5
「王女が求婚されたからなぁ、その祝いの大会だ。急なもんで、明日しか闘技場が使えない。だから予選をここでやっとるんだが…忙しくてかなわん」
医療用のテントを素通りし、大きな建物の医務室へと向かう。
「どれ、傷を見せろ。短剣の傷だな」
バンキムは大人しく医務室の椅子に座り、右目を覆っていた布をほどいた。
「なんじゃ、自分でやったのか。化膿もしておらぬ」
傷口を見て、老人は即座に知ったようだ。手早く消毒すると、真新しい包帯を巻く。
「キィ、このじーさんはここらで一番腕のいい医者だ。骨のつぎ方をそのうち教えてもらえ」
「キーエンスと申します」
軽く膝を曲げ、頭を下げる。目上の者に対する礼だった。
「トゥーバだ。バンキムの娘にしては、行儀がいいのぅ。よい骨格をしておる。美人になるぞい」
にしし、とトゥーバは笑い、巻き終えた包帯の上からバンキムを軽く叩く。
「よく戻ったな、バンキム」
「おう。世話になる」
ふん、と鼻をならし、トゥーバは小馬鹿にしたようにバンキムを見下ろす。
「なにを言うのやら。ここはお前の屋敷だろうに」
「言ったはずだ。ここは住む者のモノだ」
バンキムは無表情のまま応える。
生意気いいおって、とトゥーバは笑い、卓におかれた鈴を鳴らす。
「まずは身綺麗にせい。どうせ夕方にならぬと皆はそろわぬ。レコルダーレならばそろそろ起きているかもしれんが」
「あいかわらずモグラみたいな生活か」
「益々モグラになりおったわ」
かちゃり、とノックもせずに女性が入ってくる。背の高い中年の女性だ。茶の髪をきっちりと一つに束ねている。
「あら。出戻ったって噂は、ホントなのね」
髪と同じ茶の瞳でバンキムを一瞥し、にやりと笑う。トゥーバによく似た笑い方だった。
「キィ。このカマキリみたいな女はウィーゼ。口は悪いが性格も悪い。なぜかメシはうまい」
ばし、とバンキムの頭を叩き、ウィーゼはキーエンスへ向き直る。
「ウィーゼよ。よろしく。なによその髪、そろえないとみっともないわ。いらっしゃい、ここで切ってもいいけど、怪我人が来たら手伝わされるの嫌なのよね」
有無を言わさぬ勢いでまくしたて、キーエンスの手を引く。バンキムは頷き、着いていくよう促した。
キーエンスはウィーゼのふくよかで皮のあつい手のひらを心地よく感じながら、ついていった。
「あらちょっと、あんた色白いのねぇ」
厨房の傍、侍女達が休憩する部屋に連れて行き、椅子に座らせたウィーゼは、キーエンスのざんばらな髪をかきあげ、布を首に巻く。
「キーエンスと申します。ご親切に、ありがとうございます」
はさみを持ったウィーゼに言うと、ぴたり、と動きを止める。
「バンキムの子とは思えない礼儀正しさ…、なんだかカユくなりそう。ねえ、キーエンス。その声、女の子でしょう?よく見れば綺麗な顔してるじゃない」
頬に手を当てたウィーゼは、ぎゃ、と悲鳴をあげる。
「なにこれ!煤?なんの美容法よ!」
手についた煤を慌てて布で拭き取る。そして容赦ない手つきでキーエンスの顔も拭う。
「せっかく綺麗な白い肌してるのに、わざわざ汚してどうすんのよ…」
現れたキーエンスの素顔に、ウィーゼは驚いて口を閉ざす。
ぱたり、と真っ黒になった布を置く。
「なるほどねぇ、こんなお綺麗な顔してちゃ、目立つからしょうがないか」
ふぅ、とわざとらしくため息をついて、はさみを動かす。
きっと煤をつけたのは、エレンテレケイアと同じ顔を隠すためだった。けれど、キーエンスはただ曖昧に微笑むだけにしておいた。
「今日は予選があったからみんな出払ってるけど、明日の大会が終われば落ち着くからね。それまでバタバタしてるだろうけど、気にせずのんびりするんだよ」
手際よくはさみを動かし、髪をそろえていく。エレンテレケイアと同じ色の髪の毛が床に落ちるのを、キーエンスは悲しく見下ろした。
「すぐに伸びるよ」
バンキムの傷やざんばらなキーエンスの髪を見て、なにかあったのだとさとってくれたのだろう。ウィーゼはぶっきらぼうな口調で、それでも優しく言ってくれた。
「…はい。ありがとう、ウィーゼさん」
ぷ、とウィーゼは笑う。
「よしとくれよ、他人行儀な!ウィーゼでいいよ。お腹は空いていないかい?軽く食べるといい」
切り終えたウィーゼは軽くキーエンスの肩についた髪を払い、厨房から焼き菓子を持ってきてくれた。
「あたしゃ新しいシーツを取ってくるから、ちょっと待っていておくれね」
ウィーゼは慌ただしく出ていく。
残されたキーエンスは焼き菓子を食べた。ほのかにハーブの香りがする。とても落ち着く匂いだった。キーエンスはいつのまにか、卓に伏して眠ってしまった。




