10
「気分はもういいのか」
「大分マシになった。…だがあまり食欲はない。さっさと終わらせよう」
ちらちらとキーエンスの胸を見下ろしながら、フィデルは咳払いをする。
「歳は…いくつなんだ?」
「15だが?あまり見ると、また足を踏むぞ?」
う、と唸り、フィデルは顔を背ける。どうも視界にあると、つい見てしまう。
「15でそれか…。楽しみだな」
だん、と再び踵で足を踏まれ、フィデルは悲鳴をあげる。
「なんだフィデル、随分めかし込んでるじゃねぇか」
悲鳴を聞きつけた船員が、甲板へと続く通路から顔を出す。咄嗟にキーエンスを背に庇い、隠す。
「バルトの嫁が、夜飯にご招待してきたんだよ」
「何を隠してる」
ひょい、とフィデルの肩越しにキーエンスを覗き見た船員は息をのむ。
「こりゃ…すげえ」
ざわり、とフィデルの身体を殺気が覆った。
「なんだよ、お手つきかよ。クソ…、飽きたら寄越せよ」
「なんだと」
腰に帯びた湾曲した刀にそっと手を伸ばす。
「冗談だよ、フィデル!悪かったって」
男はそそくさと逃げていった。
ふん、とフィデルは鼻を鳴らし、殺気を消す。けれどどこか苛立ちを残したまま、キーエンスを見下ろした。
「だから、他のヤツに見せたくなかったのによ」
吐き捨てるように言い、キーエンスの手を掴んで歩き出す。
「陸に着いたら一度手合わせしてくれないか」
キーエンスの言葉に、呆れてため息をつきながらフィデルは睨んで見下ろす。
「色気のねぇことで」
まったく、とぶつぶつ言い、不意に立ち止まる。
「俺が勝ったら、その乳もませて---」
だん、と再び踵が打ち下ろされたが、フィデルは悲鳴を必死で我慢した。うっすらと痛みで涙を浮かべながら、フィデルは明らかに他よりも立派な作りの扉の前で立ち止まる。
ノックをするが、返事がなく、部屋の奥でバタバタと音がする。
「お取り込み中かー。頭領、オレ等戻ってもいい?」
どたばたと音がして、ばちん、と聞き慣れた平手打ちの音が聞こえる。
「あー、戻ってるよ?」
邪魔すると頭領怒るだろうしなぁ、とぼやいて、フィデルはキーエンスの手を引いて来た道を戻ろうとした。
「待って!入って!もう大丈夫だから」
明らかに髪や化粧を崩したキトリが扉を開いて叫んだ。ドレスの胸元を慌ててかき寄せる。
やれやれ、と視線を交わして、フィデルとキーエンスはいささか疲れながらバルトの部屋へと入った。
頬に赤い手型をつけたバルトが、面倒臭そうにベッドから立ち上がる。
窺うような視線を向けるフィデルを睨み、テーブルへ行くように、と顎をしゃくる。
「さっさと食って失せろ」
わかりやすいセリフを吐き、のっそりと大柄な身体を揺らしてキトリが椅子に座るのを促して椅子を引く。それを見たフィデルも思い出したようにキーエンスへと椅子を引いてやる。
不機嫌そうな顔のまま、バルトは葡萄酒を皆に注いだ。
「んもう、バルトったら!後でいくらでも相手してあげるから、機嫌直してよ!アタシの恩人のキーエンスのためにもさぁ」
「恩人?この青白いガキが?」
今だ顔色のすぐれないキーエンスを訝しげに見やる。
わずかにムッとしてフィデルがバルトへ視線を向けるので、バルトは機嫌を直して楽しげに笑む。
「そうよ。船に乗る前、宿で強盗に襲われたの。その時助けてくれたのよね?じゃなきゃ、アタシ船にも乗れなかったわ。父ちゃんは殺されてたかも」
「もう少し早く行けばよかった。そうすればマト殿がケガをすることもなかったのに」
バルトの疑わしげな視線など気にも留めず、キーエンスはキトリへ笑みを向ける。
「あの時、アタシ達が依頼者だって知らなかったんでしょう?それでも助けてくれるなんて、あんたいい人ね」
困ったようにはにかんで微笑むキーエンスを好ましげに見るキトリは、ちらりとフィデルを見る。
「ね、フィデル、そう思うわよね」
「んあ?」
バルトと視線の交わし合いをしていたフィデルは間の抜けた返事をする。
「ふん。そういう事か。まぁ、キトリがそうしたいなら、いいがな」
じろりとキーエンスとフィデルを見やり、つまらなそうに鼻を鳴らしてバルトは葡萄酒を飲み干した。
何を言っているのかわからず、小首を傾げたキーエンスは、バルトの背後に置かれた絵に気づき、息を飲んだ。
「エレンテレケイア…」
びくり、と肩を震わせ、バルトはキーエンスを見る。フィデルも驚いてキーエンスを見下ろした。
「な…」
驚きのあまりに声を出せないバルトを訝しげに見て、キトリはキーエンスの視線を追って置かれた姿絵に気づく。
「それ、なに?」
「な、なんでもない!」
明らかに動揺したバルトは立ち上がって手のひらほどの姿絵を掴む。




