10 フェネオンの十二の魔本
【第10話 四堂 明】
1
ホウホウという夜鳥の鳴き声。
鬱蒼と茂る木々が夜をさらに深め、林を貫く細道はまるでどこか別の世界へと繋がっているよう異様さを呈している。
──S市の東に広がる巨大な雑木林。
そこは魔法使い達が演習場として使っている場所であり、その入り口に三太郎と鏡子はやって来ていた。
「林の中、ここなら被害も最小で済むわ。よく考えている、さすがね」
三太郎の背中に乗る鏡子がここぞとばかりにアピールする。
同じ場所で六体の悪魔の顕現など、魔法使いの干渉があったのは明らか。
ならば、悪魔を顕現させるという失敗よりも、林という人的被害が出ない場所で顕現させたことを褒めて、鏡子は三太郎の魔法使いへの心象を和らげようとしたのだ。
「この先でいいんだな?」
「え、ええ」
しかし、三太郎は鏡子の言になんら感じた様子もなく、再び駆け出した。
ちなみに、この林が魔法使いの演習場であることを語るつもりは、鏡子にはない。
いらぬことを言って災いを呼び込むことを恐れたからである。
やがて鏡子を背負った三太郎は林道を抜け、開けた土地にたどり着いた。
「……いたわ、なるほど」
木々はなく、くるぶしほどの長さの草が一面に生える広々とした土地。
その中央に、何重もの結界が敷かれその中央には、うずくまって呻いている男がいた。
そして、その男の内側から感じるのは六つの悪魔の気配である。
「鈴原さんみたいに乗っ取られちゃったわけね。でも、四堂君がそんな下手を打つなんて」
鏡子が不思議に思ったのも無理はない。
地に伏して苦しんでいる男は、学生順位二位の四堂明。
選ばれた六人のうちの最後の一人であり、そのスタイルはいうなれば冷静沈着にして質実剛健。
戦い方も非常に理知的であり、油断という言葉とは無縁の魔法使い。
そんな彼だからこそ、魔本の悪魔につけこまれるとは思えず、鏡子は訝しんだのだ。
「ん? ちょっとおかしいわね。
六匹の悪魔の力を確かに感じるのに、何故いまだに乗っ取られていないのかしら。
間違いなく悪魔達は四堂君の内側で覚醒しているのに」
鏡子はさらなる疑問を見つけて首を捻る。
すると三太郎が鏡子を背から下ろして言った。
「あいつを助けるには、また魔本を奪えばいいのか?」
三太郎の四堂を気遣うそぶりに、鏡子は林の中というのが高い評価を得たかとほくそ笑む。
そして三太郎の魔本を奪うという提案であったが――。
「無理ね。私がエルネスティーネみたいに心を奪われないなんてありえないわ」
鏡子はあっけらかんと、自分が精神面でエルネスティーネより劣ることを告白した。
向けられるのは、使えねえという三太郎の視線。
「なによ、無い袖は振れないんだから仕方がないじゃない」
できないことはできないと言うのが鏡子のポリシーである。
現実を見る、己の領分を知る。
誰よりも自分が大切な鏡子にとって、可能性の無いことに命を懸ける気にはならなかった。
「でも、もしかしたら……いや万に一つも無い可能性だけど、四堂君が悪魔をはねのける……なんててことがあるかもしれないし、ないかもしれないし……」
ハッキリしない鏡子。
三太郎が「おい」と責めるような声を投げかけると、彼女は逆ギレするように声を荒げる。
「しょうがないでしょ! 今の状態がそもそもあり得ないんだから! 悪魔六匹に体を乗っ取られそうになっているのに、なんで抵抗できてんのよ! 普通なら一瞬でとりつかれているわ!」
