中から、みゃあ、と子猫の声が聞こえた。
「その子ですね」
「ああ。すごく小さいんだけど……」
深莉が籠を差し出すと、王宇はぴらっとかけてあった布をめくった。子猫が二匹、にゃあにゃあ鳴いている。
「か、かわいいな……」
子俊の言葉に、深莉と王宇は彼の顔を見た。子俊は「なんだよ!」と半切れ状態。
「いや、お前の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかっただけだ」
「……もちろん、お前のことも可愛いと思ってるぞ。たまには」
などと言いだすので、深莉は王宇に向かって尋ねた。
「どう思う、これ」
「とりあえず私に言えることは、いちゃつくならよそでやれってことですかね」
王宇、冷たい。無表情が基本の深莉もさすがにちょっとすねた。
まあそれはともかく。診療室には子俊もついてきた。彼の講義は半刻後かららしく、時間があるのだそうだ。
「私も動物を診るのはそんなに得意じゃないんですが……。生後二十日ってところですかね。栄養状態も悪くないですし、体調不良も見当たりません。大丈夫です。っていうか、この子猫、周侍郎が飼うんですか?」
「……たぶん、そうかな」
猫の一匹や二匹、飼ったところでさほど影響はない。ただもふもふが増えるだけだ。猫くらい養えるくらいの給金はもらっている。
「もしかしたら、主上が欲しいっていうかもしれんが」
「何故主上」
「いや、この子たち主上の寝室から出てきたのでな」
深莉の言葉に子俊は「そう言えば、静花がそんなような話をしていた」と納得していた。昨日の夜、静花が美蘭の元へ行く、と言いだし、何気に子俊は戸惑っていたらしい。
「まあ、後宮で飼われる分には問題ないと思いますよ。可愛いですしね」
やっぱり男性から見ても可愛いのか。王宇もちょいちょいと子猫をつつく。子猫はその指にちゅうっと吸い付いた。
「……餌、あげてないんですか」
「温めた牛乳はあげた」
あげ方が良くわからず、注射器に少量入れて飲ませたのである。
「……やり方としては正しいですけど、なんで注射器なんて持ってるんですか」
「……たまたまだ」
「まあ、深くはツッコみませんけど」
王宇は探るようにじろっと深莉を見たが、何も聞き出せないと悟ったらしい。子猫を返した。
「ちゃんと世話してくださいね」
「承知している。朝から邪魔したな」
「いえいえ。これくらいなら」
王宇はそう言ってくれたが、さすがに申し訳なかった。専門外の猫を診させるようなまねまでさせてしまった。
「では、私はそろそろ行く」
「ああ、深莉。約束、忘れるな」
見送りがてら子俊にそう言われ、深莉は「わかっている」と答えた。
「二日後だろう。わかっているから、仕事に行け」
「ああ」
子俊は目を細めて笑うと、身を翻した。深莉は少し動揺しつつも待たせていた馬車に戻る。
「禁城まで頼む。このまま出仕する」
一度邸に戻ろうかとも思ったが、このまま子猫たちを連れて行くことにした。どちらにしろ、一度美蘭の元に連れて行かなければならない。
「主上に、お前たちの名前も決めてもらおうか」
もふもふの毛を撫でると、子猫たちはみゃあ、とかわいらしく鳴いた。
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