十七話
深莉はごうごうと言う風の音が耳に付き、目を覚ました。そして、隣に誰かが寝ている気配がする。ここは禁城の後宮で入ってくる人間は限られている。しかも、深莉の寝どこに入ってくるとはすばらしい根性である。まあ、勧められたとはいえ後宮で安眠する深莉自身もいい度胸だが。
時間を確認すると、まだ夜が明けたころだ。まだ雨風がひどく、嵐が去っていないのだろう。深莉は隣で眠っている人物の肩をゆすった。
「何をしている。起きろ」
「ふぁ? もう朝?」
そう言って身を起こしたのはこの国の皇帝・美蘭だった。こんな子ではなかったと思うのだが、やはり静花の影響だろうか。
「夜が明けたころだが、内宮に戻った方が良かろうな」
皇帝がいなければ騒ぎになるだろう。いや、深莉が思っているほどではないのか? 美蘭は割と頻繁に執務室やら私室から消えている。こういうところだけ兄に似たようだ。
「そうね……お邪魔してごめんなさい」
「いや、邪魔をしているのは私の方だからな」
禁城のすべては美蘭のものであるので、邪魔をしているのは深莉の方である。
昨夜、夜半過ぎに深莉は女官長・翠凜の勧めに従い、後宮の部屋を借りて休んでいた。そこに、美蘭がやってきたのである。
「雷が怖いから、一緒に寝てもいい?」
などとかわいらしく小首を傾げ、枕を両手で持ち、深莉の元を訪ねてきたのである。どう考えても翠凜が手引きしているが、彼女は知らぬ存ぜぬだ。そろそろ彼女が何をしたいのかわからない。
そんなわけで深莉と美蘭は一緒に寝ることになったのだ。美蘭はずっと嬉しそうで、寝起きの今も嬉しそうだ。
「うふふ。皓月がお兄様と結婚していたら、いつでも一緒に眠れたのに」
「そうだな……」
それはないだろうと思いつつ、深莉は適当に返事をする。その気のない返事にもかかわらず、慣れている美蘭は気にせずがばっと起き上がる。
「ねえ。お兄様が生きてたら、結婚してた?」
深莉はよく好かれたものだなぁと思いながら起き上がり、片胡坐をかいた。その膝に頬杖をつく。
「さて。どうだろうな」
「そうよね。皓月は子俊が好きだもんね」
「……そうだな」
美蘭の言葉に、深莉は目を細める。女の子と言うのは、幼くても鋭いものだ。深莉自身は、そう言ったことにうといが、一般的にはそうであるらしい。
そもそも皇帝の言葉に逆らうことはできないとか、叡香は強要はしないだろうとか、そういうつっこみもしないことにした。
くぅ、と美蘭の腹が鳴った。おなかがすいているらしい。というか、さすがにそろそろ戻った方がいいだろう。美蘭もそう思ったのだろう。寝台から降りると肩掛けを羽織る。深莉も起き上がると褙子を羽織った。
部屋の扉を開けると、雨風の音がひどくなった。美蘭は不安そうに「これ、収まるのかしら」と眉をひそめる。深莉は回廊の窓から空を見上げ、言った。
「まあ、早ければ夕刻には雨が弱まってくるでしょうね。夜半前には風も弱まり、場合によっては星空が見える可能性もあります」
先ほどまでかつてのように、美蘭に対し姉のように接していた深莉だが、さすがに衆人の目がある場所でそんな扱いはできず、皇帝に対するものに改めたのだが、美蘭に非難がましく睨まれた。
まあとりあえず、嵐は無事に去っていきそうだ。むくれている美蘭を連れて一度台所に寄り、それから美蘭を翠凜に預け、深莉は刑部に戻る。始業時間前の外朝は静かだ。
「おはよう」
ひょこっと刑部をのぞくと、昨日お泊りを決め込んだ十人ばかりが自分の机や応接用の長いす、もしくは床で伸びていた。
「おはよう……ございます……」
慣れないところで寝たせいか、苦しげな表情であいさつを返す、床に突っ伏した官吏。科挙を突破してくる人間は、深莉も含め変な人ばかりだ。
「大丈夫か? というか、差し入れ持ってきたぞ」
「なんだ!?」
急速に起き上がったのは、来客用の長いすで伸びていた卯侍郎だ。現金である。深莉は持ってきた籠を机におくと、蓋を開けた。
「……なんだこれ」
「おにぎりだな」
「見りゃわかる」
「なら聞くな」
一応おかずもあるぞ、と下の段を空ける。まあ、簡単な炒め物だが。先ほど、だ後宮の台所を借りて作ってきたのだ。
