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「…そうか。その者の無事を祈る。できれば、そなたらには長く滞在していただき、異国の話を伺えたら嬉しく思う。ではまた、明日の宴で会おう」
一行はそれぞれに性格を表す礼をして、退室する。
「ほらな。隠すだけ無駄だったろう?」
ウェルギリウスは笑い、キーエンスを見た。フードから零れる金の髪、そして布では隠せない薄青の済んだ瞳。それらはシールムや向こうでしか見られない薄い色素だ。
「舞姫の護衛だったのだな、お前は」
ウェルギリウスの笑顔での問いに、キーエンスはじっと見つめ返す。
「私を信じるか、王」
「ああ。」
「では嘘はつかぬ。私は舞姫の護衛ではないよ」
「うん?」
だが、あの様子では、共に旅をしていたようだが。
「砂嵐は本当だ。嵐というより突風だったか」
煌めく光と清らかな水を思い出し、淡い青の瞳を細める。
「そしてあの場へ突然現れたのか」
ゴロワースの言葉に、キーエンスは首を振る。
「その前にオアシスに落ちた。だからずぶぬれだったんだ」
少年ふたりはぽかん、と口を開ける。
「参ったよ。その後砂漠に出たはいいけど、濡れてるから砂がこびりつくし。お陰で泥まみれだ」
まあ、今は風呂に入れたからいいけどね。と言うと、ようやく少年達は驚きの声をあげた。
「オアシスってお前!」
「あの水を飲んだのか!なのに戻れたのか!」
「時間すら移動することなく戻るとは…」
口々になにかぼやき、顔を見合わせてなにやら頷き合う。
「ただ者じゃないとは思っていたが、そこまでとは」
「聞いたことがないぞ、オアシスから無傷で帰ってくるなんて」
ん?とキーエンスは首をひねり、そうか、と納得する。
「彼も、目を奪われたのだったか」
キーエンスの呟きに、ウェルギリウスは思い当たる。
「先ほどの楽師か。目に布を巻いていたな」
「ああ。彼もまた、オアシスに行ったことがあるそうだ」
「なんと。…やはり稀代の名妓舞姫の元には、類い希な者ばかり集うものなのか」
ゴロワースは呟き、運命説がどうのと小難しい事を並べる。
かつん、と再び扉の向こうで衛兵が踵を鳴らす。
ウェルギリウスは顔をひきしめ、再び椅子へ座る。ゴロワースは侍従らしく彼の背後に立ち、キーエンスは気配を殺して壁際に立った。
「キサ=ウェルデディウスでございます、王」
油を頭からかけたような巨漢が入室してきた。むせるような香水の匂いに、キーエンスはフードに隠れた柳眉を寄せる。体臭を隠すためだろうが、悪臭には変わらない。
「祝いの儀の次第につきまして、ご相談を。…おや、その者は」
肉にめり込んだ目をキーエンスへと向ける。ウェルギリウスに似た赤銅
色の瞳だが、あまりに細く、まるでは虫類の目のようだった。
「シールムより参った私の友人だ。人見知りをするので、挨拶は控えてくれ」
さきほどのアグリルの言を真似て、ウェルギリウスはそんな事を言う。
思わず吹き出しそうになりながら、慌てて無表情を装い、は虫類のような男を一瞥する。
儀の次第についてというより、ウェルギリウスが近くに置く得体の知れない者を見に来たのだと、キーエンスは読んだ。
「おお、それはそれは。シールム国からであればイルバクの言葉を解すのも然り。だが礼を知らぬとは気の毒なことだ」
む、とウェルギリウスの頬に嫌悪の引きつりが走る。どうやらこういう物言いを嫌っているようだ。
「それは申し訳無いことを。王が気を遣ってくださったのだが、どうか気を悪くしないでいただきたい。キサ=ウェルデディウス殿?」
イルバクに列なる貴族の名は舌を噛みそうに複雑な発音だ。それをさらりと口にのせ、キサを驚かせる。
ばさり、とマントを払い、王族らしく流れるような仕草でシールム風の優雅な礼をしてみせる。
「私はキーエンス=カダール。遙かルナリアよりシールム王国の親戚を訪ねた折、縁あって舞姫の一行と共に、かねてからの友人を訪ねるため、砂漠を越えてきた。イルバクの貴族殿ならばさぞかし深い教養がおありだろう。国政についてもお教え願いたいが、それは王にお尋ねした方がよろしいかな」
はらり、とキサは手にしていた祝賀の式次第を書き連ねた紙を落とし、後ずさる。
「そのような…ま・まさか」
青ざめ、キーエンスとウェルギリウスを見比べる。
「いつのまに、そんな」
慌てて退室の礼も取らずに、キサは脂肪にふくらんだ腹と尻を揺らしながら出ていく。
「なんだ、あれは」
驚きすぎだろう、とキーエンスは柳眉をひそめる。だが、臭い香水の香りが薄れていくのでよかった。




