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月の異名  作者: 雲居瑞香
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十六話









「……嵐が来るな」


 深莉シェンリーは雲一つない空を見上げてつぶやいた。刑部の玻璃の窓を全開にし、そこから空を見上げて扇子で自分を仰いでいる姿は、風情があると言うよりただの変人である。


「お前、こんな天気がいいのに何言ってんの。猛暑日連続最新記録らしいぞ」


 ウー侍郎の声も若干疲れている。気持ちはわかる。この猛暑が、すでに十日近く続いているのである。


「嵐が来るんなら雨降るだろ。いいじゃん。ちょっと涼しくなるだろ」


 卯侍郎も扇子で自分を煽いでいる。煽いでも、生ぬるい風が来るだけだけど。

「だろうな。今回の嵐が過ぎれば、多少は涼しく成ろうよ。……ただし、無事に通り過ぎればの話だが」

「え、何ですか。何かの比喩じゃなくて本当に嵐来るんですか」

 つっこみを入れたのは最近遠慮がなくなってきた梓宸ジチェンである。この年で科挙を突破してきたのだから当たり前だが、彼も頭の回転が速く、そして、順応力が高い。

「そうだなぁ……三日後、いや、二日後の夜中だな。翌日中には通り過ぎるが、災害は警戒しておいた方が良かろうなぁ」

「え、そんな感じの天気なの」

 卯侍郎が扇子を煽ぐ手を止めて深莉を見た。深莉は「確定ではないが」と言い添える。

「いや、お前が言うってことは結構確率高いだろ。お前の天気予報、当たるし」

「そうなんですか?」

 またも果敢に尋ねてきたのは梓宸である。本当に図太くなってきたものだ。配属されてきたばかりのころのちょっとおどおどしていた彼を返せ。


 梓宸がこうなったのは、自分のせいだという自覚のない深莉である。

「まあな。三年前に大雪降ったの知ってるか?」

「ええ。ちょうど学術院に入学したころです」

 降りましたね、大雪。と梓宸がうなずく。そう言えば、あれもか。

「あんときもこいつが突然そんなことを言いだしてな、急遽軍をあげての大雪対策だぜ。あんとき俺は工部にいてなぁ」

「へえ……あれ? その時って周侍郎は刑部にいました?」

「いや。当時は兵部で軍師をしていた。先帝の御世だからな」

「そ、そうですか」

 言いづらそうに梓宸は相槌を打った。深莉は先帝・叡香ルイシャンの崩御後に刑部に左遷されたに等しいのだ。まあ、刑部も深莉向きの仕事ではあるが。


 話を戻して、二日後夜の嵐である。深莉の言うとおりの規模の嵐が来るのであれば、事前に対策しておかなければとんでもない被害が出る。

 と言っても、耀河に土嚢を積んだり、風で飛ばされないように戸板を固定するのは工部や、依頼を受けた軍のしごと。刑部はというと、実際に災害が起こった時のための法律作りである。正確には、新たに作る法律が元からある法律に反していないか調査するのだ。刑部としては、嵐のさなかよりも、過ぎ去った後の方が忙しい。


「それにしても、尚書はどうやって災害対策を認めさせたのであろうな……」


 深莉の予言から二日後。まだ昼であるが、風が強く、玻璃の窓がガタガタ揺れている。空も雲行きが怪しい感じだ。


 現在、ジン皇国の宮廷はちょっと怪しい感じである。一応、最大派閥は皇太后の派閥なのだが、中書令のような先帝派も多いし、そもそも女帝美蘭メイラン自身がどちらかと言うと先帝派よりの考えだ。とても微妙な均衡なのである。

 深莉の訴えは、皇太后派には却下されるだろう。しかし、美蘭や中書令たち先帝派は無視しないだろう。刑部尚書は何を考えているかわからないお人だが、仕事はできるし深莉は尊敬している。しかし、皇太后派をどうやって説得したのだろう。


「勝手にやらせてんのかね」


 過去の法令を確認している卯侍郎がやる気なさそうに言った。いや、それはないだろう。うちの尚書の性格に反するし、見る限りどこの部署も対策に追われている。

 謎は深まるばかりである。その刑部尚書だが、今日もどこかにふらふらと行ってしまって、行方不明である。すでに探す気にもならない。

 終業時刻となると、ちらほらと帰宅しようとする官吏が見られた。すでに雨も降ってきているし、強風にあおられている。深莉も卯侍郎も今日は帰らないつもりなので、それを眺めるだけである。

