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ほっと息をつき、部屋を見回して中央の椅子へ腰を下ろす。
「…疲れた…」
思わずつぶやくと、アグリルが茶を差し出した。
「ありがとう」
「あれこれ聞きてえ事はあるが、とりあえずそれ飲んだら風呂入れよ。奥がお嬢の部屋だ。浴室もついてる」
キーエンスは素直に頷き、温かなカップを両手で包んだ。
「良い香り。ヤマ国から持ってきたのか?」
「その衣装と一緒に送っておいたんだ。こっちの茶が口に合うかわからんからな」
ああ、とキーエンスは頷く。ウェルギリウスはあまり茶を飲んでいなかった。そういう風習がないのかもしれない。
ぼんやりとカップを見下ろすキーエンスを見つめ、アグリルはため息を押し殺す。
大した手入れもしていないはずなのに、輝く金の髪はわずかな燭台の明かりにも煌めく。俯いて露わになったうなじは白く、なめらか。
体つきは華奢ながらも描く曲線は柔らかで、女性としての魅力は十分すぎるほど備えている。
鍛えられた体はほどよく引き締まり、形がいい。
広間でイズニークから引き離すために抱き上げた時の軽さと柔らかさは覚えている。必要以上に腕で抱えたくなる誘惑にほんのわずかに負けた。
------いかん。
ぺしり、と額を叩き、欲望を抑える。
こいつはヤマのだ。惑わされるとまずい。
「そんな目で見るな」
ひんやり、と低く囁かれ、アグリルは持ち続けていたポットを危うく取り落としそうになる。
「!」
いつの間にか気配もなく銀髪の楽師が横に立っている。
「何を考えていた?」
お見通し、とばかりにすべてを見透かすような碧の瞳が細められた。
「はいはい。すんません。オレは一応健全な男なんで」
目の前に美女がいたら思わず見るだろうがよ。
それが主君の想い人でも。
「…そうか、ヤマ国は自由恋愛のお国柄だったか」
面白くなさそうにイズニークは柳眉を寄せる。
例え上司の恋人でも、決闘なり話し合いなりで奪うことができるのだ。
「そんなんじゃねえよ。勘違いすんな」
確かにちょっとばかり抱き心地よかったなぁとか思ったが。
「オレはもっと可愛くて女らしくて世話焼きなのが好みだ」
力説すると、イズニークは呆れたようにため息をついた。
「君が充分世話焼きなのだから、それを相手に求めると揉めるぞ。もっとぼんやりしていて手がかかりあぶなっかしい方が、世話のしがいがあっていいと…」
む、とイズニークは言葉を切り自分の台詞に苛立った。
それはまるで。
「なんだ、ふたりとも。ちょっと見ない間に仲良くなったなぁ」
のんびりと笑い、男ふたりを眺める少女。
「変な事言うな!ああ、お嬢、せっかくの花冠がずれてるぞ」
落ちそうになっていた花冠を直し、ついでに空になったカップを引き取る。
「まだ飲むか?」
問いに、どこかぼんやりとした少女は首を振る。
「…大丈夫かな」
やっぱり見に行こうかな、と呟いて豪奢な衣装のまま立ち上がる少女に、カップを置きに離れていたアグリルは慌てて駆け寄る。
「おいこら、何のためにフリントが行ったと思ってるんだよ。変な貴族どもが群がってくるぞ?お嬢が出ていってどうする」
腕を捉えて引き寄せると、ふわりと髪が胸をくすぐった。
かすかに汗ばんだ甘い香りに、頭の芯がしびれる。
ああくそ、と苛立ちまぎれに楽師を睨む。
「変な事言うからだぞ」
「私のせいにするな」
むっとしたイズニークはキーエンスを手招いた。
「いいから座っていなさい。眠いのなら少し休んでは?」
イズニークに誘われるままに並んで椅子へ座る。
いつの間にか肩を抱かれている事に気づかず、キーエンスはイズニークの瞳をのぞき込む。
「そういえば、目の調子は?もう夜になってしまったからわからないか…」
イズニークは腕の中で無防備に見上げる薄青の瞳にたじろぐ。アグリルをからかうために腕を絡めたことを、少し後悔する。
理性を保つのに、思っていた以上に労力を使うからだ。
「片目のまま歩くのは、少し慣れないかな。…礼を言っていいものか…私の片目とひきかえに精霊になにを盗られた?」
そっと腕をはずして距離を置く。ふざけて後戻りできなくなっては後悔しても遅い。
「え…」
と呟き、思い出したように唇に手を当てる。
「あ」
かっと頬が染まり、みるみるうちに白い首筋までが桜色に染まる。
それを見ていた青年ふたりは同時に殺気をふくらませる。
「ぅおい…」
びしり、とイズニークのこめかみに青筋が走るのと同時に、アグリルの低い声が響く。
「精霊の野郎…なにしやがった?」




