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キーエンスに小突かれる前に、当主であるエウリムに挨拶し、ルッキアの知り合いや配下の貴族にも挨拶を済ませる。
どうだ、というようにキーエンスを見るイオに、頷いてみせると、笑みを残して庭へと駆けていった。それを見送り、さざ波のように寄ってくる少年貴族へと笑みを向ける。
さて、どう逃げようか。
前回のような手はもう使えない。彼らも学んだはずなので、今度は別の方法を使わなければならない。
と、少年貴族達のさざ波がぴたりと止まる。彼らの視線を追い、近づいてくる青年の姿に気づいたキーエンスは、扇を広げてつましく顔を俯かせた。
「カダール嬢…その…」
当主、エウリムはちらりとバルコニーと様子を窺っている少年貴族を見やる。
どうしたものか、と言葉を続けられぬ当主に、執事の青年がなにやら耳打ちした。
「よろしければ、下のテラスで…お茶でもいかがかな」
「…喜んで」
ぎこちなく差し出された腕に手を添え、いくつもの視線を感じながらも流れるような仕草で退出した。執事は気を利かせてか、離れて着いてくる。
ぎくしゃくと強ばった動きでキーエンスを連れたエウリムは、階下の部屋の扉を開きキーエンスを招き入れた。扉を閉めかけてから、慌てたように開く。年頃の娘は、締め切った部屋になど入ってはいけないのだ。例外もあるが。
「その…」
困ったように目を泳がせ、いない執事を求めて扉を見る。
キーエンスは扇を閉じ、社交の苦手そうな当主を見上げる。
「先日は失礼いたしました、グレリー様。はしたないところを見られてしまいましたわね」
にっこりと笑いかけると、なぜかさらに緊張させてしまったようで、エウリムの表情が強ばる。
「やはり…人違いをしているのかもしれぬ。申し訳ない、カダール嬢。その…バンキム殿にはご息女がおられるはずだが、貴女の他に…いや、それでは失礼になってしまうな」
ぼそぼそと言い、口を閉ざしてしまう。
「父をご存じなのですか?」
「いや、会ったことはない…いや、前年の闘技場にて少しご一緒したのみ。その時に、ご息女がいらしたのだが…」
探るようにキーエンスを見る。
「あ」
脳裏に蘇る記憶の中に、当主エウリムの姿があった。
「鎧の騎士様ですね」
社交用の笑顔を捨て、素の顔で笑うと、エウリムはホッと肩の力を抜いた。
「思い出していただけたか。あまりにその…雰囲気が違うので、人違いかと思っていたが、先日のあの見事な着地をみて、やはりと思ったのだ」
キーエンスは声を立てて朗らかに笑った。
「この姿は社交用なのです。友人が恋人に会うためにどうしても晩餐会に来たいと騒ぐので、仕方なく着飾っているのです」
「では、その美しい髪もかつらなのか?」
ぶ、と吹き出す声が聞こえ、扉から入ろうとしていた執事が肩を震わしていた。
キーエンスも笑い、特に気を悪くすることもなく、髪の一房を差し出した。
「引いてみますか?」
「崩れてしまうだろう」
と言いながらも好奇心に負けたのか、エウリムは髪をそっと引いた。
「かつらではないのだな」
「ええ。あの頃は事情があって、色を落としていたのです」
「いつも思うのだが、ご婦人はなんとも器用に髪を巻いたり結ったりする
ものだな。かつらなのかと思っていた」
「お歳を召したご婦人はそうなさる方もいらっしゃいます。けれど、そんなことを聞いてはいけませんよ?女性は虚栄心が強いのですから」
そうか、と生真面目に頷くエウリムは、執事に促され、立ち話をしていたことに気づいた




