十二話
少しずつ暑くなってきて、納涼節が近い。いつぞや飲みに行ったときに、榮河が『初夏の宴』と言っていた宮中儀礼である。習慣として、官吏百官を巻き込んだ宴が開かれるのだ。下っ端官吏ならともかく、多少偉くなってくると出席しなければならい。もちろん、刑部侍郎である深莉もいやおうなしに参加者の一人だ。
主催者は皇帝だ。ということで、礼部が音頭をとっている。宴やら外交やら科挙やら。礼部は政治的な権力はないが、やることはたくさんある。
「あのー、周侍郎。柳尚書が呼んでるんですけどー」
すでに何度か繰り返されたやり取りである。頬杖をついて裁判記録を呼んでいた深莉は顔をあげ、刑部の執務室の入り口から榮河が手招いているのを見つけた。
「……」
深莉は立ち上がると、褙子の袖に腕をつっこみながら彼に歩み寄った。
「今度は何の用だ。忙しいのではないのか」
深莉が榮河を見上げて尋ねると、彼は「忙しい」とうなずいた。なら自分の執務室で仕事をしていろ。
「だから教えてくれ。初夏の宴の日は晴れるか?」
「知らん」
即答だった。むしろ、榮河の言葉を食い気味に言ってのけた。
「なんだと!? お前の得意分野だろう!」
「別に私、天気予報が得意なわけではないし」
比較的あたる占だが、外れることもたまにある。それに、初夏の宴はまだ先だ。深莉が『視える』予報は、せいぜい二・三日後までである。よほど大きな事件ならともかく、天気ならばこれが限界だ。
「私でなくとも、天気が読める人間くらいおるであろう」
深莉が指摘すると、榮河は「そうなんだけどな」と腕を組んだ。この二人は多いのだが、二人とも腕を組んでいて同じような体勢だ。
「お前の方が精度が高いって、みんなが」
「……」
深莉は目を細めた。そこまで言われると、何かはしなければならないような気がしてくる。ずるい言い方。
「……まあ、その周辺は天気が荒れることはないだろうと思う」
まだ少し先のことだが、少なくとも大雨や強風、と言うことはなさそうだ。たぶん。深莉がわかる限りでは。かなり自信なさげなはずだったのに、榮河は安心したように「そうか」とうなずいた。
「ならよかった……悪いな、仕事の手を止めさせて」
「それは構わんが」
本当にそれだけ聞きに来たのか。ありがとう、と立ち去る榮河に深莉はさすがにつっこみを入れたほうがいいか迷った。
「ああ、それから合間の剣舞は子俊に依頼しようと思っていてな」
「いいんじゃないか?」
立ち止って振り返った榮河がそんなことを言いだした。素っ気ない返事をした彼女に彼は笑うと、言った。
「ちゃんと出席しろよ」
「……」
あわよくば欠席しようと思っていたことに気付かれていたらしい。まあ、友人の雄姿でも見に行くと思えばいいのだろうか。あまり、皇太后の前に姿を見せたくないのだが。
「うおーい、皓月。今、柳尚書来てたな」
「ああ。来ていたが」
卯侍郎が近づいてきて書棚に寄りかかった。深莉は上から書簡が落ちてこないかちょっと心配である。
「納涼節の話? もちろんお前も行くよな」
確認ではなく、確信だった。卯侍郎の言葉に、深莉は「まあ」とうなずくしかない。卯侍郎はにやっと笑う。
「せっかくだし、女装して来いよ」
「何故だ。面倒……動きにくい」
眉をひそめ腕を組んで年上の男を見る。卯侍郎は小柄なわけではないが、深莉と身長は同じくらいだ。深莉の背が高すぎるのである。体格だけ見れば一回りくらい違うけれど。
「いや、お前面倒いって言いかけなかったか? 動きにくいのは、正装なら男も女もそんなに変わらんし。お前美人なんだからもう少し気を使った方がいいんじゃねぇの」
「余計なお世話だ。というか、別に気を使っていないわけではない」
優先順位が低いだけだ。やれと言われればちゃんと女装もできる。……変な言い方だが。
「ま、いいから当日はちゃんと出て来いよ。着飾って」
「何故そんなにこだわるんだ」
深莉が不審げに尋ねると、卯侍郎は心の底から叫んだ。
「花がないだろ!」
たぶん、刑部の官吏たちは全員、この人馬鹿だな、疲れてるのかな、と思っただろう。
△
所要の為、深莉は部下の梓宸を伴って学術院に来ていた。深莉にとっても梓宸にとっても母校である。
「当たり前ですけど、周侍郎も学術院にいたんですよね」
