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この方は、戯れで私に言い寄っていた訳ではない。
「どうやら異国の高貴な方のようだ。よろしければお名前をお聞かせ願いませんか」
アルカイオスの言葉に、仮面の男は軽く肩をすくめる。
「今夜は忍びでな。…先に王に挨拶するのが筋であろうよ。ではのちほど、我が姫」
ひらり、と粋な仕草で手を挙げ、王のいる辺りへと立ち去っていく。その身のこなしは、一国の王である威厳があった。
我が姫、だと!
「!」
かっとなったアルカイオスが何か言おうをするのを、キーエンスはアルカイオスの胸に手を当て、止めた。
「わたくし、疲れたわ…兄様」
エレンテレケイアの声を消して、キーエンスの声で囁くと、アルカイオスは怒気を収め、顔を強ばらせながら舞踏室の出口へと向かう。
視線で侍従を促し、扉を開けさせ、王族の居室へ向かう回廊へと向かう。
抑えた怒気の表れか、キーエンスを抱くアルカイオスの手に力がこもっていた。
------熱い…たぎるような想い。
それを肌で感じ、キーエンスは戸惑う。
「もう…大丈夫です。アルカイオス様」
降ろして欲しい、と言外に告げるが、アルカイオスは聞かずに歩を進める。見慣れぬ風景が視界に飛び込み、キーエンスは息を飲む。
「この先は…」
かつての王妃達が所蔵していた装飾品を収める宝物庫が続く。王族の許しなくば、誰も立ち入る事を許されない区域。
未だ怒気がくすぶるアルカイオスの内心を感じ、キーエンスは恐る恐る、言葉を選んだ。
「--イオ…」
とても大きな声で言う事などできず、それでもアルカイオスの耳にしっかりと届くように、彼の首に手を絡ませ、耳元で呟いた。
ぴたり、とアルカイオスは歩みを止め、キーエンスを見降ろす。
キーエンスが見つめ返すと、一瞬で顔を朱に染めた。
ぐらり、とアルカイオスは膝を崩して座り込む。キーエンスは慌ててアルカイオスにつかまった。
「す…すまないキース…、ケガはないか」
赤い顔のまま、どぎまぎとキーエンスの身を見回す。
「立ちくらみですか?どこか具合が悪いのですか?」
逆にキーエンスがアルカイオスの膝に手を当てると、アルカイオスは慌ててその手を握る。
「ダメだ…その、あまり動かないでくれ。そう、めまいがするんだ」
益々顔を赤らめ、それでもキーエンスの手を放す事はなく、アルカイオスは照れたように笑う。
「正直に言うよ。…君に名を呼ばれて、腰が砕けた」
凄い威力だ、と笑いながら言う。
「腰が痛むのですね?」
小首をかしげ、心配そうに見上げるキーエンスを、苦笑して見返すアルカイオス。
怒気は綺麗に消え失せているのを、キーエンスは感じた。
けれど、くすぶる熱情の存在を感じる。それが一瞬にして、あつく燃え上がる。
笑みを消したアルカイオスは、素早くキーエンスのうなじに手を伸ばし、引き寄せた。
情熱そのままに激しく唇を吸われ、キーエンスは身悶えする。その動きに刺激されたアルカイオスは、うなじから腰へと手を滑らせる。弓なりにしなる身体を抱き、細く柔らかな首筋に唇を這わせた。
「------イオ…」
苦しげにあえぎながら呟いた言葉に、アルカイオスはまたぴたりと動きを止める。
「…すまなかったキース」
首筋に唇を当てたまま呟き、ふっとアルカイオスの腕から力が抜ける。
「もっと優しく口づけするつもりだったのに…余裕が無かった」
そっと身体を離し、キーエンスの乱れた髪を撫でて櫛付ける。
「怖かったろう?」
「…いえ…」
怖くはなかった。それは本当だが、その意味することに気づき、キーエンスは頬を染める。
「いえ、その、そういう意味ではなく------」
アルカイオスの未だ熱い指先が、キーエンスの唇に触れた。
「言うな、キース。…わかっている」
強く吸われたせいでわずかに腫れ、赤く濡れた唇にそっと指を這わせ、アルカイオスはキーエンスを見つめる。
未だ、熱情がくすぶっているのを、その瞳の奥に感じた。