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「生涯を共に過ごす伴侶がいるだろう?どんな人間だか知らないが、今のキトリ殿を見れば、良くしてくださる方なのだと思うよ」
慣れない手つきで耳飾りを付けようとするキトリを手伝い、キーエンスは慣れた手つきで飾ってやる。
嬉しそうに頬を赤らめるキトリは、とても幸せそうだった。
温かな微笑みをキトリへ向け、キーエンスは化粧道具を仕舞う。そんなキーエンスをじっと見つめるフィデルに気づき、キトリは小さく笑った。
「ねえキーエンス。貴女もドレスに着替えなさいよ。ね、その方がいいわよね」
わざとらしくフィデルに話を振る。
戸惑うフィデルは珍しく動揺する。
「あ、いや、うん。だが…」
「嫌だね」
ふい、とそっぽを向いて、キーエンスはいいごもるフィデルなど気にも留めずに飾り箱を仕舞う。
「そんな…キーエンス」
寂しげに俯き、キトリはわざとらしく目尻を指先でぬぐった。
「アタシ、一人だけこの船でこんな格好して、寂しいわ。一緒におしゃれしたりお話しする相手が欲しいわ。船員さん達は優しいけれど、バルトの目があるから、あまり仲良くしてくれないの。バルトが忙しい時は、一人でお茶するのよ?話相手もいないのよ?」
声までうるませて、キトリは言い募る。
「…わ…わかった。…今だけだよ、キトリ殿」
返事を聞くなりキトリは目を輝かせる。
「ええとね、アタシ選んできたの。キーエンスは胸があるから、この辺の飾りが少ない淡い青のドレスにしたわ!靴もほら。これなら合ってるわよね?宝石はよくわからないけど、ドレスと靴くらいなら、アタシにもわかるのよ」
さあさあ、着替えて。といそいそとドレスを取り出す。
「キトリ殿…」
嘘泣きだったのか…。
げっそりとしながらドレスを差し出すキトリを見る。ほんのり頬を染めて幸せいっぱいの笑顔を向けられ、キーエンスは怒る気を吹き消されてしまう。
そんなキーエンスをにやにやと笑いながらフィデルはみつめる。それを鋭く睨み、キーエンスは軽く顎を動かして扉を示した。肩をすくめて立ち去ろうとするフィデルの背に、キトリは声をかける。
「フィデル、あなたも着替えてね。キーエンスの付き添いをして頂戴」
ちょっと意外そうにキトリを見返し、フィデルはにやりと笑う。
「了解いたしました、奥様」
慇懃に礼をして、扉の向こうへと去る。
「彼、貴女が気になるみたいね」
「私は気に入らない」
くすくすと笑い、キトリは機嫌良くキーエンスの着替えを手伝った。
キーエンスの髪をいじりながら、キトリは髪を結う練習をする。
「ちょっとぉ、サラサラして捕まえられないわよ。なによこの髪」
「ピンで留めながら持っていくといい…痛い!」
「ごめーん、あ、赤くなっちゃった。血は出てないよ。ねえねえ、このコ
テってどうやって使うの?アタシ巻髪なんてしたことないからわかんない
や」
道具箱をあさって、鉄製のコテを取り出す。
「やめてくれ、キトリ殿。私の髪を練習台にはしないでくれ」
「なによぅ、実践あるのみでしょう?」
「ほら、あそこの垂れ目を実験に使うといい」
キトリが梳いた髪がさらさらと背に流れる。それをのんびりと眺めていたフィデルは赤く熱されたコテを手にキトリが近づいてきた事に気づき、慌てて逃げる。
「待ちなさいよ!綺麗に巻いてあげるから!」
「どう見てもそれ、熱し過ぎだろうが!」
「触れるくらいの熱さにするんだと、教えただろうに…」
素早いフィデルを追いかけるキトリを鏡越しにみつつ、キーエンスは手早く髪をまとめる。面倒なので、簡単にしているつもりだが、そのほつれた髪がうなじに降りて、細い首を飾る。
「ねえ、首飾りも使ってよ?たくさんあるんだからさ」
コテに息を吹きかけて冷ましながら、キトリはキーエンスの美しい髪を見て言う。
「いらない。必要ない。興味ない」
なおも言い募ろうとするキトリを制するように、キーエンスは優雅に手を挙げる。
「それはバルト殿が心をこめてキトリ殿に送った品なのだ。そんな軽く私などに貸してはいけないよ。本当はこの服や靴も、私が身につけることはとても失礼なことなのだよ、キトリ殿」
諭すように言い、しゅんとしてうなだれたキトリへ優しく笑顔を向ける。
「けれどその気持ちはとても嬉しい。ありがとう」
その言葉に、キトリはにっこりと幸せそうに微笑んだ。
「アタシ、キーエンスのこと、とても好きだわ。優しいんだもの」
そうかな、とキーエンスははにかんで笑う。
「ね、フィデル」
ぼんやりとキーエンスを眺めていたフィデルは何を言われたかわからず、ただ片眉を上げて煩げにキトリを見返す。
「今だ、巻いてしまえ」
フィデルの赤茶の髪を一瞥し、キーエンスはキトリに目配せする。




