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月明かりに照らされた庭園は、所々に篝火がたかれ、美しい模様に刈り取られた木々に陰影を与えていた。
程良い暗がりには近づかず、イオは遠くさざめく大広間から離れようと、慣れ親しんだ道を進む。
木々の暗がりには石作りの椅子がいくつか置かれている。秘密の逢瀬を楽しむ大人達が利用するためだ。下手に目撃しようものなら、あとあと面倒なことになる。
時折開かれる舞踏会は、美しく着飾る貴族の娘達が大勢やってくる。中にはエビネ家と強い結びつきを望むために、イオへとあからさまな誘いかけをする娘もいる。
訓練所の友人と一緒に愉しんだ事もあるが、深入りするほど楽しくもなかった。
大広間から死角になるよう、正面にあった噴水を回り込む。この薄暗がりの中、わざわざ追いかけて来る気丈な娘もいないだろうと思っていたが、念のためだ。
---まぁ、キーエンスなら、あり得るけれど。
友人を思いだし、イオは小さく笑う。
「誰!」
少女の声が響いた。驚いたイオは、噴水の影に佇む小柄な少女に気づいた。
淡い黄色のドレスを身に纏い、明るい栗色の髪をした、目の大きい少女だった。
「どうかしたの?一人でいるなんて、不用心だよ」
辺りに彼女以外の気配はない。まだ10歳ほどに見える少女が一人で夜の庭にいるのは、ただごとではない。
「こ…こちらは将軍殿のお屋敷です。無頼な輩など入り込めぬはず」
きっとイオを睨み上げ、やや甲高い声で少女は言う。
「確かにそうだけど…」
よからぬ事を考える貴族もいないわけでもない。幼女だからこそ危ないということもあるのに。
イオは言葉を濁し、肩をすくめた。
「女の子が一人でいてはいけないよ。僕と一緒に大広間へ行こう?」
気安く差し出したイオの手を、少女はじっと見つめた。
「ああ、ごめん、名乗っていなかったね。僕はイオ=エビネ。怪しい者じゃないよ」
「…将軍のご子息…」
じ、と大きな瞳でイオを見上げ、少女はイオの手を取った。
「よろしいでしょう。私の付添役をやっていただけるなら、行ってもよいわ」
つん、と顎をつきだし、少女は立ち上がる。
「お名前をお聞きしてもよろしいですか、姫」
どのご令嬢も、姫と付けると喜ぶものだと学んでいたので、イオは恭しく一礼して言った。
「あら、知っているのね。そうよ、わたくしはフリア。王位継承権第5位のルナリア国が王女です。付き添える事を喜びなさい」
ぴしり、とイオの顔に驚きのあまり緊張が走ったことに気づかず、フリアはのんびりと噴水を見渡す。
「侍女のミアがエビネ家の舞踏会は楽しいと言っていたわ。とても見事な舞いを間近で見れるのだもの。王宮とは違うわね。王宮ではホールの高台の小部屋からでないと見てはいけないの。…ちょっと!聞いているの!?」
ぎゅ、とイオの手の甲をつまみ、フリアはイオを睨み上げた。
「ええと…はい。…いいえ」
「どっちなのよ!」
「ごめん、びっくりして聞いてなかった。あ、…です」
慌てて言い直し、気分を害していないだろうかと少女を見下ろす。
少女は大きな目をさらに大きく開いて、吹き出した。
「正直なのね!わたくしの侍女達はみな適当なことを言って誤魔化すのに!」
東洋風の見事な透かし彫りを施された扇子を開き、口元にあてて笑う。
朗らかであり、上品な仕草をする少女に、イオは好感を抱く。
「姫が来られる事を、両親はなにも言っていませんでした。お忍びなんですか?」
「あら、かしこまらなくてよくてよ?使い慣れていない言葉は聞き苦しいわ」
ふん、と小馬鹿にするように笑う。だが、可愛らしい少女の仕草なので、憎めない。
「助かるよ。王族の方と話すのなんて、初めてだからさ」
照れて笑うイオを見上げ、フリアは少し頬を赤らめた。




