二十八話
夏も盛りをいくらか過ぎた。深莉の兄夫婦は、最後に年の為、と言って京師の結界の強化をして華北州に帰って行った。これには弟の嗣悠も付き合ってくれたのだが、彼はその翌日にはふらりとまた旅に出た様子だった。
久々に子俊、榮河と酒を飲みに行った帰りである。いつもいいと言うのだが、必ず二人のうちどちらかが深莉を邸宅まで送ってくれる。たいていは子俊か。
深莉自身がかなりの戦闘力を持つので、二人とも結構適当で送っていく、と言っても形ばかりだったものが、最近では本気度が増している。あまりにも彼女が危険な目に合うからだ。行きはたいてい榮河と一緒だし、帰りはたいてい子俊が一緒だ。まあ、榮河は一緒にいてもあまり意味がない気もするが、そう言う問題ではないのだろう、とは思っている。
まだがやがやとにぎやかな歓楽街を二人で歩く。にぎやかな通りを抜ければ、静かな居住区域に出る。深莉の邸宅へ行くには、そこからまたしばらく歩かなければならない。
会話もないまま歩いていた二人であるが、不意に子俊が「なあ」と話しかけた。
「ん?」
深莉は隣を歩く子俊を見上げる。彼は視線を合わせないまま尋ねた。
「お前、次の休みっていつ?」
「……休み? 十日後だが」
深莉は首を傾ける。覗き込むような体勢をとったら、子俊にぐいっと顔面を押された。
「何をする」
「いや、すまん……その、よかったら一緒に出掛けないか」
「うん……うん?」
反射的にうなずいたが、内容に少し違和感を覚えたので尋ね直す。
「一緒に出掛ける、とは」
「いや、休みの日に甘味でも一緒に食べに行かないかと言っているんだが」
「二人で?」
「二人で」
「何故?」
「何故って……」
律儀に深莉の疑問に答えていた子俊であるが、ここできれた。
「あーもう! 要するに逢引だよ!」
と、簡潔に言われて深莉は納得して「ああ!」とうなずいた。
「なるほど」
「なるほどじゃねーよ。なんてお前って時々すごく理屈っぽいの。普段は結構適当なくせに!」
「失敬な。これでも国の役人なのだぞ」
常に理屈っぽいつもりです。いや、術者であり軽いが予知能力がある時点で理屈っぽさからは遠ざかっているのか。
「まあそれはいい。行くのか、行かないのか」
返事を迫られて、深莉は数秒考えた。それから返事をする。
「行こう」
「では決まりだ」
若干ほっとしたような表情を見せた子俊に、深莉も思わず頬が緩む。
「でも何故突然」
「別に突然でもないだろ……榮河に、言われたんだよ」
お前、このまま深莉と何事も無かったら、あの世で叡香に笑われるぞ。
「……」
なんだか榮河の掌の上で転がされているような気がする。というか、何故そんなに深莉や子俊をあおるのがうまいのだろうか。たぶん、子俊にも深莉にしたのと同じ話をしたうえで、こうしたあおり文句を言っているのだろう。
「それで、行動に移してみようと思ったと」
「……悪いかよ」
ふてくされたように言う子俊に深莉は首を左右に振る。
「いや。お前から言ってこなければ、私から誘ったかもしれないな」
深莉の性格的にそれはありえないが、そう言ってみる。すると、子俊は深莉の顔を見て驚いた表情をし、それから顔をそむけた。深莉は何だろう、とちらりと彼を見たが、気にしないことにした。もう深莉の邸宅はすぐそこだ。
「……休みの日、午後に迎えに来る」
「承知した」
私的な要件とは思えない口調で返事をした深莉に、子俊は思い出したように言った。
「そう、お前、女の恰好して来いよ」
「……!」
「なんで驚いた顔するんだよ! 当たり前だろ!」
そう。男女二人で出かけるのだから当たり前だ。深莉は別に、男装しているわけではないし、そう言う格好をしていると男に見える、と言うわけではない。昔、叡香の身代わりを演じた時など、本気で男装したときはちょっと引くくらい弟にそっくりに出来上がったりもしたが、普段の恰好で男に見えるわけではない。今だってそうだ。
