11 フェネオンの十二の魔本
【第11話 魔神降臨】
1
悠然とたたずむ三太郎。
その眼下には両手両膝を地につける四堂。
そして戦闘に巻き込まれてはたまらないとばかりに、入り口の木の影にその身を隠し、二人の戦いを見守っている鏡子。
まさに三者三様。
しかし、この場にもう一人いることを忘れてはいけない。
「ふむ、やはりその程度の力か。どれ、一つ手伝ってやろう」
上空で呟かれた声と共に黒い霧が四堂の下へ走った。
なにごとかと思い、鏡子が声の主――ローブの男を見る。
すると十二冊の本がローブの男の周りに浮かんでいた。
黒い霧はその十二冊の本から噴出せしもの。
そして、その霧と本から感じられる魔力には覚えがあった。
「まっ、魔本!? なぜあなたが!」
そう、フェネオンの十二の魔本である。
「ちっ!」
状況を察した三太郎が黒い霧にやたらめったらに拳を振るった。
その拳は暴風のごとき突風が巻き起こしながら、黒い霧を消し飛ばしていく。
「おうおう凄いのう、生身の肉体で悪魔の幽体を消滅させるとは。
しかし、全ては防げなかったようじゃな」
ローブの男が言う通りであった。
三太郎の奮闘むなしくも、黒い霧の半分近くは四堂へと吸い込まれていたのである。
「十二の“複製”の内、六が残った。四堂明の内にある悪魔も六。奇しくも十二の魔本じゃわい」
ローブの男がカラカラと笑う。
途端――。
「があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!」
夜の静けさを切り裂く絶叫。
四堂の口から放たれたのは、あらゆる苦痛を凝縮したような叫びであった。
「何してるの! さっさと四堂君を悪魔もろともに殺しなさい! 大変なことになるわよ!」
木の裏から三太郎に怒鳴る鏡子。
言うだけ言って自分はなにもしないのだから、いい身分である。
とはいえ、魔力が乏しい身であるのだから、仕方がないともいえるが。
さて、鏡子のことはともかくも、十二の悪魔を身に宿して苦しんでいる四堂に対し、三太郎が攻撃を加えることはなかった。
それは真の悪が誰であるかを知ったためか、それとも己の強さへの自信の現れか。
そして四堂はまばゆい光を発し、それは柱となって空を貫いた。
光の柱に弾かれるように吹き飛ぶ雲。
光がやんだ時、夜空には月が輝き、まっさらな星の海が広がった。
宇宙の奇跡ともいうべきか、その美しい夜空は、誰もが目を奪われずにはいられない情景だろう。
しかし。
光輝く満天の星よりも、夜の闇をやさしく照らす月よりも、もっと眩しく神々しい存在がそこにはあった。
「……なによあれ」
鏡子は声を震わせた。
大地に立つ漆黒の羽を生やした、もう人ではない何か。
感じる魔力は、あまりにも巨大過ぎて計ることができない。
人は目視にて大海の大きさを知ることはできないのだ。
「ははははは! これだ!これこそが完成体! 人の器をもって本物の悪魔が降臨した!
まさに神話に伝えられし魔神よ!」
魔神が愉快に笑うローブの男をギロリと睨み付ける。
瞬間、その姿がぶれた。
耳をつんざく轟音が鳴り響き、衝撃波が辺りを打ち付ける。
音の壁を超えた際に起きる現象である。
そしてローブの男の体を魔神の拳が貫いた。
『くくく』
どこからか聞こえる笑い声。
するとローブの男はドロリとした黒い液体に変わり、地に落ちた。
擬態だったのである。
『意識はなくとも、ワシへの復讐心だけは残っておったか。
よきかな、よきかな。
お前には人の可能性を見せてもらったぞ。だが、ワシがいなくなれば果たしてどうなるか。さあ、魔神の力を見せてみよ』
ローブの男の声だけが辺りに聞こえる。
魔神がキョロキョロと辺りを見回すが、その姿はどこにもない。
そして魔神は空に向かって霹靂のような咆哮を上げた。
込められたのは怒り。
再び光の柱が天を貫いた。
「終わった……もう、街どころの話じゃないわ……」
鏡子はペタリと座り込んだ。
あれは違う。違うのだ。
人の世に存在してはならないもの。
小さな器に無理矢理に押し込められた十二体の悪魔は、たとえるなら別々の原子を融合させ膨大なエネルギーと新たな原子を生み出す核融合反応。
ただ十二体の悪魔が集まったわけではない。
四堂の心の中、その尋常ならざる意思によって十二体の悪魔は統一され、遂には神への到ったのである。
感じられる力は、いやもはや力と呼ぶのもおこがましい。
それは一つの現象。
太陽の熱、海の息吹、大地の恵み、夜の闇。
そんな途方もない現象の一つであった。
――しかし、立ち向かう者がある。
怒りに叫ぶ魔神の頭にコツンと石がぶつかった。
魔神が天に吼えるのをやめて、石が飛んできた方へ視線を向ける。
鏡子も釣られるようにそちらを見た。
「もう手加減する必要はないな」
かかってこいと言わんばかりに、クイックイッと指先を曲げる三太郎。
