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「逃げるのか!」
降りきり、観客席から聞こえる怒号など気にも留めずに、キーエンスは台の上のイオを見上げた。
「私はそこへ、行けないらしい」
膝を折り、礼をする。その洗練された優雅な仕草に、イオは怒りを覚える。
「ふざけるな!」
「やはりそうか」
闘技台の上にいた黒衣の男はそう呟くと、イオの手を取り、掲げる。
「勝者、イオ=エビネ!」
観客席からの怒号を裂き、黒衣の男の大声が響き渡る。
「放せ!」
イオは黒衣の男の腕をふりきり、階段を駆け下りた。
「僕と戦えキーエンス!」
剣を抜き放ち、飛びかかってくる。
わあ!と吹き上がる歓声が闘技場を包んだ。
怒り混じりの闘気を感じたキーエンスは、身軽にイオを避け、審判らしき黒衣の男を見る。どうやら止める気はないらしい。
「ふむ。医者はいるはず。手加減しません」
たたらを踏み、イオが体勢を立て直すの待ってから、キーエンスは細剣を抜いた。
どっと、更に大きい歓声が上がる。
イオは眼光鋭く剣を構えて、怒りを静める。純粋な闘気がイオの身体を包むのを感じ、キーエンスはバンキム譲りの無表情となる。
イオにもわかるほどの殺気が、キーエンスの身体を包んだ。
「!」
イオが思わずひるむのを逃さず、キーエンスは素早く間合いに入る。
勝負は一瞬でついた。
はねとばされたイオの剣が地に突き刺さるより早く、キーエンスの細剣はイオののど元に突きつけられていた。
「参りました」
イオは呆けたようにキーエンスを見つめ、そして苦笑した。闘気が消えたのを感じ、キーエンスは身を離して細剣をしまう。
「見事なり!」
あまりの早業に静まりかえっていた闘技場に、台の上に立つ黒衣の男の声が響いた。
そんな言葉をかけられるとは思っていなかったキーエンスは、驚いて見上げると、わずかに見えるフードの奥で、黒衣の男が笑っていた。
闘技場を震わすほどの歓声が上がる。
それに応え、キーエンスは再び、片膝を折って礼をする。まるで王族かのような優美な仕草に、剣を拾ったイオは首を傾げる。
話に聞いていたバンキム様の印象は、もっと雄々しい感じだけどなぁ。
キーエンスにならい、イオも礼をする。二人は並んで退場した。
「そなた、なぜ台に上らなかった」
鎧の男が、出入り口に立っていた。その背後には男達が並んでいた。
「そうだ!なんで降りたんだキーエンス!」
イオにも言われ、キーエンスは顔を赤らめる。なんだかとても、恥ずかしかった。
その仕草に、納得したかのように鎧の男は頷いた。
「やはり、そなた女か」
「おんなぁ!」
あからさまにイオに驚かれ、キーエンスは益々顔を赤らめた。
「も…申し訳在りません。男性しか昇ってはならないと、知らなくて…」
てっきり笑われるかと思ったが、鎧の男や、その背後の者達は神妙な顔でキーエンスを見た。
「そなた、古代語を読み解き、命拾いしたな。あの階を邪な心で昇る者や、毒蛇などをひそませて昇る者など、約定に背く者達は、ことごとく台上の審判に首をはねられるのだ」
「古代語読むのか!なんなんだお前!?」
「馬鹿者!」
ごつり、とイオの頭に拳がうち下ろされた。
「怒りをもって階を降りるとは!審判長殿も見逃さずに懲らしめてくれればよいものを!」
気配もなくイオの背後に立っていた男は、イオと同じ燃えるような赤い髪をしていた。
鎧の男は膝をつき、胸に手をあて、控える。
「だが剣を向けられ怒気を消したことは褒めてやろう。よくやった」
くしゃり、と垂れ目を細めて赤毛の男は笑い、イオの頭をかきまぜる。そしてキーエンスへと目を移した。
その眦にある星形の傷跡に、キーエンスは瞳を輝かせる。
「凄い!矢の痕ですね」
矢を恐れずに敵へ向かった証である。
「うむ。わかるか」
触ってもいいぞ、というように顔を近づけてくれる。
「いいのですか?」
「見事な剣技を見せてくれた褒美だ」
キーエンスはそっと指先で触れる。わずかに硬いものがある。ぱっと手を放し、まじまじと赤毛の男を見た。
「鏃の欠片が入ったままなのですね」
「うむ。無理に取ると中身がでてしまうらしい」
にい、と冗談なのか本気なのかわからぬ笑みを浮かべる。
「ただでさえ少ない脳が減っては困るからな」
吐き捨てるように言う声に、キーエンスは振り向いた。バンキムがドアの横に立っていた。
実際は、眦に矢が刺さったら、無事では済まないと思います。ファンタジーなので、お許しを。




