二十九話
子俊との約束の日まであと三日に迫ったころ、深莉は皇帝・美蘭に呼び出された。と言うか、相変わらず静花とお茶を楽しんでいるところに呼ばれた、と言う方が正しい。
部下の梓宸を連れて後宮の庭に行くと、いつも通り美蘭と静花が楽しそうに話しをしていた。近くに女官長の翠凜の姿がある。
「あ、皓月こっち。梓宸もいらっしゃい」
美蘭が手を振って深莉を呼ぶ。静花も「姐さ~ん」と大きく手を振った。いつも少し離れて見守っている深莉だが、せかされて静花の隣に座る。梓宸は必然的に美蘭の隣になるが、心もち隙間を空けて座っていた。
「どうぞ」
翠凜が深莉と梓宸の前にもお茶を出す。深莉がそれを一口飲んだのを見てから、美蘭が口を開いた。
「あのね、皓月」
「なんでしょう」
「幽霊って、いる?」
「……」
突然そんなことを聞かれて、深莉は黙り込んだ。なんと言えばいいのだろうか……。
「主上、目撃されたので?」
「うん……うーん、見たと言うより、聞いた?」
「聞いた、と言うと」
「こう……夜に赤ん坊の泣き声みたいな声が聞こえてくるのよね……!」
静花が身を震わせる。わりと怖がりである梓宸も涙目だった。美蘭自身も怖くて深莉に相談したようだが、他の二人に比べればまだ平然としている。
「え、つまり、赤ん坊の幽霊ってことですか!?」
「怖っ!」
梓宸と静花が叫ぶ。静花は一応、術者の一族周家に生を受けた子なので、異形などは見なれているはずなのだが、それとこれはまた別と言うことか。
「……まあ、術者であることと霊感はまた別ですからね」
「何の話?」
美蘭に突っ込まれてしまった。話しを戻そう。
「まあ、幽霊がいるかいないかで言えば、いますね」
「いるのね!?」
美蘭が身を乗り出して言った。彼女の隣では逆に梓宸が身を引いている。
「皓月は除霊とかできる人?」
「できなくはありませんが、兄の方が得意ですね」
何度も言うが、深莉は術者としては中途半端なのだ。妖魔と戦うのも、通常、術者は術で戦うものだが深莉は武器を使った方が討伐率が高い。
「できるのなら、いいわ。ちょっと除霊してくれない?」
「今からですか?」
「ううん。わたくしの部屋で」
つまりそれは、内宮に入れと言うこと? 叡香が皇帝だったときはたまに訪ねていたが、そう言えば、美蘭が皇帝になってからは、ない。
「主上ご自身が除霊されても駄目なんですか」
梓宸が疑問を呈してくるが、美蘭は「だって、部屋にいるときに聞こえてくるんだもの」と言う。なるほど。部屋で、と言うのも正論である。
「あ、地縛霊と言うやつなのかな」
と、静花が深莉を見上げて尋ねた。いや、それは実際に見てみないとわからないけど。
「静花は霊感がないんだったか?」
「うーん、どうなんだろう。禁城にいると、たまに気配はするけど」
「多いからな、ここ」
特に後宮は。過去の妃嬪たちの霊だろうか。きりがないし、悪さをしてこないから放置しているけど。
「多いんですか!?」
梓宸が半泣きで言った。大丈夫かな。こいつ、明日から登城できるかな……。
「まあそれはな。禁城ほど、恨みつらみ怨念渦巻く場所も無かろうよ」
「……怨霊でもいるんですか……」
「いたら強制排除だな。まあ、未練を持つ者が多いと言う意味だ」
それだけ不本意な死を迎えたものが多いと言うことであるが、まあ、怨霊にまでなるような人はほとんどいないのではなかろうか。もしいたら、それこそ除霊師が排除するだろう。
「梓宸って見える人?」
「いや……今まで見たことはないけど……」
「じゃあいいじゃん。いないのと一緒」
さっくりと言ってのけたのは静花だ。我が姪ながら実にさばさばとした言いようである。しゅんとした梓宸を美蘭が慰めていた。
「それで、皓月」
「……効果があるかは保証しませんが、わかりました。しかし、後宮ならともかく、内宮など、私たちには入れませんよ」
正確に言えば、昼間なら入れるだろうが、夜に入るのは難しいだろう。不審者対策と言うことで。