「……それほどまでの実力者ってことか」
「確かに四堂君は実力者よ。でも、実力云々の話じゃないわ。
たとえ四堂君を超える魔法の熟練者であっても結果は変わらない。六体の悪魔じゃあ一瞬で憑依されて終わりよ。
パイの取り合いみたいに意識を引き裂かれるの。
でもそれをされないのは、心の強さね。恐ろしいまでの強固な意思」
鏡子は感嘆するようにゴクリと息を呑んだ。
「心底恐れ入るわ。はっきりいって脱帽よ。
例を出すなら、逆立ちを二分しかできない奴が、一日中逆立ちをし続けるものかしら。
肉体は力尽きてどれだけ激痛をともなっても、意思の強さだけでそれをなす……」
――何が彼にそれをさせるのかしら。
そんな呟きが鏡子の口から漏れ出た。
2
やがて四堂は立ち上がった。
そして、「ふぅ」とやり遂げたような息を一つ吐くと、鏡子に視線を向ける。
その瞳に特別な色はない。
しかし、逆にそれが不気味に思えて、鏡子はブルリと背中を震わせた。
「麻宮さんか。魔本を持っているんだろ? 渡してくれ、そうすれば危害は加えない」
そう言って近寄ってくる四堂。
自身で張ったであろう結界を、まるで苦にせず紙を引き裂くように、その腕で破っていく。
人間業ではないと鏡子は思った。
「あ、あなたは四堂君なの……?」
四堂の内側には確かに悪魔の気配がある。
加えて言語に絶する膂力。
はっきりいって四堂の様子は異常だった。
もはや四堂は四堂ではない。六匹の悪魔が四堂の体を操っているのでは、と考えるのが普通である。
「ああ、これのことか」
何でもないような顔をして、自身の胸を撫でる四堂。
これ、とは聞くまでもない。胸の奥に巣食う悪魔達のことである。
「悪魔は内にあるが、それを操っているのは、この僕だ」
「ま、まさか、ありえないわっ!
悪魔を己のものとするなんて不可能よっ!!」
鏡子は四堂の発言をハッキリと否定する。
すると四堂は、己を誇るように、ふっと笑った。
「いいや可能さ。
確かに人の精神は脆弱だ。砂上の楼閣といっていいほどに、心は移ろいやすい。
だが僕には復讐というなにものにも換えがたい信念がある。
これは相手が神だろうが悪魔だろうが決して侵せないものだ」
復讐。命のやり取りを生業とする魔法使いに、悲嘆などは事欠かない。
四堂も、そのよくある不幸な魔法使いの一人なのだろうと鏡子は思った。
「さあ、もういいだろう。魔本を渡してくれ」
四堂の魔力が鋭さを増す。
三太郎はともかくも、魔法使いの鏡子にはわかる。
問答は無用、渡さなければすぐにでも実力行使に移るという最後通告であった。
「……言っておくけど魔本は空っぽよ」
「なに……?」
「自分の目で確認しなさい」
鏡子が魔本を取り出して、四堂の足元に放っていく。
四堂はその内の一冊を手に取って、魔力を通した。
内側(悪魔)から本の封印に干渉することは容易ではないが、外側から封印を破ることは容易い。
魔本は元々、召喚兵器として造られたのだから当然である。
「……」
四堂が魔本に魔力を通すも反応はない。
次いで四堂は本を開いた。
全ニ百五十ページの中央、悪魔が宿るはずの一頁。
そこには白い紙があるだけであった。
「全部か……」
他の物も手に取ってみるが全て同じ結果。
四堂は苦々しい顔で黙然とした。
事実、魔本に悪魔は存在していなかったのだ。
「一つ聞いていいかしら」
鏡子が四堂に向かって問うた。
「……」
返答はない。
だが鏡子は構わずに話を続ける。
「あなたが魔本をばらまいた犯人よね?
