抜擢
*初投稿で至らない点等あると思いますが、暖かい目で見守って頂けると幸いです
夢を見た——
遠い過去のことのような、全く身に覚えのないような、歪な夢。儚く脆い、少し触れただけで崩れてしまいそうな夢。
そこは真っ暗闇で、周りがどんなところなのかも分からない。ただ一つ分かるのは、空に静かに佇む三日月だけ。周りが見えないこの世界で不安な気持ちにならないのは、あの三日月があるからなのかもしれない。
冷たく静かなようで、本当は暖かく何よりも雄弁なその三日月は、朝の訪れとともに俺の奥深くに吸い込まれてゆく。
そうして俺は目覚める。春夏秋冬どんな季節であろうと、世界各国どんな場所にいようと俺の、片霧景の朝はここから始まる。
ここは、日本の京都。歴史と文化の町であるこの地には、古来から続くお寺や神社が山のようにある。
その中でも、一際存在感を放っているのがこの白峯神社だ。外観の荘厳な雰囲気もさることながら境内の中も管理が行き届いており地元だけならず日本国内でもかなり名が知られている。
だが、それには少しばかり秘密がある。
ここを平安時代から管理してきた住職の一族盾宮家は、これまた平安時代から続く陰陽師の一族なのだ。それだけではなく、この一族ひいてはこの神社が日本各地の陰陽師の元締めのような役割を果たしている。
陰陽師、それは悪霊を退治する者のことを言う。霊が信じられていた昔は公に活動をしていたらしいが、科学の発達により霊の存在が否定されている今はほとんど公の仕事はない。
だが、それはあくまで公の話。実は悪霊は現在でも普通に存在している。科学現象で片付けられる災害や病も、元を正せば悪霊の仕業というケースは少なくない。だから今でも住職業の傍らに陰陽師という仕事が残っている。
この陰陽道の総本山である白峯神社の母屋で今、一人の少女と男が対峙している。
少女の腰まである長く艶やかな黒髪は、正座をしているため畳につきそうだ。細く華奢な指や身体は、ぷるぷると震えていて、くっきりとした愛らしい瞳には、動揺の色がありありと見て取れる。
男の方はいかにも厳格といった感じで、その鋭い目つきが少女の動揺を掻き立てる一因であることは疑いようのない真実のようだ。実際は、彼自身少女を怖がらせようとは思っていないようだが。
少女の名前は盾宮優花。盾宮一族の直系にして三兄弟の末っ子。歳は今年で16になる。
男の名前は盾宮一馬。優花の父親にして、盾宮家、及び白峯神社をまとめる一族の主だ。
そんな二人がどんな話をしているかというと……
「優花、お前には今日から、陰陽師として実戦を行ってもらいたい」
「私が……実戦?」
詰まる所、こういう話である。優花はこの話を聞いて、動揺していた、という訳だ。
「お前も知っての通り、ここ一ヶ月で悪霊が活発に動き出している。付近の陰陽師達を集めて原因を探っているが、人手が足らず、下級の悪霊たちまで手が回らない。そこでお前には、この下級悪霊を祓ってほしい」
「お言葉ですが、お父様……私はまだ未熟者です。こんな私がいてもかえって足手纏いになるんじゃ……」
消え入りそうな声で優花はそう訴える。優花自身、まだ不安なところもあるのだろう。一馬ももちろん娘のことが心配だ。でも、これは優花を成長させる一つの試練なのだ。
優花昔から引っ込み思案で友達もあまりおらず、消極的だった。一馬は、この状況が娘に自信を持たせてくれるのではないかと思っている。
「大丈夫だ。お前もちっちゃな頃からちゃんと陰陽術の訓練を受けてきてる。中級の悪霊くらいだったら充分相手にできるだけの実力があるはずだ。昔からお前は飲み込みが早かったしな」
そう言って一馬は笑って見せる。優花はそんな一馬を見て、自分も父の役に立ちたいと思った。
「分かった、私、やってみる」
お互いに堅苦しさのない口調で言葉を交わし、そしてお互いに笑みを浮かべた。
「よし、その意気だ。じゃあ、お前にこれを渡しておこう」
そう言って、一馬はおもむろに立ち上がると桐箪笥の中から風呂敷に包まれた木箱を取り出し、それを優花に差し出した。
「これは以前、お前の母、風花が使っていた器だ。これを盾宮優花、お前に貸し与えよう」
器というのは悪霊を祓う道具で、色々な形をしている。刀や数珠などの形状をしたものが一般的で、それぞれに使い方があるが全ての器に共通して言えることは、人間の生命の源である霊力を器に流すことによって、使うことができるようになるということだ。
「お母さんの器……ありがとうございますお父様。必ずや、期待に応えてみせます」
優花はそう言って一馬の部屋を後にした。その胸には、複雑な感情が込み上げてきた。
優花の母親、風花は、優花が中学に上がる前に亡くなっている。死因は病気らしく、入院してすぐに面会謝絶になるほどの重い病だった。母とはたくさんの思い出がある。一緒に遊んだことや、訓練に付き合ってもらったこと。全てかけがえのない思い出だ。
だから、父から母の器を貰った時は、嬉しさと懐かしさを感じた。そして、悲しい気持ちになった。父が優花を認めてこの器をくれたことは嬉しかった。でも、これを使うと思うと、母との思い出が溢れ出てきてしまいそうで怖い。
そんなことを考えながら歩いていたら、自分の部屋に着いていた。優花は、いわゆる巫女装束のような服に身を包み、退魔の札などの装備を懐に入れた。そして母親の器も、木箱に入れたまま巫女装束のポケット部分にしまい込んだ。まだこれを使う決心はできていないが、父の期待に応えたい。その思いを胸に少女は自分の部屋を後にした。