「……承知した」
そもそもうちに女性用の衣装があっただろうか、と考えながらも深莉は了承を口にする。
深莉からその返事を引き出せたことに満足したのか、子俊は笑うと「じゃあな」と身を翻した。深莉は衝動的にその袖をつかむ。子俊がびくっとして振り返った。
何かを言うべきだ。深莉が引き留めたのだから。なので、贈ってくれてありがとう、と告げようと思ったのだが、言う直前で言葉を変えた。
「楽しみにしてる」
「……俺も」
途端に子俊は優しい表情になって深莉の頬を撫でた。深莉がびくりと体を震わせる。子俊も驚いたように手をひっこめた。
「すまん」
「あ、いや、いやだったわけではない」
深莉がそう言うと子俊は「そうか」と言ってもう一度深莉の頬に触れた。それから今までにないくらい優しく微笑むと、名残惜しそうに手を放す。
「じゃあ、またな」
「ああ……子俊も気を付けて。送ってくれてありがとう」
「ああ」
子俊は軽く手を上げると自分の邸に帰るべく歩き出した。ちなみに、彼の邸もこの界隈にある。彼は祖父の代で商業が成功したとかで、とんでもない金持ちの家に生を受けた。そこらの貴族よりもずっと裕福である。ただ、長男の一人息子である彼は商業の才能がないので、たぶん、彼の従弟が家を継ぐのだろう。子俊も商売をしてみたいとは思わないみたいだし。
ちなみに、その従弟殿は商魂たくましく、深莉と面識を得て予知能力のを知った時に、『その力で一儲けできますけど、どうですか』なんて言ってきた。深莉は彼の将来をちょっと心配してしまった。
まあそれはともかく。帰ってきた気配はするのになかなか家の中に入ってこない深莉を、範夫人は心配していたようで待ち構えていた。
「お帰りなさいませ、深莉様」
「ああ、ただいま」
奥に入っていく深莉について範夫人は言う。
「子俊様ですか。なかなか入っていらっしゃらないので、何かあったのかと」
「ああ……何もないが……」
言いかけてふと気づいたので尋ねてみる。
「なあ、範夫人」
「なんでしょう」
「このうち、女性用の衣装ってあったか?」
「……えっ」
範夫人の驚いた、という反応に地味に傷つく深莉である。範夫人は咳払いをすると言った。
「えっと、深莉様が着られると言うことでよろしいのですよね」
「……まあ、そう言うことだな」
口にしたらちょっと恥ずかしくなった。別に、深莉は全く女性の恰好をしないわけではないのだが、自分から進んですることはめったにない。基本的に男物の方が動きやすいからである。女物はそうしても、使われている生地の量が多い分動きづらい。
「まあ、いくつかあると思いますが、いつまでにご所望で?」
「……十日後だな」
「そうですか」
仕立てるには時間がないと思ったのだろう。いや、深莉もそこまでしなくていいと思うのだが。だが、珍しく深莉が着る気になったので用意してやりたい、と言うのが範夫人の心情なのだろう。
「この機会に、一式そろえてみましょうか」
うきうきした様子で範夫人が言った。深莉は返事に詰まる。用意しても、着ないかもしれないし、だとしたらもったいない気もする。既製品では深莉の身長では丈が足りないので、どうしても誂えることになるのだが、着ないのに作るのももったいない。だが、必要なときが……来るのか?
「別に何もなくても定期的に着ればよいのでは?」
「……まあそうかもしれんが」
だが、深莉は女物を着て出かけた時に妖魔に襲われている。今度もそうなったら嫌だな、と思いつつもうなずいたのだった。
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