「もちろんだ。学術院に入らなければ、科挙も武科挙も受けられぬからな」
学術院に入学することが、官吏、武官になる最低条件なのである。
「周侍郎って何歳で科挙に受かったんですか?」
学術院の廊下を歩きながら、梓宸があれこれと聞いてくる。深莉が科挙に合格したのは十七歳の時、今から十年前だ。改めて考えるとずいぶん昔のことである。年を取ったはずだ。
「へえ。さすがですね」
「お前も十八歳で及第しておろうが。本物の天才と言うのは、榮河のような人間を言うんだ」
「柳尚書ですか?」
「そうだ」
彼は本当に天才だ。天才と言うより、秀才と言った方がいいのかもしれないが、彼は本当に頭がいい。深莉もそれなりに頭脳派である自覚があるが、彼には及ばないだろう。
学長室での仕事を終わらせた深莉と梓宸は少し学術院の講義を見学していくことにした。ちなみに、科挙は礼部の管轄であり、学術院などの教育機関も礼部が統括していた。
刑部が担当しているのは主に司法だ。学術院に何の関係があるかと言うと、在籍者の出身地などを登録管理しているのが刑部なのだ。
「周侍郎は武官になろうと思わなかったんですか? 強いですよね」
武官志願者訓練を見ながら梓宸が尋ねた。何となく知り合いを見てしまうもので、二人の眼は静花と、教官である子俊を追っていた。
「私ははじめから官吏を目指していたからな。一応、武科挙の模試は受けたことがあるが、体力が足りなかった」
そうなのだ。腹立たしいことに。深莉の強さは術に裏付けされているものだから、当然と言えば当然なのだが。
「何やってるんですかあなた……っていうか、魏先生って結構普通に教えられるんですね」
さらっと失礼なことを言う梓宸である。しかし、実は深莉も同じようなことを思っていた。
「うむ。まあ、結構頭の回転は速いからな……」
興味のないことは抜けていくようだが、子俊も基本的に聡明な男性だ。
「皓月!」
こちらに気付いた子俊が、深莉の名を呼ぶ。彼女は動かずにひらひらと手だけ振った。
「いや、呼んでるんじゃないですか」
梓宸からツッコミが入った。いや、確かに呼ばれているのだが。
仕方がないので近づく。さすがに学んだのか静花も駆け寄ってくることはなかった。
「講義中に失礼する」
一応挨拶を入れて、深莉は子俊を見上げた。深莉が見上げられる人間は珍しい。
「悪いが、少し付き合ってくれ。お前、武術の型は覚えているな?」
「ああ、まあ……」
どうやら、子俊は女性武科挙志望者に武術を教えていたらしい。確かに、男性である子俊が女性に武術を教えるのは難しい。その点深莉は背は高いがれっきとした女性だ。術が使えなければ、武術に覚えがあるだけで彼女らとあまり変わらない。むしろ、武科挙の模試では及第点に足りなかった。
「梓宸。悪いが少し持っていてくれ。あ、それとも一緒にやるか?」
「遠慮しときます……」
梓宸が深莉から荷物を預かりながら断った。深莉は褙子も梓宸に預けると、木剣を持って子俊と向き合う。
「いいかー。見とけよー」
子俊は間延びした声で言うと、いきなり深莉に斬りかかってきた。まあ、木剣なので当たっても頭が勝ち割られるくらいだが、痛いのでできれば避けたい。深莉は型どおりに受け流した。子俊が、型どおりに斬りかかってきたからだ。型を見せたいのだと思う。
何とか型どおりに受け流しきった深莉である。久々でも、結構できるものだ。
「言っとくけど、こいつ、そんなに力ないからな。たぶん、単純な力比べならお前らでも勝てる」
嘘だー、と茶化すような声が上がった。武官志願者でも女子は女子だ。
「つまり、腕力がなくてもできるってぇことだ。お前らができないので、練習が足りないの!」
「ええ~!」
女子たちがかしましく叫んだ。深莉は目を細める。なんだかんだで、慕われているようだ、子俊は。
「周侍郎。さすがにそろそろ行かないと」
駆け寄ってきた梓宸が深莉に彼女の褙子を押し付ける。確かにそろそろ戻らねば。
「子俊。私たちはもう行くからな」
「おお。協力ありがとな」
軽い感じの二人に、「仲いいですね……」と梓宸が呆れた調子で言った。
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