「いらんのなら構わん。禁軍にでもあげてくる」
「食べます!」
勢いよく言ったのは卯侍郎ではなく他の官吏たちだった。おなかがすいていたらしい。そして、何となく朝食に移行する。
「あ、この炒め物おいしい。周侍郎が作ったんですか?」
「まあな」
新人にしてお泊りを決め込んでいた梓宸がタケノコやニンジンの、鶏肉の炒め物を食べながら「おいしい」と微笑む。それから言った。
「周侍郎、料理できるんですね。意外です」
「まあ、周家では自分のことは自分でできるように叩き込まれるのでな」
自分も一緒に食べながら、深莉は言った。熱い茶でおにぎりを流し込む。
「……なあ、これ、お前作ったの? お前、もうちょっと器用じゃなかった?」
と、卯侍郎が見せてくるのはいびつな形をしたおにぎりだ。どうにも不自然な格好をしており、こんな形に出来るのはある意味才能である気がする。
「いや、それは某私の亡くなった友人の妹姫が作ったのだ」
「友人の妹……って、それ、しゅじょ……っ」
「おっとすまん。反射的に」
条件反射で梓宸の頭に手刀を叩き落とした深莉は棒読みに謝る。ここで『主上じゃないですか!』などと言われてあらぬ疑いをかけられたくない。いや、もうかけられているのか?
深莉の亡くなった友人は叡香のこと。その友人の妹姫は美蘭のこと。深莉は遠回しにそのいびつなおにぎりは美蘭が作ったのだ、と言ったのだ。
「……これ、俺達で食って大丈夫なの? 罰せられない?」
恐れ多くも女帝陛下が握ったおにぎりを食そうと言うのだ。警戒するのは無理もない。
「怖いなら無理するな。私が食べるから」
「怖いと言うか、恐れ多いと言うか」
ためらう官吏たち。形は微妙だが、ただのおにぎりだ。変な具さえ入っていなければ食べられるだろう。とりあえず深莉は一つ手に取り、梓宸の手に乗せた。
「とりあえず、貴様は食べておけ。そして、主上に感想を言うんだぞ」
「いや、なんか恐れ多いんですけど……」
とはいえ、好きな子が握ったおにぎりだ。梓宸は意を決したようにほおばる。
「……あ、普通のおにぎり」
そりゃそうだ。普通のおにぎりしか作ってないし。ちなみに中身は梅干しだった。
少し多いかな、と思ったくらいだったのだが、やはり男性と言うのはよく食べるらしい。深莉も女性にしては食べる量が多い方だが、肉体派ではない官吏たちの方がよく食べる。と言うわけで、彼女が持ってきた籠は空になった。
「ごちそーさん」
卯侍郎が言うと、みんな口々に深莉に礼を言う。まあこれは、彼女の気まぐれなので礼を言われるほどのことではない。
「なあ皓月。これ、雨やむの?」
「夕刻にはだいぶ弱くなってくるだろうて」
美蘭に答えたのと同じ返答をする。いや、たぶん収まってくるが、そう言う自分も不安になってくるほど、今雨風は強いのである。
「あー、どんだけ被害出てるだろうな」
禁城の中にいるので、何もわからないのである。刑部は災害などには直接かかわらないし、現状が把握できないのである。
「うちも無事かなぁ」
「卯侍郎、周侍郎。これって俸禄上乗せされたりしないんですか?」
みんな口々に好きなことを言う。俸禄が上乗せされることはないだろうな……と深莉は思う。どうしてもというのなら戸部に掛け合ってもいいが、たぶん取り合ってくれないだろう。
「まあ、ぼちぼち仕事を開始しようではないか。ま、今日は何人登城して来られるかはわからんがな……」
「それな」
遠い目を下深莉の言葉に卯侍郎が同意した。本当に、何人が登城できるかわからない。下手に家から出ない方が安全であるし。今日は少人数体制での対応になりそうだ。
結局、嵐は深莉の予言通り夕方頃には通り過ぎ、雨が弱まった。夜中には風も凪ぎ、星空が見えた。被害の方は、まあ、家が飛ばされるほどではなかったが、屋根が飛ばされた建物はいくつかあったそうだ。何より問題は水害であるが、そのあたりはきちんと事前に対策を練っていたので大した被害にはならなかった。
そして、深莉たちには重要なことに、少し蒸し暑さが和らいだ気がした。
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