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舞いの練習を終えたキーエンスは持ってきた柔らかなリネンの布で汗を拭き、舞い用の服から、バンキムのお古である少年用の服に着替える。最近、胸回りがきつくなった。腰回りは逆に緩い。ウィーゼにお願いして作り直してもらっていたが、それでも追いつかないほどに身体が変化しているのを感じた。
ルナリアへ来て、ようやく一年が過ぎようとしていた。
薬で色を落としていた髪は毛先のわずかな長さだけ。それもそろそろ切りそろえるとウィーゼに言われている。本来の色である輝かしい金の髪は肩甲骨の辺りまで伸びた。柔らかく波打つ髪をまとめ、革ひもで束ねる。
華奢な少年が鏡の中に現れた。
この世を去った美しい少女の面影はない。
わずかに目を伏せ、キーエンスは荷物を持つと、控えていた侍女へと顔を向ける。もう鏡を見る気にはなれなかった。
「イオはどちらですか?」
いつもならば遠乗りへ行こうだの釣りをしようだのとうるさく言って来る彼が、来ない。
「お部屋でお待ちです」
「珍しいな…」
なだめすかせて語学や歴史の勉強を見るのが日課だったが、今日は大人しく部屋で待っているらしい。
侍女に礼を言い、舞踏用の控え室から出てイオの私室へと向かう。
途中舞踏室を横切ると、5人程の少女に舞いを教えるアリアがいた。立ち止まり礼をしてから通り過ぎる。
その優雅な仕草を頷いて見送り、アリアは少女達に向き直る。
「礼ひとつとっても、違うのがわかるでしょう?常に美しい姿勢を心がけなさい。所作のひとつひとつを丁寧に行いなさい。いずれはあらゆる高貴な方々の前に出るのだから」
「はい!」
少女達の可憐な声が、舞踏室に響いた。それを背後に聞きながら、キーエンスはイオの私室へと向かい、扉を叩く。唸るような返事が聞こえた。
「どこか具合でも悪いのか?いつもなら子犬のように騒ぎ立てているのに」
ぼんやりと窓の外を眺めていたイオは、キーエンスの軽口に気分を害す様子もなく生返事を返した。
「どうしたんだ?あれは」
控えている顔見知りの侍従に尋ねると、お茶を運んできた侍女と目配せしてから口を開いた。
「昨夜、舞踏会が終わった時には、すでにあんな状態なのです」
「時々、急ににやにやしたり…変なんですよ」
ひそひそと言う彼らは、どこか笑いを含んでいる。なにか思い当たることがあるようだ。
「何があったか聞いたのか?」
「ご衣装にちょっと香水の匂いが残っておりましたね」
「衛兵が女の子と歩いていたのを見たそうです」
二人は探るようにキーエンスを見る。どんな反応をするか、愉しんでいるのだ。男装しているとはいえ、年頃の娘であることを知っているのだ。仕える少年との間になにかあるのではないかと常々侍従や侍女達の間で話題になっている。
「そういうことか」
侍従と侍女の期待を裏切り、楽しげにキーエンスは笑った。
「イオ、なにか良いことがあったのか?」
楽しい思索から引き戻された驚きで、イオは目が覚めたようにキーエンスを振り返った。
「なんだキーエンス、来てたのか」
「古代公用語の試験、もうすぐじゃなかったか?今度はカンニングなんてしないで合格しような」
イオは勉強用に使っている大きな円卓に腰掛け、辞書を畳んだ。
「そんなことより、キーエンス、頼みがあるんだ」




