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自分の生まれ育った環境が「普通」か「否」か判断できるようになるのはいつだろう?
ほとんど多くの人々は判断しないまま一生を終えるのではないかと思う半面、半分くらい多くの人は実は生家に多かれ少なかれ不信感を抱いているのではなかろうかとも思う。
いや、もっと多いかもしれない。私にはわからない。
本題に戻って、自分の生まれ育った環境が「普通」か「否」か判断できるようになるのはいつか?
私の考えでは、実家を離れたとき、だ。
運のいい人は、実家に居ながらにして判断するチャンスがあるかもしれない。
しかし、一度対象から離れて、第3者の目で俯瞰して冷静に、判断できるのは離れたときだと思う。
それまで生家に違和感を覚えていても、「普通」の範囲内だと自己暗示のように自分に言い聞かせていても、離れてしまえば、必然と「普通」かどうかわかってしまう。
私の場合、大学進学で一人暮らしを始めたときと、その暮らしに慣れたとき、猛烈に生家の呪いにとらわれてしまった。
自分の価値観を大きく変化させることをパラダイムシフトと読んだりするらしい。
女性の場合、生理が始まりホルモンに影響されるようになったり、結婚して姓が変わったり、妊娠出産したり、子育てで生活が変わったりで、パラダイムシフトのチャンスは多くある。
そのパラダイムシフトが良い方向にシフトするか、悪い方向にシフトするかは、蓋を開けてみないとわからない。
いい方向のシフトでもその大きな変化についていけるか、自分の今までの価値観とそれまでの人生を否定することを受け入れられるかは、その人次第である。
稚拙ながら私の参考を加えつつ、真ん中っこの場合の一例をあげてみようと思う。