「うわぁ、大丈夫かよ。途中でみんな、とばされんじゃないの?」

「徒歩で来たものはまだましだな。この中、馬車を動かそうものなら下敷きになるな」

「もうなってるだろ」

 つまり、馬車を使って出勤してくるような高位のものほど危険と言うことだ。ちなみに、深莉はたいてい馬車だが、今日は徒歩で来た。

「卯侍郎。妻子は大丈夫なのか?」

「平気平気。家から出るなって言ってあるし、家も補強してきたし」

「さすがだな」

 卯侍郎、抜かりない。深莉はちょっとずるをして、邸のまわりの結界を強化してきた。そのため、壊れることはないだろう。禁城は古代からの術で護られており、多少の天候の荒れではびくともしない。つまり、禁城にいる方が安全である。


「今日はみんな仲良くお泊り会かぁ」


 卯侍郎が伸びをしながら窓から離れる。深莉が腕を組んで壁に寄りかかった時、空を紫電が駆け抜けた。次いで轟音。雷だ。深莉の予言のせいか、今日はお泊りの多い刑部の中で悲鳴が上がった。

「い、今の、近くに落ちませんでした!?」

 上ずった声で梓宸が言った。ちなみに、十八歳の彼は今のところ刑部で最年少である。

「ああ。近かったな」

「禁城に落ちたりしませんよね……?」

「ふっふっふ。どうだろうなぁ」

「ぎゃー!」

 梓宸をからかって遊んでいるのは卯侍郎だ。窓枠に寄りかかっていた深莉は視線を梓宸の方に向ける。


「安心しろ。禁城は強固な結界で護られている。そうそう雷は直撃せぬよ」


 まあ、数百回に一回くらいは落ちるかもしれないが、それでも確率はかなり低い。

「え、それ、本当ですか? たまに、周侍郎って真顔でとんでもないこと言いますよね?」

 事実なのだが、梓宸にかなり疑われている。深莉は唇の端を吊り上げてにやりと笑う。

「さて。信じるも信じないもお前しだいだ」

 深莉がそう言ったとき、背後で再び雷が落ちた。また、近い。深莉は何気なく窓の外をのぞいた。

「!?」

 そして、玻璃の窓にへばりつくように外をのぞいた。背後から「何やってんですか、周侍郎」とツッコミが入った。深莉はそれを無視すると、刑部から駆け出て外に出た。雨に濡れるのも構わずに先ほど窓からのぞいたあたりを見渡す。


「……やはりいないか。しかし」


 あれは、葬列だった。死者の葬列。誰かを死後の世界に連れて行くぞ、という凶兆だ。深莉があれを見たのは、二度目である。

 一度目の時は、叡香を連れて行かれた。深莉の予言では、深莉自身が死ぬはずだったのだ。だが、実際に葬列が連れて行ったのは叡香の方だった。

 いくら見渡しても、葬列はもう見えない。と言うか。


「あわわわ」


 強い雨に打たれて全身はずぶ濡れ。さらに風にあおられて褙子が飛んで行った。ついでに言うと、身動きが取れない。葬列も見つからないし、建物の中に戻る。


「何してるんですか周侍郎! 何のために泊まることにしたと思ってるんですか!」


 まっとうなことを言ってきたのは梓宸である。つっこみが冴えわたっている。

「いや、ちょっと気になるものを見た気がしてな」

 裳をぎゅっと絞ると、水がこれでもかと言うほど絞られた。衣装が重い。ばさっと頭から布をかけられる。

「お前、後宮行って服着替えて来い。夏とはいえ濡れたままだと風邪ひくぞ」

「……わかった」

 深莉に布をかけた卯侍郎の指示に従い、後宮に向かうことにした。女官長の翠凜ツェイリンは、「後宮は貸衣装屋ではありませんのよ」などと言いながらも深莉が着られる衣装を貸してくれた。

「すまない。ありがとう」

「どういたしまして」

 風呂までいただいてしまった。後宮に住人がいないからできることではある。湿った髪は、ある程度乾かしたがどうしても完全に乾かすことができないので、束ねてかんざしでまとめることにした。

「ついでに後宮に泊まって行かれます?」

「……いや。とりあえず、刑部に戻る」

「さようですか」

 では差し入れです、と翠凜は茶葉を深莉に手渡した。疲れが取れると言う花茶だった。

「服を借りた上に、すまないな」

「刑部の皆さんには、いつも周侍郎がお世話になっていますもの」

「……」

 にこにこと翠凜は邪気なく笑った。あまりツッコむ気にはなれないので、深莉はそれをありがたく頂戴した。

「ではありがとう。助かった」

「どういたしまして。無理はなさらないでくださいね」

 ひらひらと手を振り、見送る翠凜に背を向け、深莉は後宮から外朝に戻った。










ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


深莉の特技は天気予報(笑)

というか、全然進まないですな……。


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