目的は悪魔を身に宿すため。
その場でそれをせずに、態々ばらまいたのは……悪魔を身に宿すまでの時間がネックだったから」
魔本が封印されていた場所で、のんびりと悪魔を身に宿していたら、すぐに魔法使いはやって来る。
それゆえにばらまいた。
前生徒会長がちょうど卒業した時分である。
魔本蒐集にかこつけて、生徒会長を選抜することは予想の範疇。
ばらまかずにそのまま持ち逃げするという手もあるが、それでは争奪戦などというゲーム染みたことをやらずに、悪魔の反応があった瞬間にとりつかれていようが、いまいが、魔法使いは総力をもって殺しに来る。
されど今回のような仕組みなら、いいわけがたつ。
蒐集に際し、誤って悪魔にとりつかれそうになったが、なんとか制御できた、と。
「……」
またしても四堂からの返答はない。
しかし、鏡子はこの沈黙を肯定だと判断した。
「あなたの私利私欲のせいで罪もない人々は死に、魔法使いの名誉は大いに汚されたわ。
あなたのその心根こそが本物の悪魔よっ!」
鏡子が正義の炎をメラメラと燃やしながら、声高らかに四堂を叱責した。
魔法使いは悪くない。悪いのは全て四堂なのだと、三太郎に知らしめようというのだ。
「……言ったろう。復讐のためならば、僕はなんでもする」
「復讐?」
観念したという風ではない。だが、心の内を吐露するように、四堂は呟いた。
その口から出たのはまたしても復讐という言葉。
鏡子にしてみれば、はっきりいって興味の欠片もない話である。
されど復讐とは大抵が悲劇にまつわるもの。
どう取り繕っても四堂は魔法使い側の人間であり、その責任を四堂一人に押し付けるのは困難。
なればこそ、その口から悲劇を語ってもらい三太郎の同情を引き出そうと考え、鏡子は聞き返したのだ。
――だが、鏡子と四堂の話を遮る者がある。
「おや」
その声は三太郎のもの――ではない。
それは上空から聞こえた。
地に立つ三者が声の方へと一斉に顔を向ける。
するとローブの男がそこに地面があるかのように、空中に立っていた。
親の仇のようにローブの男を睨み付ける四堂。
鏡子はこのローブの男が、四堂の復讐に関係ある相手だと直感した。
「六匹の悪魔を宿しているようだが、ふむ、残り六匹は滅されたか。それでは到底ワシには及ばんのう」
四堂がギリっと歯を噛んだ。
ローブの男の言い回しを聞けば、どうにも復讐だけではない複雑な関係が四堂とローブの男の間にあることがわかる。
鏡子はそれについて考えを巡らせるが、その結論を出すよりも早く事は起こった。
「まあよい、とりあえず今ある力を見せてもらおうか。
――明よ、そこの二人を殺せ」
鏡子の行動は速い。
『殺せ』という言葉の『こ』の部分で既に三太郎の後ろへと移動していた。
彼女もこの戦争ともいえる魔本争奪戦の中でたくましく成長しているのだ。
そして、四堂が全身に魔力をみなぎらせて、口を開く。
「すまないな。全てを終わらせたなら僕も死のう。だから今は君達を――」
しかし、それを言い終わる前に、四堂の眼前には壁のような男が立っていた。
――三太郎である
「ゴフッ!」
口から体内の空気を全て吐き出して、地を水平に飛んでいく四堂。
四堂の腹へ、三太郎の重い一撃が決まったのである。
吹き飛んでいく四堂の体は広場を抜け、林に突っ込むと、木にぶつかったと思われる激しい音が辺りに響いた。
「死んだわね」
なんら驚くこともせず、当然の結果であるような態度をとる鏡子。
三太郎の恐ろしさは鏡子が一番知っている。
悪魔六匹程度を内に宿したところで勝てはしないということを、彼女は確信していたのだ。
だが、その考えは間違っていたといっていい。
一瞬の後。
四堂が、矢のような勢いで林から飛び出し、三太郎にぶつかった。
「やるな」
四堂はらしくない獰猛な笑みを浮かべた。
四堂の右腕と三太郎の左腕が交差して、ギリギリと押し合いの様相をなしている。
そして双方が空いた拳を振るったことで、壮絶な殴り合いが始まった。
足元の草は剥がれ、木々は揺らめき、肉を打つ音が響き渡る。
四堂の攻撃がまるで効いていない様子の三太郎と、悪魔の再生能力を身につけた四堂。
一見すれば互角の攻防。
だがそれは素人の考え。
既に広場入り口の木の影に身を隠していた鏡子は、三太郎が手加減しているのだと見抜いていた。
生かすつもり、いや何もかも吐かせた上で全力で拷問するつもりなのだろうという、これまでの残虐無比な三太郎の所業から導きだした鏡子の考えである。
やがて押され始める四堂。
すると鏡子は、それ見たことかと一人どや顔になった。
そして、手加減具合を知った三太郎が四堂を滅多うちにし、その五体を地面に這いつくばらせた。
「な、なぜっ!」
全身の骨を砕かれ、また多くの内蔵を破裂させた四堂は、身体を再生させながら両手を地につけ悔しそうに地面を叩いた。
明らかな実力差。
痛みに打ちのめされたのではない。
六匹の悪魔を内に宿してすら三太郎には勝てない事実が、四堂を打ちのめしていたのである。