「それは大丈夫。ねっ、翠凜」
「はい。こちらの女官に成りすましていただくと言うことで」
と、翠凜がまじめな表情で言うので、深莉もさすがにツッコミを入れた。
「いや、私が成りすます場合必ず引っかかるんだが、身長は?」
むしろ武官に化けたほうが自然なくらいの背丈である。実際、梓宸少年よりも背が高いのだ。
「どうしてあなたはそんなに縦に伸びたんでしょうね」
「私が聞きたい」
深莉がまだ十代のころからの付き合いである翠凜にそんなことを言われるが、それは深莉自身が知りたい。
「まあ、問題ないと思いますわ。ようは女官に見えればよい、と言うことですし。周侍郎、もう少し身長縮まりませんの?」
「無茶を言うな」
翠凜なりの冗談がさく裂したところで、美蘭が「決まりね」と言った。
「今日、就業後に後宮に来てね。翠凜が待ってるから」
「御意に」
一応、召されたと言うことなのだろう。内宮と言うとあまりいい思い出はないが、懐かしい気もする。叡香が生きていた時は、いつも榮河や子俊が一緒だった。
「おお、きれいな服」
感動したようにその場でくるりと回ったのは静花だ。夜、結局彼女もついてきたのである。翠凜が少し呆れた顔をした。
「周侍郎、後見人であるのなら、もう少し良い服を着せてやるべきでは?」
「一応、着る服は本人に選ばせているのだが」
そう。一応、静花のすっきりとした格好は、本人の好みを反映しているのだ。
「……まあいいです。お二人とも、行きましょうか」
翠凜の手引きによって後宮女官風の衣装に着替えた深莉と静花は、翠凜に続いて普段は入らない皇帝の私的空間、内宮へと足を踏み入れる。
「主上、お連れしました」
「入って」
翠凜が美蘭の私室の扉をたたく。中から美蘭の声で返事があった。翠凜が静かに扉を開け、深莉と静花を中に通すと自分は中に入らずに扉を閉めた。
「失礼いたします」
「こんばんは」
拱手した深莉に対し、静花は朗らかに言った。美蘭は嬉しそうに静花に駆け寄る。
「静花も来てくれたのね」
「もちろん! 面白……心配だったから!」
静花、本音が漏れている。美蘭は深莉の服の袖を引っ張る。
「皓月、こっち。よろしくお願いします」
「お役にたてるかはわかりませんが」
深莉はそう言いつつ美蘭の寝台の側に連れて行かれる。
「いつもね、寝ようとしたら泣き声が聞こえてくるの」
と言うわけで寝る振りするね! と美蘭は本当に寝台に入った。彼女の兄叡香もそんなところがあったが、美蘭もなかなかぶっ飛んでいる。
深莉と静花は目を見合わせたが、ともに近くの長椅子に腰かけた。
静かな時間。美蘭は寝たふりをしているし、深莉も黙っている。すると、静花は眠くなってきたらしく深莉の膝に頭を乗せた。静花は髪をつむじでまとめているだけである。深莉も髪を緩くまとめていた。
静花の頭を撫でる。少女二人が静かに寝息を立てていた。本当に寝ているし。深莉は顔をほころばせる。少女二人の寝顔は愛らしい。深莉にもこんなころが……なかったかもしれない。
深莉はふと、泣き声のようなものが聞こえることに気が付いた。反響しているのでどこから聞こえてくるのかわからず、深莉はあたりを見渡した。
「ん……はっ」
深莉が身動きしたことで、静花が目を覚ました。自分が寝ていたことに気が付いて跳ね起きる。
「おはよう」
「いや、まだ夜じゃん。いや、そうじゃなくてなんか聞こえる……?」
「そう言うことだ」
足が解放された深莉は立ち上がり、皇帝の寝室を調べて回る。静花は美蘭をゆすり起こしている。
「主上、起きてください」
「んん~」
美蘭がのろのろと身を起こす。そしてはっとしたようだ。
「聞こえる! この声!」
美蘭が叫んだん瞬間、泣き声が止んだ。深莉は添えつけの棚の隙間を覗き込んだところだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
幽霊の話。




