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「さっきの話だけどさぁ、キーエンス。君、いいのかい?」
ウィーゼの持たせてくれたケーキと焼き菓子を並べ、キーエンスは不思議そうにイオを見る。
「いいって何が?」
イオの視線に応え、ケルズは客間から出ていく。それを見送ってから、イオはキーエンスに向き直った。扉の横でケルズが聞いている事には気づいていない。
「普通、貴族の娘は外泊なんてしないんだよ。親戚の屋敷は別だけど」
「そうなのか?君はうちに泊まるじゃないか」
ひょい、と焼き菓子を口に入れながらキーエンスは言う。
「男は別にどうでもいいんだよ。君、礼儀作法は王族並なのに、貴族としてのしきたりには無頓着だね」
「自分が貴族だと思ってないからな。血が生き方に関係あると考えていない」
「まぁ、バンキム様と君はそれでもいいんだろうけど…。君がグレリー様の遠征先へ泊まりに行ったって社交界で広まれば、結婚を前提にお付き合いしていると知られる事になるんだよ?いいのかい?」
キーエンスは焼き菓子を手に、しばし考え込む。
「社交界で私がどう言われようと、実害がない限り気にしないが…そうか、グレリー様がご迷惑を被る可能性があるのか…」
ああもう、とイオは頭を抱える。
「グレリー様はわかっているよ。その上でおっしゃっているんだよ。だからつまり…」
ぴたり、とイオは口を閉ざし、深々とため息をつく。
「君と同じように無頓着な方とも思えないし…。いーや、僕これ以上口だししないよ。トッソといい、なんだってこんな愛想笑いと剣の腕だけが取り柄の女の子がいいんだか。顔に騙されているとしか思えないや…」
やけに大人ぶったため息を聞こえよがしにつきながらお茶を口に運ぶイオを睨み、キーエンスは食べようとしていた焼き菓子を置く。
「まるで私の思慮が浅すぎるというような言い方だな」
おもしろくなさそうに言うと、イオはただ肩をすくめる。
実際そうじゃないか。
声のない声を聞き、キーエンスはようやく考え込む。
とはいえ、貴族としての教育は一切受けていない。その最高位である王族としての価値観しか知らぬのだ。
「さっぱりわからん。アルトニアで教養を学んだ方がいいだろうか」
キーエンスの呟きに、がくり、と頭を下げ、イオはそっとお茶の入ったカップを置いた。
「こういう件について、君と話すのはやめておくよ。なんだか凄く疲れる。姫と話してるみたいだ」
「ああ…、姫も王族としての価値観が先に立つだろうからな。貴族や一般的な考え方はすぐにできないかもしれないな」
そうなんだよ、とイオはうなだれる。
「僕と結婚したら、降嫁するって事なんだよって説明をしたらさ、泣き出したんだよ?信じられる?そんなに辛いことなのかな、王族じゃなくなるって事」
一応僕って高位の貴族なんだけどなぁ、と寂しげに呟く。
「権威を示す広告塔だからな、王族は。気高く、美しく、優秀でなくてはならない。暗示のように産まれた時からすりこまれているのだ。それをすぐに捨てろと言われても、なかなか適応は難しいだろう。今から話をしておけば、降嫁する頃には心構えくらいはできているんじゃないのか?焦るなよ、姫はまだ幼いんだ」
他国の王族へ嫁ぐのなら、その価値観のままでいられるだろう。けれど、そうでない道を選ぶのなら、乗り越えねばならぬ壁なのだろう。
「けど何で泣くのさ?そんなに辛いならやめようかって言いそうになったよ」
さあね、とキーエンスは首をかしげる。
「それを言ったら別れる事になるだろうって事ぐらいしか、わからないな」
「言ってないよ!」
ただちょっと疲れただけだよ、と言葉を続け、イオは卓に顔を伏せた。
「…降嫁…か」
それを望み、かなわぬままこの世を去った少女を想う。彼女も、生きていたなら、こんな風に悩んでいたのだろうか。
その悩みすら抱く事なく、命をかけて産みだそうとした子も喪い、愛する者も置いて逝かねばならなかった少女を想うと、胸が締め付けられるようだった。