絶対の存在を前にしても気おじすることなく、いつもと変わらぬ堂とした態度であった。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
大地を震わすほどの叫喚。
次の瞬間。
魔神の姿は消え、金属同士がぶつかり合うような音が辺りに響いた。
「うそ……」
驚く鏡子。
気がつけば魔神は三太郎へ体当たりをしていた。
まるで隕石のような衝突。大地が揺れ、地面には大きなクレーターができている。
だが、鏡子が驚愕したのはそこではない。
なんと三太郎は、クレーターの中心でしっかりと魔神を受け止めていたのである。
目を疑う光景。
人が神に抗う姿が鏡子の目の前にあったのだ。
「なんなのよ……あいつは……」
今宵何度目になるかわからない驚きであろうか。
三太郎の強さは異常であるとは思っていたが、よもや魔神と並び立つほどの怪物だとは思っていなかった。
もしかしたらなんとかなるのではないか、という淡い期待が鏡子の胸に滲み出る。
――三太郎と魔神。
睨みあう両者。
そこからは激烈な殴りあいであった。
つい先程の、三太郎と四堂の殴りあいが陳腐に思えるほどの、烈々とした戦い。
魔神が纏う光の中、ただひたすらに両者は殴りあった。
一発一発ごとに空気が弾けたような音と衝撃が巻き起こる。
どちらも退かず足だけが地面に埋もれていく。
その刹那、魔神の口がパカリと開いた。
喉の奥で光るものは、街を一瞬で消し飛ばすだけの力が込められた魔力砲。
されど、三太郎のアッパーカットが魔神の顎に刺さり強制的に口は閉じられ、魔神の顔面が爆発する。
しかし、それでも魔神は倒れずに拳を振るい、そしてその間に頭は再生した。
2
鏡子は言葉を失っていた。
三太郎と魔神の戦い。
一瞬の中にとてつもない時間が詰まっている。
おそらく両者には舞い散る砂ぼこりが宙に止まり、その砂の一粒一粒が粒子のように鮮明に見えることだろう。
彼らの世界はそういう世界。
この大地に生きる全てのものとは世界が違うのだ。
無限に近い時間を彼らは殴り合う。
しかしそれは彼らの体内時間あってのことで、見ている者にとってはやはり僅かでしかない。
「このままじゃ負けるわ……」
鏡子は気づいた。
一見すれば三太郎には一切攻撃が効いておらず、魔神ばかりがダメージを負ってその度に再生しているように見える。
しかし、魔神の力に衰えが見られない。
当然だ、あの体には無限に近いエネルギーが秘められているのだから。
三太郎は正真正銘化け物といっていい。
だが、太陽のような限りないエネルギーの前では、所詮新星の輝きに過ぎないのである。
やがて僅かではあるが、段々と三太郎の体が血に濡れ始める。
しかし三太郎が腕を止めることはない。
その顔を鏡子は見た。
怯えなど露ほども感じさせない、一点の曇りもない瞳がそこにはあった。
「なんで……」
鏡子が呟いた疑問。
思えば、三太郎もまた異常である。
弱者を装い、頭を地につけて、靴まで舐めていた。
されど魔法使いが一般種を害する存在であるとわかった時の怒りよう。
まるで別人のように、三太郎は魔法使いに相対した。
では、三太郎は果たして、なんのために戦っているのか。
そんなもの、わかりきっている。
街の人々を守るため。
自分以外の誰かのために、今、三太郎はその命を懸けて魔神と戦っているのだ。
それに比べて、なんと己の情けないことか。
魔法使いであることに、いい気になっていた。
一般種よりも優れていると自称する魔法使いの中でも、鏡子は優等であった。
一般種は足らぬところを助け合うことで補う。
しかし、魔法使いは違う。自分だけで完結している。
何もないところから火を生み出し、傷を治し、空だって飛べる。
だからこそ個人というものに重きがおかれた。
誰もが自分が一番の魔法使いにという野望をもって、日々を過ごすのだ。
かつて魔法使いは一般種と共にあった。
互いに支えあっていた。
それが今では驕りにまみれて、一般種を下等なものとして見ている。
そのあり方のなんと浅ましきことだろうか。
自分のためだけに戦う者は、途方もない障害に直面した時、諦めるだけであろう。
けれど誰かのために戦う者は、決して諦めない。諦めることができない。
それが自分だけで完結している魔法使いと、一般種の差。
鏡子と三太郎の心の差。
しかし――。
「……認めないわ。私のこれまでの人生は絶対に間違ってない」
己の歩んできた道は三太郎にも劣らぬもの。
そう思って鏡子が取り出したのは一本の木の枝。
瞳にあるのは自分が自分であることの誇り。
「敵を食らえ! 侵食の杖!」
鏡子の残り僅かな魔力を吸いながら、侵食の杖が魔神の強大な魔力に誘われるように伸びていく。
あまりに愚鈍な速度であったが、巨像が地面を這う虫を気にしないように、魔神が侵食の杖に心を向けることはない。
そして魔神をからめとろうとした侵食の杖は一瞬で消し飛び、鏡子の魔力も完全に尽きたのであった。